じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 半田山植物園・温室のパフィオペディルム。我が家にも同じ品種(大型と小型の2種)があるが、株分けしなかったせいか、今年は今のところ開花していない。黄花種は1月18日に開花し、いまも萎れずに咲いている。


2023年2月5日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!「みりん」「皇居ランニング」

 昨日に続いて、2月3日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. 子どもはいたずらを注意しても繰り返すのはなぜ?
  2. みりんってなに?
  3. 皇居の周りをみんなが走るようになったのはなぜ?
という3つの話題のうち、2.と3.について考察する。

 まず、2.の「みりん」は、「煮崩れを防ぐお酒」であると説明された。舘博先生(東京農大・名誉教授)&ナレーションは以下の通り。
  1. みりんのラベルを見ると、「アルコール分13.5度以上14.5未満」といった表示がある。この度数は酒税法で定められており、みりんは15度未満のお酒であり、製造や販売には免許が必要。
  2. 歴史的には、「蜜が滴るほと甘い」ものであり、もともとはお酒に弱い人が飲んでいた。お正月のお屠蘇だけはみんなが飲む習慣が残っている。
  3. みりんの発祥には諸説あるが、安土桃山時代の『古米日記』には「蜜淋酎」という記述があり、高級なお酒として献上されていた。江戸時代の『和漢三才図会』によれば、「美淋酎」はその甘さから下戸の人や女性が好んで飲んでいたという記述がある。
  4. 幕末の『守貞漫画稿』には、うなぎの蒲焼きや蕎麦つゆに使用されたという記述がある。
  5. みりんには、照り、甘味、コクのほかに、煮崩れ防止の効果がある。
  6. みりんの甘さは砂糖の1/3で上品な甘さがある。
  7. 日本酒は一般に、うるち米に米麹を入れてその酵母でデンプンをアルコールに分解するため、本来の甘さは失われる。いっぽうみりんでは、もち米が使われる。また最初に焼酎を入れ、焼酎の中で糖化させるため、糖は発酵せずそのまま甘さを残すことができる。みりんに含まれる糖分はブドウ糖が一番多く、他にオリゴ糖、コージビオース、ニゲロース、イソマルトース、マルトースなどが含まれているため、ショ糖一種だけの砂糖に比べて深い甘さがある。
 放送ではさらに、ジャガイモをみりんだけでゆでる条件では、水だけでゆでる条件に比べて煮崩れが起きにくいことを示す実験が行われた。お湯だけでジャガイモが煮崩れするのは、ジャガイモの外側にあるペクチンが加熱すると溶けてしまうためであるが、アルコールには熱しても細胞が崩れるのを抑える効果がある。さらに、アルコールとみりんでゆでる条件を比較すると、みりんのほうが煮崩れの防止効果が強いことも示された。詳しいことはよく分かっていないが、みりんに含まれる糖分も煮崩れの防止に役立っているらしい。なお、みりんの煮崩れの防止効果は科学的に検証済みではあるが、火加減、煮込む時間、食材の状態によって効果は異なる、と補足された。

 みりんと言えば、今年の正月に、妻から、みりんを買ってきてくれと頼まれたことがあった。妻が指定したのは「米麹」、「本みりん」と明記されているものであり、ウォーキングコース沿いのドラッグストアで購入することができた。過去にみりんを買ったという記憶は全く無いので、おそらくこれが、私にとっては、古希にして人生初めての「みりん」購入となった。ラベルには「アルコール分12.5度以上13.5度未満」と記されており、放送で紹介されていた「アルコール分13.5度以上14.5未満」よりは低い。放送では「販売には免許が必要」とのことであったが、ドラッグストアでも免許を取得しているのであろう(というか、ドラッグストアでは大概、酒類も売っているようだ)。




 最後の4.の「皇居ランニング」だが、皇居の周りのコースは一周約5km、1日1万人以上が走っているという。
 皇居ランニングの由来については、放送では「銀座のホステスさんが走ったから」と説明された。橋本治郎先生(ランニング雑誌出版社・元社長)によれば、1964年の東京オリンピック(10月10日〜24日)の8日後の11月1日、銀座のクラブのママさん、ホステスさんが参加した皇居1周のマラソン大会が開かれた。主催者は銀座のクラブオーナー三次三郎さんで、開催の目的、ホステスさんの仕事がハードであり健康管理もなかなかできないことからマラソンで健康増進、さらに賞金を出すことでホステスさんたちに貢献したいということにあったという。その時の賞金は1等、2等、3等がそれぞれ5万、3万、1万円となっており、当時の大卒の初任給が約1万7000円であったことからみてかなりの高額であった。他にも参加賞としてブランドバッグや香水が用意され、賞金総額は70万円、現在の金額に換算するとおよそ300万円になったという。
 ホステスさんたちは店が終わってから走る格好に着替えて銀座から20分ほど歩いて二重橋前に集合。スタートは午前1時40分であった。レースの前と後ろにはベンツ、最後尾には医者と看護師がついていた。優勝したのは「女アベベ」と呼ばれた、あけみさん(21)で記録は23分30秒で、2位に500m以上の差をつけたぶっちぎりの優勝であった。ホステスたちは全員完走したという。
 なお、皇居の周りではそれ以前から大学の陸上部などが練習をしていたが、一般人には馴染みが無かったとされた。ホステスマラソンは、市民が開催したという点で「市民スポーツの始まり」であり、雑誌や新聞で紹介されたことから、その後、皇居周辺で働く人たちがマラソンクラブを作り、昼休みや仕事が終わってから皇居の周りを走るようになった。その後2007年から東京マラソンが開始されたことも、皇居ランナーは一層増えていったと説明された。

 ここからは私の感想・考察になるが、1964年11月当時にホステスマラソンが行われ、そのことが広く紹介されたということは事実であるとは思うが、そのことと、現在の1万人規模の皇居ランニングとは直接関係が無いように思う。じっさい、いま皇居の周りを走っている人たちは、かつてホステスマラソンが行われたことは知らないし、そのことに触発されてジョギングを始めたわけでもない。
 要するに、過去に注目を集めるようなイベントがあったということと、それが起源になったということは別物である。いま皇居ランニングが盛んになっているのは、おそらく、
  • 一周コースなので往復コースに比べると景色に変化がある。
  • 往復コースでは途中で引き返すことができるが、一周コースでは5kmを走りきらないと出発地点に戻れない。
  • 一周5kmという長さが、日々のランニングにはほどよい距離となっている。
  • 皇居周辺に勤めている人たちにとっては、職場から気軽に走り始めることができる。
  • 交差点が少ないので、止まらずに走り続けることができる。
という理由によるものと思われる。
 なお念のためウィキペディアを閲覧したところ、
  • 交通のアクセスが良く、ロッカーやシャワーなどを備えたサポート施設が充実している。
  • 信号がないため赤信号などで止まる必要もなく、ペースが保ちやすい。
  • 皇居内濠や桜田門、千鳥ヶ淵の桜並木、日比谷や丸の内、東京タワーの遠景など、都内の観光名所を眺めながら走ることができる。
  • 一番オーソドックスな皇居外周コースがほぼ5qで、ランナーにとって計測がしやすい。
  • コース沿いの数箇所(主に公園内)に、公衆水洗トイレと水飲み場がある。
  • 深夜や悪天候時を除き誰かしら走っており、仲間意識・対抗意識から「走ることに対するモチベーション」の維持がしやすい。
  • 皇居外周という場所柄、夜間でも警察官が立って警備をしているため安全。
という理由が挙げられていた。

 皇居ランニングは反時計回りが一般的とのことだが、理由はよく分からない。トラックが反時計回りになっていることと関係があるのだろうか。それとも皇居の自然が常に左視野に入ってくるほうが心地よいからなのか。
 ちなみに私自身は、同じ日に皇居を一周したことはない。一般参賀のため半蔵門から二重橋前まで歩いたことがあるほか、科学技術館、東御苑から武道館のあたりも何度か歩いたことがあるが、千鳥ヶ淵から半蔵門の区間は歩いたという記憶が全く無い。