じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 8月3日の朝はよく晴れて、西の空には満月の翌日にあたる月齢16.1の月が輝いていた。私のデジカメでは夜の月は撮ろうとしても明るすぎてぼやけてしまうが、日の出直後の月は青空の明るさのコントラストが少なく、比較的はっきりと撮ることができる。

2023年8月4日(金)




【小さな話題】映画『地下鉄に乗って』の謎解けるがまた新たな謎発生

 8月2日の日記に、前日にNHK-BSPで放送された、

『地下鉄に乗って』(メトロにのって)

の感想を述べた。その際、お時の経営するバー『Amour』で、みち子が真次に、
強い人よ。母みたいにはなれないって反発していた。自分を捨てた人を思い続けて、ママに死ぬまで会おうとしなかった。でもね、笑っちゃうんだけど、私そっくりなの。母のようにしか生きられなくって。
と語っていた意味がよく分からないと述べた。謎を放置することは精神衛生上よくないので、何度も録画を再生して聞き直した結果、当該のセリフは、
強い人よ。母みたいにはなれないってちょっと反発してた。自分を捨てた人を思い続けて、なのに死ぬまで会おうとしなかった。でもね、笑っちゃうんだけど、私そっくりなの。母のようにしか生きられなくて。
であることが分かった。なので“「母」、「ママ」、「私」の関係がよく分からなかった”というのは私の聞き間違いであり、セリフの中には「ママ」は出てこなかったのである。
 言い訳になるが、日本語の会話は主語を省略して喋ることが多いため、文脈を取り違えたり一部を聞き違えたりすると意味が分からなくなる。試しに元の会話をDeepLに翻訳してもらったところ、
He's a strong man. He was a little rebellious, saying he couldn't be like my mother. I kept thinking about the person who abandoned me, and yet I wouldn't see her until she died. But you know what, it's funny, but he's just like me. I could only live like my mother.
となり、この英文を再び日本語に戻すと、
彼は強い人よ。母のようにはなれないと、少し反抗的だった。私を捨てた人なのに、死ぬまで会えないと思い続けていた。でもね、おかしな話だけど、彼は私と同じなの。母のようにしか生きられなかった。
というように全く違った意味になってしまう。ChatGPTにも訳してもらったが、やはり意味が取り違えられていた。
"Strong person, you know, I used to rebel a bit, saying I couldn't become like my mother. I kept thinking about the person who abandoned me, yet I never tried to meet them until they passed away. But you know, it's funny, I'm just like them. I can only live my life just like my mother."
 では、どのように喋れば、取り違えは無くなるのか? 以下に改善例を示す。
【あそこに立っている女性は1964年当時の私の母で】強い人よ。【私は子どもの時からあの】母みたいにはなれないってちょっと反発してた。【母は】自分を捨てた人を思い続けて、なのに【母自身が】死ぬまで会おうとしなかった。でもね、笑っちゃうんだけど、私【母に】そっくりなの。母のように【愛人として】しか生きられなくて。


 ところで鑑賞力・推理力に乏しくかつ失顔症の傾向のある私には、映画を一度観たときには気づかなかったことが他にもあった。
  • 闇市で出会った『アムール』が父親小沢佐吉と同一人物であることに気づかなかった→真次がどの時点で「アムール=父親」に気づいたのかは映画の中では明示されていない、真次が失顔症で無い限りは初めて会ってすぐにそのことに気づいていたかもしれない。満州に派兵されて奇跡的に生還したという経歴を知ったことで、そのことを確信した可能性もある。なお「アムール=父親」という事実は、最終的には、真次がアムールに与えた腕時計を小沢佐吉が臨終間際までずっと身につけていたことで確認される。
  • 米軍将校から横流しの砂糖をだまし取ろうとした場面に水商売風の派手な女性が登場していたが、これが、『アムール』を経営する『お時』と同一人物であることに気づかなかった→闇市の酒場でアムールがこの女性を「お時」と呼んでいたことで確認できる。但し、真次自身が1964年のバー『アムール』の経営者が「お時」であることに気づいたのは、顔の類似性ではなく、あくまで後から入ってきた小沢佐吉がこの女性を「お時」と読んだ瞬間であったと思われる。もっとも、真次はそのこと自体ではなく、お時のお腹の子を「みち子」と名づけようとしたこととセットになったことで驚いていた。異母きょうだいであることが判明したのだから驚くのは当然であるとも言える。
  • 雨の中、小沼昭一が亡くなるシーンに遭遇した真次とみち子は、そのあと大雨の中、石段の上にある『BAR AMOUR』に辿り着く。1回目に観た時は、このバーには雨宿りが目的で、たまたま入った店であると思っていた→バー『アムール』はみち子が生まれ育った家であり、みち子はそのことを知った上で真次を店に案内した。このことは、みち子が石段下の祠で「小さい頃、毎朝お参りしていたの。父さんが来てくれますようにって」と語ったことから分かる。
ということで、たぶん私だけかもしれないが、この映画は1回観ただけではなかなか分からないところがある。

 さてこれで、バー『アムール』でのみち子のセリフの謎は解決したが、代わって大きな謎となって来たのが、

●みち子はなぜ、お時のお腹の中の胎児を流産させることで自分を消してしまったのか?

ということであった。これまた、鑑賞力・推理力に乏しい私にはよく分からないところがあった。また、これに関連して、

●みち子は、どの時点で、自分と真次が異母きょうだいであることを知ったのか?

という疑問がある。

 1回目に観た時は、みち子は、バー『アムール』に後から入ってきた小沢佐吉がお時に「この子をみち子と名づけよう」と喋ったことで初めてそれに気づいたのではないかと思っていたが、初めて気づいたのは真次であり、みち子のほうはもっと前からその事実に気づいていたようである。これは、
  • みち子自身もタイムスリップしており、戦後の闇市では警察に捕まったあと、アムールの尽力で釈放されている。
  • みち子が生まれ育った家はバーであり、名前が『アムール』になっていた。
  • みち子は、デザイン学校で小沢佐吉の自伝を読んだことがあった。おそらくその自伝の中にはかつて『アムール』と呼ばれていたことが記されていた。よって、みち子は、真次がじつは小沢佐吉の次男であるということを知った時点で、すでに異母きょうだいであることに気づいていた可能性がある。
といった点から推測できる。また、『アムール』のバーに入る前、石段の途中でみち子は指輪を真次のポケットに入れている。これらを総合すると、みち子は『アムール』に入る前から、真次の幸せを願うために自分を消し去ろうと考えていたとするのが妥当な解釈かと思う。
 じっさい、バー『アムール』で小沢佐吉がお時に「この子をみち子と名づけよう」と喋った時にも、みち子はそのことには驚かなかった。それよりも「私のこと、私が生まれてくること、喜んでくれてた!」ということに感動しているような表情であった。

 以上はあくまで映画だけを観た上での解釈なので、原作を読めばまた考えが変わってくるかもしれないが、他の映画同様、原作で描きたかったことと映画で描きたかったことは必ずしも同一にはならない。

 あと、これは、本質的なことではないが、タイムスリップのパラドックスとして、

●胎児が流産した時点で、みち子はこの世界には存在しえなくなる。なのでそのみち子が流産に関与することは不可能。

という謎が残る。ま、これはお約束としてそっとしておくべきかもしれないが。

なお、映画に出てくる石段のロケ地についてBingに尋ねたところ、
映画『地下鉄に乗って』に出てくる石段のロケ地は、東京都渋谷区の神南坂です。映画の主人公・長谷部真次(堤真一)が、過去にタイムスリップしたときに出会う少年・みち子(岡本綾)と一緒に歩くシーンで登場します。この石段は、昭和39年の東京オリンピックの雰囲気を再現するために、特別にセットを組んで撮影されました。
という回答をいただいた。みち子がなぜ少年なのかは不明。また神南坂について検索したが、そのような石段はどうやら存在しないようであった。再度Bingに尋ねたところ、今度は芝公園であると回答された。現時点では、よく分からない。