じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



11月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
クリックで全体表示。



 11月5日の『路線バス・路面電車の運賃無料DAYの帰路、深山公園入口から無料バスで清輝橋まで乗車、そこから岡山電気軌道・清輝橋線に乗り換えて岡山駅に向かった。
 岡山駅まで行くだけであればそのままバスに乗っていたほうが早く着いたはずであるが、これまで路面電車の『清輝橋線』には人生70+α年で一度も乗ったことが無かったので、これを機会に乗車体験をすることになった。なお、同じ路面電車の『東山線』は何度か利用したことがあり、直近では2021年の無料日にも部分的に乗車している。

 人生初の体験ではあったが、バスを降りたのが14時45分頃で14時44分発の電車には間に合わず、次の14時59分発は渋滞のせいか15時5分頃にやってきたため結果的に20分も電停で待たされることになった。

 この清輝橋線だが、路線図をどうみても、私の生活圏外の路線であり、この先、利用する可能性は全く無い。20分待たされるというおまけ付きではあったが、人生初で人生最後の乗車体験ができてよかったよかった(としておこう)。


2023年11月7日(火)




【連載】笑わない数学(5)非ユークリッド幾何学(4)ボヤイ親子、背理法と無矛盾性の証明

 11月5日に続いて、10月4日にNHK総合で初回放送された、『笑わない数学 シーズン2』:

非ユークリッド幾何学

についてのメモと感想。

 さてこの放送は『非ユークリッド幾何学』というタイトルがつけられていたが、30分番組のうち前半の15分は、『ユークリッド幾何学』に解説にあてられていた。そして、ユークリッド幾何学は唯一無二の絶対真理であり、揺るぎのない論理体系だと考えられるようになったこと、あのニュートンやカントでさえユークリッド幾何学の正しさを疑うことは無かったと説明された。

 しかし、この幾何学の第5の公理(公準)、「直線と点がある時、点を通って直線に平行な直線は1本しか引けない」については、他の4つの公理に比べると長ったらしくてまどろっこしいという印象があった。
  1. 5世紀の数学者プロクロス(412-485)は「公理5は公理の中から除外しなければならない」と述べた。
  2. 数学の王と呼ばれたカール・フリードリヒ・ガウス(1777-1855)も公理5に疑念をいだいていた。
  3. ハンガリーの数学者ボヤイ・ヤーノシュ(1802-1860)は、公理5を「直線と点がある時、点を通って直線に平行な直線は2本以上引ける」に置き換えたら何が起きるのかを考え、ユークリッド幾何学とは全く別物の定理が証明できることを明らかにした(例えば「三角形の内角の和は180°より小さい」)。しかし、ボヤイの『非ユークリッド幾何学』(双曲線幾何学)に関する発見は、当時の数学界からは見向きもされなかった。
  4. ドイツの数学者、ベルンハルト・リーマン(1826-1866)は、公理5を「直線と点がある時、点を通って直線に平行な直線は1本も引けない」に置き換えた別の『非ユークリッド幾何学』(楕円幾何学)を発見した。この場合は「三角形の内角の和は180°より大きい」となる。
  5. 『非ユークリッド幾何学』について、多くの数学者は、ナンセンスだ、どうせ矛盾が見つかるだろうと考えていた。ところが、ボヤイの発見からおよそ40年後、

    ●ユークリッド幾何学に矛盾が無いならば、非ユークリッド幾何学にも矛盾は存在しない。

    ということが、エウジェニオ・ベルトラミ(1835-1900)やフェリックス・クライン(1849-1925)によって数学的に証明された。これはユークリッド幾何学と2つの非ユークリッド幾何学はどれも正しい幾何学であると意味している。


 ここまでのところでいったん私の感想・考察を述べさせていただく。
 まず、上記3.のボヤイ・ヤーノシュ(1802-1860)というお名前からは前回取り上げたボヤイの定理が連想されたが、ボヤイの定理(ボヤイ=ゲルヴィンの定理)を証明したのは、ボーヤイ・ファルカシュであって、その息子がヤノーシュであるようだ。親子とも日本と同じ「姓→名」の順になっているのは、ハンガリー語圏の慣習によるものである。リンク先には、
 数学者としてのファルカシュは平行線公準についての研究に熱中したが、その証明を果たすことはできなかった。のち、ファルカシュの息子のヤーノシュは父の影響のもとにこの問題に取り組み出した。ファルカシュは自分の失敗の経験から息子がこの研究を諦めるように諭したけれども、ヤーノシュはそれを聞くことはなかった。結局、ヤーノシュは父のように平行線公準を証明するのではなく、それは「証明もできないけれども、その一方で反駁もできない」ものであるという結論に達した。これは、平行線公準を前提としたユークリッド幾何学に対して、平行線公準を必要としないまったく新しい幾何学、つまり非ユークリッド幾何学の道を切り開いたものであった。息子が挙げた成果を見てファルカシュもそれを認め、早く発表することをうながした。こうしてヤーノシュの論文「空間論」(「空間の絶対的真性科学の証明のための補遺」)は、1832年にファルカシュの著書『試論』の付録として世にでることになる。
ファルカシュは息子の論文をガウスに送って評価を乞うたのであるが、ガウスの返事は「自分もずっと以前からそれに気がついていたのであるが、トラブルを恐れて発表しなかっただけである」というものであった。ファルカシュはこれを好意的に受け取り、息子がガウスと同列の数学者に成長したことを喜んだが、ヤーノシュ自身はガウスの評価を否定的なものと考えて衝撃を受け、研究の筆を折ってしまった。
という経緯が記されている。

 上記5.のところで、「『非ユークリッド幾何学』について、多くの数学者は、ナンセンスだ、どうせ矛盾が見つかるだろうと考えていた」とあるが、本当に数学者たちはそう考えていたのだろうか? というのは、もし『非ユークリッド幾何学』で矛盾が見つかったとすると、そのことは、公理5を「直線は2本以上引ける」あるいは「直線は1本も引けない」と仮定したことによって生じた矛盾ということになるからである。背理法によって公理5を証明しようとした場合、

●「直線と点がある時、点を通って直線に平行な直線は2本以上引けるか、もしくは1本も引けない」のいずれかであると仮定する。しかしこの仮定はいずれも矛盾する。よって、残る可能性は「1本しか引けない」となる。

という背理法の論法で、公理1〜4だけのユークリッド幾何学が成立できるように思われた。

 もっとも上記の背理法は、「矛盾しない幾何学が存在する」ことを前提にしている。背理法の論法というのは、A、Bという2つの可能性があり、かつAでもBでも無いという可能性が存在しない場合に限って成立するものである。なので、仮に非ユークリッド幾何学には矛盾が存在するということが明らかにされたからといって、ユークリッド幾何学は無矛盾であるということは直ちには言えない。もしかすると、ユークリッド幾何学も非ユークリッド幾何学もそれぞれすべて矛盾を含んでいるという可能性があるかもしれない。じっさい、数学的に証明されたのは、

>●ユークリッド幾何学に矛盾が無いならば、非ユークリッド幾何学にも矛盾は存在しない。

ということなので、その対偶は、

●非ユークリッド幾何学に矛盾が存在するならばユークリッド幾何学にも矛盾が存在する。

ということになる。つまり、非ユークリッド幾何学の矛盾を見つけたからといって、ユークリッド幾何学が無矛盾ということの証明にはならないように思われる。