じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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帰省先の北九州で見かけたムラサキハナナ(オオアラセイトウ)。岡山のウォーキングコース沿いでも見かけるが、北九州のほうが繁殖箇所が多いように見受けられる。


2023年5月3日(水)



【連載】ヒューマニエンス『アート』(5)「アートが争いを抑える?」

 5月2日に続いて、3月28日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、

“アート” 壮大な“嘘”が教えてくれるもの

についてのメモと感想。

 放送の後半では「アートが争いを抑える?」という興味深い話題が取り上げられていた。
 松木武彦さん(国立歴史民俗博物館)は、
  • 縄文土器の複雑な文様やデザインは村ごとに独自なものがある。我々の部族の土器はこれなんだ、というようなことで美を共有する。
  • 土器に表れされた芸術性を共有し生活に取り込むことで集団内の結束を高めていたのではないか。
  • その土器の持つアートの力が他の集団との争いをも抑止したのではないか。
と指摘された。その根拠として挙げられたのが、
  • 縄文時代の集落には濠や土塁などの防御設備が存在しない。
  • 発掘された受傷人骨を調べたところ、弥生時代では刀剣など54%、矢じり44%、不明2%というように戦闘による受傷が多くを占めているのに対して、縄文時代は石斧26%、狩猟用矢じり61%、その他13%で事故や喧嘩による受傷が多いと推測されている【出典:内野那奈(2009).『受傷人骨から見た縄文の争い』)。つまり、縄文時代には戦争は殆ど無かった。

松木さんはさらに、「女性がアートを軸として、それによって集団同士の威信や友好や競合を演出していくような社会では、実際の武力による暴力による争いを、土器の競争で代替していた。」。松木さんによれば縄文時代に土器を作っていたのは女性であり、縄文時代は、芸術性の高い土器を生み出す女性中心の社会であった。そしてそうした社会では部族間で土器の芸術性を競い合うことで暴力を抑えていた。つまり、争いの代替品として芸術が使われていた、というように論じられた。
 いっぽう、弥生時代には土器は機能のみを持つ道具となった。そして部族間での戦闘が繰り返されるようになった。

 スタジオご出演の川畑さんは、この松木説に対して「ご意見はよく分かるが、卵とニワトリの関係のようなもので、【縄文時代は】平和だったからこういう文化が生まれたのではないか、弥生時代になるといろんな時間的管理が必要になってくる。そうすると【縄文土器のような】こういったことに手が回らなくなり表現が生まれなくなった、とも考えられる。」とコメントされた。また猪子寿之さんは、「美がある種のプリミティブな信仰の概念とつながっていた。アートに対して崇高さを感じることで人々がより助け合うような集団になっていった。」。松木さんからは「縄文時代には土偶も作られており、生命としての土器を作ることが生命を奪う、生命を絶ちきるという戦争の反対側にあった。そういう世界観も、縄文時代に戦争が無かったことの表れであった。」と指摘された。
 アートは現代だったらどういうことができるか?という問いに松木さんは、
アートは効率性、実利性、機能性とは正反対の方向にあるもの。効率性とか実利性とかいうものは、あるものは肯定するけれどあるものは否定する。アートは何も否定しない、他者を否定しない。何も否定しないで自分たちが発展していく未来が作れる、そういうアートに支えられて存在する世の中になればいいなあと思う。
と指摘される。また猪子さんからは、
都市は機能の固まりであり、機能のかたまりになるとどうしても他者は邪魔な存在になってしまうが、本当は他者がいるおかげでこの世界は楽しいし美しい。自分が作品を作る時に、同じ空間に他者がいて作品そのものが変化して変化そのものが美しければ他者もポジティブな存在になる。
とコメントされた。




 ここからは私の感想・考察になるが、縄文はスゴい!という話題は2023年3月9日の日記でも取り上げたことがあった。但し、Bingに尋ねたところでは、「縄文時代は豊かで平和だったというイメージは、一部の遺跡や土器などから作られたものであり、実際には地域差や時代差が大きく、一様ではなかったという見方もあります。」という指摘もあり、私自身も
一部の遺跡や出土品だけから当時の縄文人の暮らしぶりを推測することには危うい。特定の縄文遺跡での発見は「その時代、一部の縄文人はそういう暮らしをしていた」という証拠にはなるが、「すべての縄文人」あるいは「縄文人の多く」がそのような暮らしをしていたという証拠にはならない。仮に周辺の集落との間で争いが起こったとしても、戦いの死者がそっくりそのまま埋葬されるとは限らない。死体が地面に転がったままであれば野生動物に食べられて人骨は残らない可能性がある。
と述べた通りであり、上掲の松木説はロマンがあるもののイマイチ納得できないところがあった。
 そもそも、他の部族との戦闘は多かれ少なかれ人的な損失を被るものであり、メリット(あるいは、そうする他には道が無いというような差し迫った事情)が人的損失というデメリットを上回らない限りは好き好んで行うようなものではない。狩猟文化で部族間の争いが起こるとしたら縄張り争いであると思われるが、食糧資源が豊富にあるならば縄張りは不要。いっぽう食料資源がきわめて少なければ、獲物を探すだけで精一杯であって部族間で争うほどの余裕は無かろう。
 しかし農耕文化の時代になると、より好条件の農耕地を奪うために争うことは大きなメリットとなる。また農耕では他部族を奴隷にして働かせることもできる(狩猟社会で奴隷に武器を持たせて狩りをさせることは反乱に繋がり難しい)。
 ということで、戦争が多いか少ないかは、基本的には、土地や労働力の奪い合いがあるかどうかによって決まるのではないか。アートへの代替は現実には難しいように思う。但し、あの部族は鬼でありいつ襲ってくるか分からないといった不信感を解消しリスペクトを与えるという点で土器のアートなどは有用かもしれない。また、現代社会においては価値観の多様性を認め合うことは重要であり、アートが平和な社会の実現・維持に重要な役割を果たすことは間違いないとは思う。

 次回に続く。