じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 半田山植物園で見つけたカンザキアヤメの一番花。昨年の写真はこちら。他に2本ほど花芽が出ていた。

2023年2月2日(木)



【連載】まいにち養老先生、ときどき… 2023 冬

 1月28日にNHK-BSPで放送された表記の番組のメモと感想。このシリーズは毎回拝見しており、参考になったお言葉をこちらに書き留めているが、今回はどちらかというと85歳になられた養老先生の生活ぶりを映像で紹介する部分が多かったような印象を受けた。
 放送は1時間半であり、主な内容は、
  • 学生時代、虫採りに熱中していた頃の回想。
  • 2022年、6月4日、鎌倉・建長寺・虫塚での法要。
  • ネコとのふれあい。
  • 8月の特別な思い(終戦によって変わる人間。虫は変わらない)。
  • 定年前に東大を退職した経緯。病気や入院について。
  • 20年以上毎年のように通い続けているラオスでの虫取り。
  • ご自宅での暮らしぶり。虫の標本づくりなど。
などとなっていた。なおタイトルの「2023 冬」というのは2023年冬に放送されたという意味であり、収録は2022年初夏から始まっていた。

 これまでの放送では仏教に関する話題が多かったように記憶しているが、今回は養老先生のライフワークである虫取り&標本作製、ネコとのふれあいシーンが多く取り上げられていたように思う。

 養老先生の虫好きは、これまでのシリーズでもしばしば取り上げられてきたが、なぜこれほどまでに没頭できるのか、門外漢の私にはよく分からないところがあった。
 8月に鶴岡八幡宮で行われたぼんぼり祭りに養老先生もぼんぼりを奉納しているが、文字の多い他のぼんぼりと異なり、そのぼんぼりには「ミスジマルゾウムシ」の絵と養老先生のお名前だけが書かれていた。取材スタッフから「【ぼんぼりには】書や抱負が書かれているものが多いが、虫の絵は珍しい」と指摘されたことに対して養老先生は、「いつも言うけど、あんまり言葉信用していないから」と答えられた。8月の終戦とともに「神国日本」「本土決戦」「一億玉砕」といった言葉は全部ぱあになった。「標語みたいなものがうさんくさくて嫌いなんですよ」。さらに、
言ってみれば80年以上、その問題を追っかけているようなもんですから。...全部変わったのが問題なんじゃなくて、それを変えたでしょう。それを変えてもやっていけると思っていたのがそもそも不思議なんだよね。人間ってそういうことができるのかな。「頭で考えて変えられる」とどうして思ったんだろう。だから8月は嫌な月なんですよ。その問題が戻ってくるでしょう。...本当に素朴な疑問ですよ 子どもの。大人なら「戦争に負けらからしかたない」とか訳の分からない理屈をつけて納得するんでしょうけれど、子どもはなかなか納得しない。...「一億玉砕」「本土決戦」で特攻隊まで出てたんですよ、本当に命懸けで行っていたんだから。それがある日「もうやめた」ってね。ずっとこっちの道歩いていたのに、今日からあっち行くって話でしょう。だからあんまりそういう政治的な問題に真剣になったことない、それ以後。問題あったら変えりゃいいだろうと思っているから。だから虫捕ってるほうがいいんですよ。
そして、言葉の力だけで一気に変身しようとする人間との対照で、
虫は去年まで柿食ってたけど今年から蜜柑にしたってことはない。去年のアブラゼミが今年から「ミンミン」と鳴き出したのはない。それやるのは人だけですよ。
と語られた。言葉に頼りすぎる人間たちに対して虫たちは変わることの無い物差しであった。虫を頼りにしてますという言葉からも、虫取りに没頭される理由をある程度窺い知ることができる。

 もっとも私がよく分からないのは、養老先生の虫好きというのが、虫を捕まえて、おそらく毒瓶に入れて命を奪い、ピンを刺して標本にしてしまうという行動に限られている点である。私も昆虫は好きなほうだが、私ならまずはデジカメで写真や動画を撮ったり【こちら参照】、棲息の様子を観察したり、虫かごに入れて飼育したり、することに興味をいだくものである。養老先生の虫好きは、放送を拝見した限りでは、植物採集とあまり変わらず、標本を作ってコレクションとして保管することにある。ま、このあたりは、行動科学ではなく解剖学を専攻されたことにも関係しているのかもしれない。
 もっとも、なぜゾウムシなのか?については
その辺にいるありきたりな虫だけに、植物や地質のことを知ると、そのゾウムシのたどってきた歴史や環境が見えてくる。それを考えるのが面白い。それは人間の身体も同じで、自然のものは観察していると見えてくるものがある。「ものを見る目」とでも言えるもので、その見方はヒトにも通じると言える【『ヒトの壁』新潮社刊、一部、表記の改変あり】





 養老先生が東大を57歳で辞めた理由については、今回2つのことが語られた。
 1つは、1994年の「肺がん騒動」であり、「このまま重症化して入院のままになっちゃうようだったら、あるいは、しょっちゅう治療に通わなくてはならないなら、まだやりたいことあるなって感じだった。」ということ。そのやりたいことについては「やっぱり虫じゃないですかね」と答えておられた。

 もう1つの、そしてこれが本当の理由と思われるのは「世間」との関わりであった。
大学にずっといてもよかったんだけど、途中で辞めちゃったのはもう「しようがなくなっちゃった」んですね。【死者と対峙する解剖の仕事が何より心安らぐ時間でした】やっぱり、世間とつきあわなきゃなんないから。何もかも自分でやるわけいかないでしょう。自分の思うように生きるって難しいことだと今でも思いますよ。
さらに、材木座海岸のシーンでは、
悩むのも「どうとかしよう」という“つもり”があるからで、“つもり”を一切消しちゃえば別に悩む必要も何もない。悩むこともないでしょう。そのまんまでいいって流れていく。流れに浮かぶ泡沫(うたかた)ですよ。
というような、ACTに近い発想を述べておられた。さらに上記の「世間」に関して、
よく青春なんていいますけど、じつはあまり思い出したくないんです。ろくな思い出はありませんからね、個人的には。なぜだろう。たぶん辛抱してたからじゃないか。そんなふうに思います。辛抱した相手はなにか。結論を先に言えば、「世間」でしょうね。辛抱なんかしていなかった状況を言うなら、虫取りです。本当に好きでしたから。小学校の四年生からで、いまでも好きです。学校が休みになったら、もう即、虫取りにでかけちゃう。そのままで一生を過ごしたって、よかったわけです。でも「辛抱して」、勉強したり酒飲んだりしてきた。世間にお付き合いしたわけです。そうやって、世間を学ぶ。【『運のつき』マガジンハウス。一部、表記の改変あり】
このあたりのご心境については、私自身も思い当たるところがある。といっても真の隠居人生活を送るためには相当の財力が必要であり、残念ながら私には限界があるが。

 放送ではこのあと、ラオスでの虫取りの様子が紹介された。なぜラオスなのか?については、1つは、アジア大陸の雲南省辺りがたぶん中心となって虫が進化していったという点で一番近くにあって比較的多様性が高いという点、また、内陸国でありタンパク源として“昆虫食”が普通になっているため虫が捕りやすい国である点を挙げておられた。但し他にもいくつか理由があるという。