じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 昨日に続いて宮島SAの鳥居。鳥居の近くにはここ数年以内に植えられたと思われる枝垂れ梅が花を咲かせていた。この時期限定のコラボ。


2024年3月4日(月)




【連載】チコちゃんに叱られる! 『醍醐味』の正体/醍醐寺・醍醐天皇・後醍醐天皇・ゴダイゴ

 昨日に続いて、3月1日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、以下の3つの話題のうち、最後の3.について考察する。
  1. なんで酢豚にはパイナップルが入っている?
  2. カーブミラーが丸いのはなぜ?
  3. 醍醐味ってなんの味?


 さて3番目の疑問については、私自身は以前何かの雑学番組で「醍醐味とはチーズの味のことだ」と聞いた記憶があり、それ以上深く考えたことがなかった。実際、国語辞典によれば、『醍醐』は
  • 【新明解】牛乳やヒツジの乳から作った、チーズに似た食品。
  • 【岩波国語辞典】牛乳・羊乳から作った濃い甘い液体。
などと説明されていた。しかし、今回の放送によれば、正解は「あらゆる乳製品の中で最上のモノの味」であると説明され、その乳製品の作り方がより詳しく紹介された【一部、推測を含む】
 乳製品の歴史や加工法を研究している平田昌弘さん(帯広畜産大学)&ナレーションによれば、
  1. そもそも、慣用句として使われる「醍醐味」は仏典の「醍醐」からきている。
  2. 『醍醐』は紀元前のインドで生まれた『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』に記載されている。そこでは、
    牛より乳を出し 乳より酪を出し 酪より生酥を出し 生酥より熟酥を出し 熟酥より醍醐を出す 醍醐は最上なり。
    と記されており、簡単に言うとミルクを加工していってようやく出来た最上のものが醍醐ということになる。
  3. 初期の仏典である『パーリ聖典』を参考にして『醍醐』を実際に作ってみると、
    • 乳をツボに入れて発酵させてできたものが『酪(らく)』。容器に生乳1リットルを入れ、発酵させるための種菌100グラムを入れる。蓋をして38℃の保温器で5時間かけて完成。仏典には「ある男が牛飼いの手からツボ入りの牛乳を買って、“あす取りに来る”と言って去る。その生乳は、次の日に『酪』に変わっているだろう」との記述あり。当時のインドでは、加工する部屋やツボの中に乳酸菌が常在している自然に発酵されていたと考えられるので、これを人工的に再現。。酪の成分は発酵乳とほぼ同じ。
    • 生酥(しょうそ)は酪を2時間振り続けるとできあがる。仏典に、ある男が生酥を探しており、酸乳をおけの中に注ぎ入れてしきりに攪拌すると記されていたことに基づ】。成分は塩気のないバターのようなもの。
    • 熟酥(じゅくそ)についてはパーリ聖典には詳しく書かれていないので読み取れる文章から推測し、生酥を弱火で加熱し水分を飛ばしたものを『熟酥』とした。95%が脂質でバターオイルとほぼ同じ。
    • 最終工程の醍醐は「サッピマンダ」と記載されていてサッピは熟酥、マンダはミルクの脂っぽい部分という意味。そこで、固まった熟酥を25℃の保温器へ入れて12時間待ち滲み出たものを醍醐だと想定した。醍醐は短鎖脂肪酸が多く低温で液体になるバターオイルと考えられる。この希少性こそ「醍醐味」たるゆえん。貴族たちの高級食品や万病に効く薬として扱われそこから転じて最上のモノの例えとして使われるようになった。

 ウィキペディアの項目も『大般涅槃経』由来の解説をしているが、
  1. すでに製法は失われており、後述のような諸説(バターのようなもの、又は現代で言うカルピスや飲むヨーグルトのようなもの、または蘇を熟成させたものなど)入り乱れ実態は不明である。
  2. 蘇は醍醐を製造する前段階の乳製品であることから、蘇の製造方法を参考にしてさまざまな手法で濃縮、熟成させ、醍醐を作り出す試みが食品研究家らの手でなされている。バターオイルのような物質と予想する者もいる。 延喜式と『大般涅槃経』の蘇と酥は別のものとする説もありそれぞれが前段階であることを無視して酪をコンデンスミルクかヨーグルト、 酥(蘇)をバターとチーズの中間、醍醐はヨーグルトを濃縮したものかチーズであるとする者もいる。
というように、放送で紹介された方法以外にも諸説があると指摘している。

 いずれにせよ、ヨーグルトや乳酸菌飲料は菌種によって味も風味も異なることから、古代のインドで作られていた『醍醐』と、今回実験的に作られた『醍醐』が同じ味であったかどうか、さらに確認が必要であるように思われた。




 さて『醍醐』という言葉から思い浮かぶ固有名詞がいくつかあるが、食べ物の醍醐と関係があるのだろうか。4件ほど検索したところ、ウィキペディアに以下の記述があった。
  • 醍醐寺
    平安時代初期の貞観16年(874年)、空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)が准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山し、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と命名した。貞観18年(876年)には聖宝によって准胝堂と如意輪堂が建立されている。
    醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、延喜7年(907年)には醍醐天皇の御願により薬師堂が建立されている。その圧倒的な財力によって延長4年(926年)には醍醐天皇の御願により釈迦堂(金堂)が建立され、醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が成立し、発展した。
  • 醍醐天皇
    勅願寺醍醐寺の近くに御陵があることからその名にちなんで「醍醐天皇」と追号。
  • 後醍醐天皇
    天皇の諡号や追号は通常死後におくられるものであるが、後醍醐天皇は、生前自ら後醍醐の号を定めていた[295]。たとえば、輪王寺銅鋺延元元年付には「当今皇帝……後醍醐院自号焉」とあり、崩御3年前の延元元年/建武3年(1336年)時点で既に後醍醐の名が広く知られていた。これを遺諡といい、白河天皇以後しばしば見られる。なお「後醍醐」は分類としては追号になる(追号も諡号の一種とする場合もあるが、厳密には異なる)。
    20世紀時点での通説としては、後醍醐は延喜・天暦の治と称され天皇親政の時代とされた醍醐天皇・村上天皇の治世を理想としており、そのため醍醐に後を付けて後醍醐にしたのだとされていた。一方、21世紀に入り、河内祥輔は、父の後宇多天皇も生前から追号を「後宇多」と定めていたことを指摘し、宇多天皇が子の醍醐天皇のために書き残した遺訓の『寛平御遺誡』にあやかって、『寛平御遺誡』の名声を通じて自身が後宇多の後継者であることを示したかったのではないか、という説を唱えている。
  • ゴダイゴ
    グループ名の由来の一つに後醍醐天皇がある。ミッキー吉野は自分の姓「吉野」から吉野朝廷→後醍醐天皇と連想でき、子供のころから好きだったからと語っている。
    英語表記では“GODIEGO”となる。「DAI」ではなく「DIE」という表記を思い付いたのはスティーブ・フォックスである。「GO」「DIE」「GO」と分けると、「生きて、死んで、生きる」という意味になる。つまり不死鳥、復権した後醍醐天皇、七転び八起き、あるいは輪廻転生がイメージできることからミッキー吉野も同意したという。
    また、「GOD」「I」「EGO」と分けると、「神」「自分」「エゴ」という意味にもなる。
 以上ざっと見た限りでは、

●醍醐寺→醍醐天皇→後醍醐天皇→ゴダイゴ(但し「GOーDIEーGO」なども別の理由になっている)

という名前の由来がたどれるようだ。もともとの『醍醐寺』は上掲の通り「平安時代初期の貞観16年(874年)、空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)が准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山し、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と命名した」ことによるもので、注釈に「醍醐とは、尊い教えの比喩として『大般涅槃経』などの仏典に登場する乳製品である。」とあることから、間接的に『醍醐寺』と『醍醐味』は同根であると言えそうだ。