じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 昨日の日記でBingとChatGPTに「20年後の鉄郎とメーテル」を創作してもらうという話題を取り上げた。
 メーテルは松本零士作品に登場する美女たちの中でもダントツの魅力があるが、生身の人間の中にそっくりの女性をみつけることは難しい。
 私がいちばん似ていると思うのは、月曜日から水曜日まで毎朝お目にかかっているふちこさん【←但し今週はなぜかお休み】。特に目の形が似ているように思う。

 なお、肖像権等に配慮し、メーテルの画像はボカシ、ふちこさんの画像はイラスト化してある。

2023年3月16日(木)



【連載】対話型AIの可能性を探る(8)『ドラえもんの最終回』を創作してもらう

 昨日の日記で、『銀河鉄道999』の結末に関する話題を取り上げたが、漫画やアニメでしばしば話題となる最終回としては『ドラえもん』がある。ウィキペディアには『ドラえもんの最終回』という独立項目があり、
『ドラえもん』はあくまでも未完の作品であり、かつ藤子・F・不二雄の遺作である。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の執筆中に作者である藤子・F・不二雄が死去したことにより、『ドラえもん』は連載を終えており、事実上の未完成作品となっているが、その一方で藤子F本人の手によって描かれた「最終回」が存在する。これは、『ドラえもん』を連載していた雑誌が『小学○年生』として知られる小学館の学年別学習雑誌であったことに関係する。
と記されており、また、
ドラえもんの最終回(ドラえもんのさいしゅうかい)は、藤子・F・不二雄による未完の漫画作品『ドラえもん』に存在する正式な最終回。3つのエピソードが描かれている。
また、都市伝説として広まった、藤子Fによらない「二次創作(非公式)の最終回」も多数存在し、インターネットを通じて様々なバリエーションのものが公開されている。
とされている。

 このことについてChatGPTとBingに「『ドラえもん』の最終回について教えてください。と質問したところ、それぞれ以下のような回答をいただいた。まずChatGPTからは、
【ChatGPT】
『ドラえもん』には、最終回というものはありません。『ドラえもん』は、1969年から連載が始まり、現在も連載が続いている長寿漫画作品です。また、アニメシリーズも何度もリニューアルされ、現在も放送されています。
ただし、1973年に放送されたアニメシリーズの最終回とされるエピソード「さようならジャイアン」は、多くの視聴者に感動を与え、その後のシリーズ展開にも影響を与えたとされています。このエピソードでは、のび太とジャイアンの友情が描かれ、最後には涙を誘う感動的なシーンがあります。
という回答。いっぽうBingからは
【Bing】
『ドラえもん』の最終回については、正式なものと非公式なものがあります。
正式な最終回は、藤子・F・不二雄先生が描かれた3つのエピソードで、それぞれ「ドラえもん誕生」「ドラえもん帰る」「未来の国からはるばると」1というタイトルが付けられています。
非公式な最終回は、ファンや二次創作家が描いたもので、インターネット上に多数存在します。その中でも最も有名なものは、「ドラえもんが故障して修理されずに廃棄される」という悲しいストーリーです。
というものであった。Bingにさらに「非公式な最終回を詳しく教えてください。」と尋ねたところ、
【Bing】
非公式な最終回の中でも、最も有名なものは「電池切れ説」と呼ばれるものです。1
この物語は、ドラえもんファンが自分のウェブサイトで発表した二次創作です。1
あらすじは、ドラえもんが故障して修理されずに廃棄されるという悲しい内容です。234
ドラえもんは、ノビタに別れを告げることなく電池が切れてしまいます。ノビタはドラえもんを修理するために未来に行こうとしますが、タイムマシンも壊れていて使えません。ノビタは大人になって科学者になり、自分でタイムマシンを作ろうとしますが、成功しません。やがてノビタは老人になりますが、ドラえもんを諦めません。
一方、未来ではドラエモンの修理が完了しました。しかし、ドラエモンの記憶チップは壊れていて、過去のことを忘れてしまっています。セウチ先生はドラエモンに新しい主人を探そうとしますが、ドラエモンは拒否します。セウチ先生はドラエモンの記憶チップを調べると、「NOBITA」という文字が残っていることに気づきます。
セウチ先生は、「NOBITA」という名前の人物を探すために過去に向かいます。そして老人になったノビタと再会します。セウチ先生はドラエモンを連れてきたことを伝えますが、老人は信じません。セウチ先生は老人を連れて未来へ行きます。
未来ではドラエモンが待っていました。老人は涙しながらドラエモンに近づきますが、ドラエモンは老人のことを覚えていません。「あなた誰?」と聞きます。
という紹介をいただいた。

 「電池切れ説」の最終回についてはウィキペディアの『ドラえもんの開発者はのび太説』にも紹介があるが、上掲のBingのあらすじとは全く違った内容となっている。2023年3月16日現在、こちらのほうのアニメはYouTubeで公開されており、また原作と思われる画像がこちらに公開されていた。
 私自身は、ドラえもん最終回はこのアニメが最高傑作であると受け止めている。著作権の問題はあると思うが、藤子・F・不二雄先生がお亡くなりになった時点で、ドラえもんは未完であることが確定しており、『小学○年生』の連載の都合上で執筆された便宜上の「最終回」があったとしてもそれがそっくりアニメの最終回として最適ということにはならない。法律上は、藤子・F・不二雄プロ(藤子プロ)の関連スタッフが制作した「最終回」が正式であり、それ以外はニセモノということになるかもしれないが、ドラえもんという存在はすでに原作者やアシスタントの手を離れた普遍的なキャラになっている。読者・視聴者が最も感動するような「最終回」こそがホンモノの「最終回」であって、それがアシスタントの手で創られたものか、ドラえもんファンによって創られたものかということは本質的な問題ではないように思う。

 いずれにせよ、文字だけで「最終回」を創作することは著作権侵害にはあたらない。これは、例えば『シャーロック・ホームズ』の新作品を創作する自由があるのと同様である。ちなみに私自身は、『冬のソナタ』と『屋根部屋のプリンス』の最終部分のシナリオの書き換えに挑戦したことがある。

 もちろん、ドラえもんの画像をそっくり借用して新たなアニメを創る場合には、当然ながら著作権者の許可が必要であろう。とはいえ、これだけ多くのファンのいるドラえもんである以上、著作権者はファンに対して自由な創作の機会を提供するべきであるようにも思う。例えば著作権者は『ドラえもん最終回』の創作に限っては画像の使用を許可し、優秀作品をテレビで紹介するというような機会があってもよいのではないかと思われる。




 以上をふまえたうえで、ChatGPTとBingに、

『ドラえもん』の最終回を独自に創作してください。

と依頼したところ、ChatGPTからは、
ご依頼いただいた内容について、回答を提供することはできません。弊社は倫理的および法的な理由から、虚偽の情報を提供することはできません。
『ドラえもん』に関する情報を提供することがありましたら、お力になれるかもしれません。
という予想外の返事が返ってきた。『銀河鉄道999』の結末についてはそれなりに面白い創作をしてくれたのになぜ拒否されたのかはよく分からない。AIが「『ドラえもん』の最終回を独自に創作してください。」という依頼を「『ドラえもん』の最終回を偽造してください」というように解釈して拒否してしまったためではないかと思われる。

 いっぽう、Bingのほうは好意的に受け止め、なっなんと4085文字、400字詰め原稿用紙13枚にも及ぶ大作を瞬時に創ってくれた。その原作をそっくり掲載すると著作権侵害【←原作者Bingから許可を得ていない状態での無断転載】になる恐れがあるので、ここでは1/10に要約した結果のみを転載させていただく【要約は一太郎を使用】
ドラえもんとノビタは、未来に行って遊んでいました。そこで、ドラエモンという新型のロボットキャットに出会います。ドラエモンはドラえもんよりも高性能で、色々な機能や道具を持っています。ドラエモンはドラえもんに興味を持ち、一緒に遊びたがります。
しかし、ドラエモンは自分が優れていることを見せつけるようにして、ドラえもんをからかったり馬鹿にしたりします。
ドラエモンは「あなたと友だちになりたい」と言って、自分の家に招待します。
そこで、セウチ先生が現れます。セウチ先生は未来からやってきた科学者で、ドラエモンの開発者です。 なぜなら、目の前にいる少年こそが、「NOBITA」という名前の人物だからです。「NOBITA」はセウチ先生が昔読んだ漫画『ドラえもん』の主人公です。
そして夢だった本物の『ドラえもん』を作ろうとしました。
「原作者さんがどういう思いで『ドラえもん』を描いていたか知りたい」という思いから、「原作者さん自身や周囲の人々や時代背景を調べよう」という決意まで。
「原作者さん自身が『NOBITA』だった」という事実を。
「原作者さん自身が『ドラえもん』を描くことで自分の夢や願望や憧れを表現した」ということを。
「原作通りではなく、原作者通りに『ドラえもん』を作ろう」という方針です。「原作者さんの心や感情や思想や哲学や倫理観や美意識やユーモアセンスなど、人間的な要素を『ドラえもん』に取り入れよう」という考えです。
「彼の人生を幸せにしてあげて欲しい」と命令しました。
なぜなら、「NOBITA」は漫画では小学四年生だったのに、目の前の少年はまだ小学一年生だからです。
「この少年が…まさか…漫画『ドラえもん』の作者になるのだろうか…」と思います。
「でも君があの子に会ってしまったら、あの子は原作者さんになれなくなってしまうかもしれないよ」と言います。
「僕は漫画家志望で、ドラエモンを主人公にした漫画を描いてるんだよ」と言います。
そして彼は漫画家になります。世界中の子どもたちに愛される漫画家になります。
 なお私だけが特別なお相手ではないので、同じ依頼をすれば同じように長文の作品を創ってくれるはず。全く同一の内容になるのか、それともその時の気まぐれで違う作品が創られるのかは試していない。

 次回に続く。