じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 長年にわたり散髪はQBハウスを利用してきたが、10月25日、ラ・ム−タウン内にある理髪店『プラージュ』を初めて利用してみた。消費税込み、シニア割引200円適用で1540円。QBハウスは1350円なので190円高くなるが、順番待ちゼロで待たされずに散髪することができた。QBハウスとの違いは以下の通り。
  1. QBハウスは前払い制で現金のみ。プラージュは後払い、クレカ、スマホ決済などでの支払い可能。
  2. QBハウスのシニア割引はだいぶ前に廃止。プラージュは60歳以上200円引。
  3. QBハウスは顔剃りをバリカンで行うが、ブラージュはカミソリで剃っていた。
  4. QBハウスは終了時に掃除機のようなホースで吸い取るが、プラージュはホース無し。330円追加でシャンプーあり。
 節約重視という点から言えばQBハウスのほうが勝っているのだが、私の家から最寄りの店舗まで行くには車が必要。わざわざ出かけていって混雑していた時には20分以上待たされることがある【混雑具合はネットでチェックできるのだが、出かける時点で空いていても店に到着した時に急に混んでいることもある。プラージュのほうは、徒歩圏内にあり、またラ・ム−に買物に行ったついでに、店の中を覗いて空いているときに利用することができる。190円高くなっても、待たされずに利用できるのであればそのほうがありがたいという気もする。

 それにしても、かつて1000円床屋と呼ばれていた格安理髪店の値上げは年金生活者にとってはつらいところだ。




2023年10月26日(木)




【小さな話題】10月に視聴したTV番組(1)「ブラタモリ 北九州」「ブラックジャックからの伝言」

 10月に録画・再生で視聴したTV番組のメモと感想。
  • 【10月14日 NHK総合】ブラタモリ『合体都市・北九州〜合体メガタウン! 北九州市誕生の秘密とは?〜(後編)』
     2週にわたり放送された北九州編の後編。妻の実家のある北九州には年に数回帰省しており、馴染みの深い町である。放送の終わりのあたりで紹介された「従是西筑前国」の石碑のある公園も、長崎街道ウォーキングの一環として訪れたことがあった(2017年1月2日の楽天版参照)。
     放送で初めて知ったこととしては、なぜ八幡に製鉄所が作られたのか、ということ。放送によれば、八幡は、製鉄所が造られる前は何もない場所だった。製鉄所の最終候補地は八幡と門司の2箇所に絞られたが、八幡の目の前に広がる洞海湾は、当時はとても浅い海で大きな船が出入りできないことから、八幡は絶望視され、門司が有利とされていた。ところが、確定するほんの数日前になって八幡に決定。当時はまだ、旧・豊前国と旧・筑前国の間の藩閥意識があり、筑豊の炭鉱王・安川敬一郎を初め、的野半介、金子堅太カ、黒田長成といった筑前出身の有力者4人が筑豊や若松で繋がりのある岩崎弥之助や渋沢栄一の力を借りて長官たちの説得にあたったため、洞海湾を製鉄所にふさわしい港にすることを条件に八幡への誘致に成功したという。


  • 【10月13日 NHK総合】アナザストーリーズ 運命の分岐点『手塚治虫 ブラックジャックからの伝言』
     『ブラックジャック』は1973年11月19日から1978年9月18日まで『週刊少年チャンピオン』に連載(その後1983年10月14日まで不定期連載)された作品である。ちょうど私は1971年4月〜1975年3月が学部生、1975年4月〜1980年3月が大学院生であり、研究室には主要な週刊漫画雑誌が持ち込まれていたことからタダで読む機会があった。もっとも個人的には、『がきデカ』(1974〜1984年)や『男おいどん』(1971〜1973年)、西岸良平の諸作品などのほうが興味があり、『ブラックジャック』にハマったことはなかった。理由は、扱っている内容が重すぎたことにあったように思われる。
    放送では、3つの視点からアナザストーリーズが語られた。
    • 『視点1 初代担当編集者 岡本三司』で興味深かったのは、開始当時の手塚が危機に陥っていたということ。確かに手塚作品と言えば、少し前の時代の子ども向け漫画という印象があった。元担当編集者の岡本三司は当時の手塚治虫について「世間からウケなくなっていた」と語り、ブラック・ジャックについても「期待されてなかった」と語った。また少年チャンピオンの発行部数も苦戦しており、「1話完結の読み切り」「4回で人気が出なかったら打ち切り」という連載条件で開始された。
    • 『視点2 医師 鎌田實』連載当時、医学生だった鎌田實はこの漫画によって医療とは何かを自問するようになったという。鎌田實は学生運動の仲間と共に潰れかけだった諏訪中央病院の医師になったが、大きな影響を受けた。
    • 『視点3 映画監督 大林宣彦』大林宣彦はブラック・ジャック最初の実写映画を手掛けており、手塚治虫とも親交があったという。
    手塚治虫は亡くなる3か月前に「命を大事にしようというのが僕の一生の仕事のテーマなんです」と語った。ブラック・ジャックの4代目編集者の伊藤嘉彦は、ブラック・ジャックが手塚治虫が最も愛したキャラクターだと信じているという。「ブラック・ジャックは手塚治虫その人なのかもしれない」と語られている。
     なお、手塚プロダクション公式チャンネルで現在、ブラックジャックのアニメの一部が期間限定配信されている。