じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 このところ雨や曇の天気が続いていたが、2月24日の早朝は少しだけ晴れ間があり、北西の空に月齢13.9の月が沈むところを眺めることができた。なお今回の満月は2月24日の21時30分。


2024年2月24日(土)




【連載】100分de名著 #136『偶然性・アイロニー・連帯』(2)『contingency』は偶然性か随伴性か?(1)

 昨日に続いて、2024年2月5日からNHK-Eテレで放送が開始された、

100分de名著 #136『偶然性・アイロニー・連帯』

についての感想・考察。

 放送内容から外れるが、今回から2回ほど、著書のタイトルに含まれていた『contingency』という概念について考察しておきたい。

 前回も述べたように、行動分析学では、『contingency』は『随伴性』と訳されており、英語では同じ『contingency』であっても、ローティの『偶然性』とか、茂木健一郎の本に出てくる『偶有性』とは違う意味を含んでいる。

 行動分析学で初めて『随伴性』という言葉を使ったのはもちろん創始者のスキナーであるが、スキナーの論文や著書で最初から使われていたわけではない。スキナーがいつ頃からこの言葉を使ったのかについては、ラグマイの回想の中で語られている。スキナー自身ははっきり記憶していなかったが、ラグマイによれば、スキナーが『contingency』を初めて使ったのは1953年の研究報告書であったという。

 もっとも、行動分析学は宗教ではないので、創始者のスキナーが考えていたことが絶対に正しいというわけではない。じっさい、レイノルズ著、浅野俊夫訳の『オペラント心理学入門―行動分析への道』(1978)の訳者あとがきのところにレイノルズの見解が次のように紹介されていたが、
Skinnerでさえ,初期にはこれらの用語を的確に使っていたのに, 『強化の随伴性』という本の一部では, これらの用語【依存性(dependency)と随伴性(contingency)】の区別を全く暖昧にしてしまっています。おそらく, これは,著者自身が編者であったため【←単著であったはずだが】, きちんとした編集がなされなかったためでしょう。
というように、スキナー自身の曖昧さを指摘している。なお、同じ訳者あとがきのところでは、依存性(dependency)と随伴性(contingency)を区別するためにレイノルズが挙げた2つの例が紹介されている。
  1. ガンの原因となる物質はこの地球上に散在しています。ある人がこの物質に当たればガンになります。この物質に当たればガンになるという関係は依存性(この場合,生物物理学的必然性)ですが,誰が当たるかについては随伴性(現実の出来事ではあるが,そうなる必然性はなかった)です。つまり,ガン物質が散在していれば,誰かがそれに当たることになり,当たった人は必然的にガンになるでしょうが,誰が当たるかについては,何も必然的に決定されている訳ではなく,運,不運の問題です。
  2. 今,道路上を走っている車の列に向って,10秒に1発ずつライフル銃を発射したとしましょう。さて, この場合,依存性のある事象は何でしょうか。引き金を引くと弾が出ることと,厳密に言えば問題があるかもしれませんが,いずれどれかの車に弾が当たる(但し,交通量が十分に多い場合に限られるでしょうが)ことぐらいでしょう。あとのことは,全て随伴性,すなわち,偶然ではあるが現実の出来事です。弾が当たった車が大型であったか小型であったか,10人乗っていたか二人乗っていたか,前後の車との間隔が距離にして2フィートであったか, 10フィートであったか,時間にして3秒であったか, 4秒であったか,等々は皆,偶然の出来事です。


 随伴性をどう定義するのかについては、かつて、私自身も

徹底的行動主義の再構成 ―行動随伴性概念の拡張とその限界を探る―(2011年)

などで考察したことがあり、また、現役時代に使っていた講義録の第2章でも私なりの定義を行っている。

 改めて、以下に、『随伴性』と『偶然性』の違いについての私なりの考えを述べておく。
  1. オペラント反応の自発を前提としている
     オペラント行動において『随伴性』を使う場合は、当該の行動が自発されることが前提となっている。なので、上掲のレイノルズの2例は、偶然性と依存性の違いは説明しているものの、随伴性の本質を述べたものではない。
     例えば、スキナー箱にネズミを入れて「バーを10回押したらエサ粒が1個出る」という強化スケジュール(FR10)を設定したとしても、そのネズミがずっと居眠りをしていたり、バーを5回押しただけで止めてしまったような場合は、FR10という強化の随伴性が機能したとは言いがたい。

  2. 行動する主体にとっての環境変化である
     随伴性は基本的には、行動の直前と直後の環境変化に基づいて定義・分類される。但しそれはあくまで、行動する側の視点に基づく環境変化であって、第三者からの視点ではない。例えば、ピカソの好きな人がたまたま訪れた美術館でピカソの絵を見つけたとする。その後、当該の美術館に足を運ぶ回数が増えたとすれば、

    ●(ピカソの絵無し)→美術館に行く→(ピカソの絵あり)

    という「好子出現の随伴性」により美術館に行く行動が強化されたと言うことができるが、ピカソの絵の有無は行動した人の視点からの環境変化であり、美術館内での環境変化ではない【強いて言えば、その人が美術館を訪れたことで「館内にその人が出現した」というような景色の変化が起こるが、これは当人の行動の強化因にはならない。

  3. 偶然ではなく必然の場合もある
     オペラント行動が強化あるいは弱化されるのは、行動の直後に何らかの環境変化が起こることが基本であるが、その変化には、少なくとも次の3種類がある。
    • 自然随伴性:物理学的、生物学的に必然である場合。山登りで登頂を果たした場合。ウォーキング中に見える景色。壁にぶつかったり階段から足を踏み外したような場合。
    • 付加的随伴性:第三者が付加した場合。賃金労働の基本【働くことによる達成は↑】
    • 偶発的随伴性:偶発的に生じた結果:しばしば迷信やジンクスと呼ばれる。
    『随伴性』概念の重要なところは、それが偶然か必然かという区別にあるのではない。必然であっても、付加的であっても、あるいは偶発的であっても、行動は同じように強化されたり弱化されたりするという点にある。【但し『外発的動機づけ』の弊害として指摘されているように、教育場面では、いつまでも付加的強化随伴性に頼るのではなく、段階に応じて、付加的随伴性から自然随伴性に移行することが望ましい場合もある】。

  4. 微視的定義ばかりでなく、巨視的な視点が必要
     『随伴性』の基本は、人間や動物の行動の原因が、環境への働きかけ(オペラント行動の自発)と、それに伴う環境変化の相互作用にあると考えることにある。しかし、行動は微視的な反応から巨視的・目的論的な行動まで束のように構成されており、また環境変化のほうも1粒のエサから地球環境全体に及ぶレベルまでさまざまに細分化したり逆に包括したりすることができる。そのうちどのレベルで捉えるのが妥当かどうかは、唯一、プラグマチズムに基づく基準で選択される。そもそも、『行動』は実用概念であり、1つの行動をどのように定義するかというのは、どのように切り分けた時に最も実用的な価値があるか、測定しやすいか、強化の効果が期待できるか、などによって柔軟にレベルを変えることができる。もちろん生物学の研究では、複数の行動の間の競合や協調、階層性などが決まってくるため、何でもかんでも好き勝手に分類・定義できるというものではないが、人間社会の行動ともなれば、唯一無二の基準があるわけではなく、それぞれの時代や文化を反映しつつ、固定観念にとらわれない定義を模索する必要がある。


 次回に続く。