じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



02月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る




【本日の話題】備前富士山腹からの日の出/チコちゃんに叱られる! 「船出の際の紙テープ」

| 楽天版じぶん更新日記 | 4トラベル |YouTube公開画像リスト

クリックで全体表示。




 2月17日の朝はよく晴れ、備前富士(芥子山)の中腹からの日の出を眺めることができた。昨年の2月17日もよく晴れており、2年連続の光景となった。なお日の出の方位は日々北側(左側)に移動し、2月21日頃から24日頃には備前富士山頂から太陽が昇る『ダイヤモンド備前富士現象』となる。但し、今年の2月21日から24日はすべて曇か雨の予報になっており、見られる可能性は少ない。


2024年2月17日(土)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「船出の際の紙テープ」

 2月16日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
  1. 船出の時に紙テープを投げるようになったのはなぜ?
  2. 「冷やかし」ってなに?
  3. 指揮者が指揮棒を振るのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。

 まず1.の紙テープについては、放送では「森野庄吉さんが助け船を出したから」が正解であると説明された。藤本昌志さん(神戸大学)&ナレーションによれば、
  1. 船出の際に紙テープで船と岸壁をつなぐ習慣は海外から伝わったものだと思われがちだが、実は森野庄吉さんという日本人が考えたものであり、今では日本でしか行われていない。
  2. 1899年、当時22歳だった森野庄吉さんはカナダのバンクーバーへ渡りその後アメリカ・サンフランシスコに移り日本人向けの宿や雑貨店の経営を始め実業家として大成功を収めた。
  3. 1915年のサンフランシスコ万博には日本も参加し、金閣寺風の日本館や鎌倉大仏の模型などが展示された。そんななか、笠井商店が長さ約45メートルの「櫻紐」というラッピング用の紙テープを出品したが、当時のアメリカでは布製のリボンが使われていたため大量の在庫を抱えてしまった。そのとき異国の地で困っている日本人の噂を聞いた森野庄吉さんは売れ残った紙テープを大量に買い取った。
  4. 森野さんは世界各国の船が停泊していた港で船に乗る人たちに対し「紙テープで最後まで別れを惜しむ握手を!」と売り始めた。森野さんの経営する雑貨店は港の近くにあったそうで普段から港で別れのシーンを見ていてアイデアがひらめいたと思われる。
  5. 森野さんのアイデアは大当りし紙テープはほとんど売り切れたという。紙テープを使ったセレモニーは人気となりアメリカだけではなく上海やオーストラリア、ハワイなど世界中で行われた。
  6. しかしその後すぐに世界恐慌や第二次世界大戦が起こり船旅ができなくなった。戦争が終わると移動手段が船から飛行機に移り、紙テープによる海洋汚染の問題もあり船出の紙テープは廃れ、今では日本でしか見られなくなった。日本でこの習慣が残ったのは、海外に比べ人との別れを大切に傾向がある国民性のため最後まで別れを惜しむ紙テープが残ったのではないかと推察された。
 放送では、離島観光ツアーとして鹿児島港を出港した『フェリーみしま』で行われる紙テープのセレモニーが取材された。セレモニーははツアー終点の黒島だけで行われるたが、テープを投げると子どもに当たる危険があるため、1本の棒に通し先端をまとめて船につり上げて陸とつなげて行われていた。なお海洋汚染防止のため、最近では水に溶けやすく環境に優しいパルプ紙で作られているという。

 ここからは私の感想・考察になるが、船出や進水式の際の紙テープはテレビでは見たことがあるが、そういう場面をじかに目撃したことは一度も無かったように思う。
 記憶に残っているのは南米への移民船の出航風景であった。私が小学生・中高生だった1960年代には何度も移民船が出航しており【最後の出航は1973年2月14日】、その際には紙テープが舞っていたと記憶している。
 いっぽう、学生時代に乗船した青函連絡船や宇高連絡船では紙テープは使われていなかったように思う。フェリー型の船はみなそうだと思うが、岸壁の構造上、岸壁から見送ることはできなかったのではないかと思うのだがハッキリしたことは言えない。なお、ギリシャのクルーズ船ノルウェーの沿岸急行船では紙テープは全く使われていなかった。

 放送では全く言及されなかったが、紙テープでもう1つ記憶に残っているのは、歌手が大量の紙テープをつかみながら歌っている風景であった。子どもの頃に見た歌謡番組ではそれが当たり前であったが、事故防止のため今では殆ど禁止されているようだ。元の話題を含めて、ウィキペディアでは、紙テープの使用について以下のような経緯が記されていた。【一部省略】
  1. 昭和期の船の出港の見送りの際、デッキの乗客が岸壁の見送り客に向かって紙テープ投げを行い、惜別を表現することがあった。
  2. 駅のホームでの見送りの際にも行われることがあったが、車両の床下機器や電化区間の駅にあっては架線にも絡みつくおそれがあるため、鉄道事業者の側から禁止されるようになった。
  3. 昭和期の歌手のコンサートやプロレスの試合の際にも紙テープ投げは盛んに行われ、観客はステージやリングに向かって紙テープ投げを行うことにより、応援の意を表現した。紙テープで埋め尽くされたステージはスター芸能人のアイコンでもあったが、芸能人は大量に飛来するテープの芯を巧みに回避しなければならなかった。 1973年には、イベントに出席していた由紀さおりの額にテープの芯らしきものが当たり、5針縫うケガをした事例もあった。こうした事故を防ぐため、主催者からテープを投げる際には、あらかじめ芯を外すよう指示が出る場合もある。
  4. プロレスにおいては各選手のイメージに合わせた紙テープを投げるのが一般的である。紙テープの投げ入れを全面的に禁止しているケースもある。また2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生に伴う燃料供給事情悪化を考慮し、プロレスリングWAVEでも紙テープの投げ入れを一時的に規制した。2020年以降は新型コロナウイルス感染拡大防止のためほとんどのプロレス団体で紙テープ投げ入れ禁止にしている。
  5. ステージを埋め尽くし絡みついた紙テープは移動の妨げになる上、テープの撤去作業の手間に加えて大量のごみを生み出すため、平成期は紙テープ投げが忌避される傾向にある。
 チコちゃんの放送では、紙テープは船出の際に広く使われているかのように紹介されていたが、じっさいにそのような光景を目にすることは殆ど無いのではないかと思われた。ま、観光船のセレモニーを除けば、そもそも岩壁から出航する船を見送るという機会自体が殆ど無いことが一番の理由ではあるが。

 次回に続く。