じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 8月16日19時半頃の西の空。積乱雲が並んでいて時々稲光が見えた。台風7号の直接的な影響は無くなったものの、南から湿った空気が入り、不安定な天気が続いているようである。なお、同時刻のレーダー・アメダスを参照すると、積乱雲の固まりは岡山市中心部から50〜60kmほど北西のあたりにあることが分かる。


2023年8月17日(木)




【連載】ヒューマニエンス「整理整頓」(4)何も無いことはフレキシブルか?

 昨日に続いて、8月7日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、

“整理整頓” それはヒトの本能なのか

についてのメモと感想。

 まず、昨日取り上げた、貝殻を集落の周りに積み上げたり、集団墓を作ったりといった風習についての補足。放送ではこれらは「整理整頓の起源」という趣旨で取り上げたようであった。しかし、このことと、研究室やリビングにおける整理整頓とを結びつけるのは無理があるように思う。現代人が行う整理整頓は、別段、大昔に行われた風習を継承したわけでもないし、整理整頓をする遺伝子が組み込まれたからでもない。あくまで現代人が個人の生活空間の中で必要に応じて行っているのであって、どの程度整理整頓行動が行われるのかは、その生活空間の中でその行動がどれだけ強化されているのかによって決まってくるのである。
 チコちゃんの番組の感想でもしばしば指摘しているように、

なぜ○○という行動をするの?

という疑問を解決しようと思った時、その行動の起源・由来を調べて「その行動はいつ頃どういう形で始まったのか」を明らかにするだけでは不十分。重要な点は、「なぜその行動が今行われているのか?」を解明することである。であるならその原因は、当事者の生活空間における強化随伴性に求められなければ意味は無い。そういう意味では、古代人がどのような整理整頓をしていたのかということはあまり関係の無い話である。まして整理整頓は、個人の生活空間の中で行う行動が中心である。もちろん、順番待ちの行列とかゴミの分別のように集団レベルでの風習・習慣もあるが、それらと研究室の整理整頓やらワーキングメモリやらの話を一緒くたにしてしまっては乱雑で整理整頓されていない番組構成になってしまう。

 さて放送では続いて、「生命の中に潜む整理整頓」と題してDNAの「整理整頓」の仕組みが紹介された。マウスのES細胞の核を拡大すると、遺伝子が働いている部分が内側、働いていない部分が外側に集まっていることが分かる。平谷伊知烽ウん(理化学研究所)は「例えば細胞の核の中をひとつの部屋だと見立てると、壁際の本棚に使っていない本があり、使っている本は部屋の中に散らばっているというような感じ。」であると述べられた。こうした整理整頓は私たちのすべての細胞の中で行われていると説明された。しかし上で指摘したように、これはあくまで形式的に似ているという喩え話であって、DNAの整理整頓のメカニズムを深く研究したところで、我々の日常生活における整理整頓が改善できるというようなものではないと思われた。
 もっとも、この話題の中では1つ、興味深いやりとりがあった。それは、スタジオ解説者の坂上雅道さんが、考古学者・松木さんの研究室を例に挙げて
一見乱雑だけどマルチタスクを考えたらうまいバランスで散らかりができている。【松木さんは書籍・文献を3つに分けていると言っていたが】オーバーラップがきっとある。そういうのをうまく使うのが『究極の散らかり』である。逆に、きれいに片付いているということはとても柔軟性に欠ける。特定の目的にしか使えない。
と述べたことに対して、稲垣えみ子さんが以下のように反論した点であった。
整理整頓されていることはフレキシブルではないと言われたが、いちばんフレキシブルなのは何もない状態だと思っている。あれがあったかな、どこにあったかな、あれ調べれば載っている、というようなものが全部無いとすると、自分の中にあるもので何とかしようと思うので、やっぱりいちばんフレキシブルなのは何も無いことかなと思う。
なおこの反論に対して坂上雅道さんからはさらに
ゼロからは作れない。だから何かの材料からの組み替えとか、そういうものが我々のクリエイティブな基になっている。もう1つ、集中したいという気持ちはよく分かる。何も無いところのほうが集中できる、深い思考ができる気がするというのは私もそんなところがある。
というコメントがあった。

 上記のやりとりは私も同感できるところがある。特に加齢により断捨離が不可欠になってきているいま、如何に物を減らしていくのかということは大きな課題である。もっとも、坂上さんが述べておられたようにゼロからは何も生まれない。物忘れがますますひどくなってきた今、自分が過去に考えたことや体験したことを迅速に思い出すためには、パソコンやネットといった道具は不可欠となる。それらを使わないと、毎日、あたかもその日に初めて知ったかのように同じことを繰り返すようになってしまいそうだ。ま、認知症にでもなればそれもやむを得ないかもしれない。そうなった時は、日々同じことが繰り返せる喜びを味わうほかはあるまい。

 次回に続く。