じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 6月16日(金)はいつもの半田山植物園に代えて岡山県総合グラウンド(運動公園)内をウォーキングした。
 ちょうど陸上競技場(シティライトスタジアム)で第76回中国高等学校陸上競技対校選手権大会 兼 秩父宮賜杯第76回全国高等学校陸上競技対校選手権大会中国地区予選会が行われていたので少しだけ観戦した。スタジアム内では、男女それぞれの400メートル走の準決勝、女子走り高跳びの決勝、男子棒高跳びの決勝が行われていた。走り高跳びや棒高跳びを間近に観戦するのは人生70年にして初めての体験であった。特に棒高跳びは、テレビ画面では実感できないほどの高さがあり迫力があった。
 なお私が帰宅したあと、女子1500メートル決勝に津山高校のドルーリー朱瑛里選手が登場し、中国高校記録(4分17秒64)を更新して優勝したという。ちなみに、この種目の日本高校記録は、小林祐梨子さんの4:07.86となっている。ドルーリー選手がいつこの記録を破るのか注目される。


2023年6月17日(土)



【小さな話題】NHK朝ドラ『らんまん』の恋愛成就は「女たちの反乱」だった

 6月5日に続いて、NHK朝ドラ『らんまん』の感想。以下、ネタバレ満載。

 第11週(6/12〜6/16)は、いよいよ西村寿恵子と万太郎の恋愛が成就、という前半のクライマックスを迎えた。ちなみに牧野富太郎の実話では、富太郎は1884年、22歳の時に、2歳年下の従妹でかねてから許嫁の猶(旧姓=山本)と祝言を挙げている。しかし上京後の1887年に一目惚れした小澤壽衛(14歳)と下谷区根岸の御隠殿(輪王寺宮の別邸)跡の離れ家で一緒に暮らしはじめ、翌年10月、第一子園子(1888年 - 1893年)が生まれる。1893年、実家の岸屋が破綻し、家財を精算するために帰郷。このとき当主の富太郎は、猶と番頭の井上和之助を結婚させて店の後始末を託す、などと記されており、ドラマは実話とはかなり違った展開になっている。もっとも、実話どおりのドラマにすると、西村寿恵子は14歳ということになり、性的同意年齢の議論など大波紋をもたらす恐れがあった。

 ということで、ドラマでは寿恵子は和菓子屋「白梅堂」の看板娘という設定になっていたが、いくら恋愛ドラマではないといっても、順風満帆に恋愛が進みめでたく結婚という展開ではドラマとして面白くない。そこで、実業家の高藤雅修に見初められ、彼の紹介でダンス講師のクララ・ローレンスと出会い、彼女から音楽とダンスのレッスンを受けることになる。高藤には妻弥江がいるが、形式上の「妻」としか思っておらず、寿恵子を妾に、もしくは元老院の元議官の白川と養女縁組をして、ゆくゆくは、弥江と離婚した後に寿恵子と再婚するという目論見をもっていたようであった。

 第11週の月曜日では、この高藤の目論見が明かされる。寿恵子の万太郎への思いは変わらなかったが、万太郎がちっとも会いに来てくれず、大学までこっそり訪ねたところ研究室仲間と楽しそうにしていたことから、万太郎は自分をそんなには必要としていないのではないかと思い、万太郎から貰った絵を破り捨てようとしたりする(しかし結局破ることはできなかった)。




 この54回までのところでは、寿恵子は、Aを選ぶかBを選ぶか(A=万太郎を選ぶ、B=高藤の妾になることを選ぶ)という葛藤状態に陥っていると言える。とはいえ、視聴者は、寿恵子は必ずAを選ぶであろうと確信してドラマを観ている。もし、「寿恵子は万太郎を諦め、高藤の妾になりました。はい、さようなら」となってしまったのではドラマとして成り立たない。
 では、寿恵子はどういう出来事を通じてAを選ぶようになったのか? このあたりが、原作者や脚本家の腕の見せ所になる。想定される展開としては、以下の3通りが考えられる。
  1. 寿恵子の選択は最初からA(=万太郎を選ぶ)に決まっていた。何かの出来事を通じて、Aを選ぶことが自分の本心に一致していると気づく。
  2. Aを選ぶことを決定づけるようなポジティブな出来事が起こる。Aの魅力が高まるなど。
  3. Bを選ばないことを決定づけるようなネガディブな出来事が起こる。Bが選ばれないことで消去法的にAが選ばれるようになる。
このうち1.についてはダンスの先生のクララから「心のままに生きなさい」と言われたことが伏線にはなっているが、登場人物の「本心」とか「心の奥底」というのは第三者である視聴者には分かりにくいところがある【「私でもそうする」という共感性を高める仕掛けが必要】
2.については、複数の韓流ドラマでも見かけたことがあるが、例えばヒロインが火事に巻き込まれ、主人公がその中に飛び込んで命懸けで救出するといった出来事が使われる場合もある。もっとも今回のドラマで火事に遭った寿恵子さんを万太郎が救出するというのはあまりにも唐突すぎるだろう。
3.は、論理的な選択としては妥当だが、消去法であるためドラマとしてはイマイチ盛り上がりにかける恐れがある。

 でもってこのドラマの第55回(金曜日放送)では、
  • ダンスのお披露目で高藤が「鹿鳴館は目的ではなく日本が海外に進出するための手段である」と述べたことに対して、クララが「私がダンスを教えに日本に来たのはそのためではない」と異議を唱える。
  • 寿恵子が高藤とつないでいた手を離した時に、高藤から「身分の違いは気にしないであなたは生まれ変わる」と言われる。寿恵子は「どうして生まれ変わらなくちゃいけないんですか。私のままでなぜいけないんですか」と述べ、クララ先生から教わった「心のままに生きる」に従い「私には好きな人がいるんです。だからもう行きます」という言葉を残してその場から立ち去る。
  • 高藤の妻は「男と女が対等とおっしゃるがあなたはすぐそばにいる女さえ目に入っていない。この国の行く末を描くにも女の考えを聞こうともしない。」としてその場から去る。それに従って他の女性たちもみな立ち去る。
という結末となった。上掲の分類から言えば、形式上は3.に近いが、本質的には1.が作用してAを選ぶという展開になったようである。女たちの主体的な選択は、当時の時代考証的にはどうだったかなあという気もするが、女性活躍を重視するいまの世相や価値観を反映していることは間違い無い。

 初めにも述べたがこのドラマは『冬のソナタ』や『屋根部屋のプリンス』のような恋愛ドラマではないので、この先は万太郎の研究生活上の困難が描かれることになるだろう。また回収されていないのは、竹雄と高知の実家にいる姉の綾との関係か。