じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 12月16日の岡山は朝の最低気温がマイナス1.0℃まで下がり、この冬一番の寒さとなった。半田山植物園では、これに合わせて、一部が萎れかけていた皇帝ヒマワリと皇帝ダリアが綺麗さっぱりと撤去された。

2022年12月17日(土)



【小さな話題】AIが創り出す絵や音楽と、芸術家、モデル、俳優の将来(3)生身の人間は文脈的価値で生き残れる

 昨日に続いて、12月12日(月)のNHK「ニュースLIVE! ゆう5時」で取り上げられた、

●特集「AIで簡単に絵が描ける」 最新事情と課題

についての感想・考察。本日は、先に示した私の3番目の指摘:
AIの進歩により、イラストレーター、モデル、俳優、作曲家などの多くが失業するかもしれない。せっかく努力を重ねていたのにお気の毒であるとは思うが、これは、かつて電話交換手が失業、今後、自動運転技術によりバス・電車・タクシーなどの運転手が失業したりするのと同じで、くい止めることはできない。失業しないためには、生身の人間ならでは発揮できるような文脈を見つけて、その中で頑張るほかはない。
について、より詳しく考察する。

 まず、上記にも例示したように、科学技術の進歩は、さまざまな職業を奪ってきた。私自身が子どもの頃は、東京・渋谷のガード下には靴磨き屋さんが並び、また銀座線(当時は単に「地下鉄」と呼んでいた)の改札では駅員が鮮やかな手つきで切符切りをしていた。バスには必ず車掌さんが同乗していた。家のトイレは定期的に汲み取り屋さん(後にバキュームカー)の世話になり、また、くず屋さんが金物、ガラス類を買い取りに来ていた。毎朝、牛乳屋さんが便を届け、時たま、自転車に乗ったアサリ売り、シジミ売りも来ていた。こうした仕事に就いている人たちはそれなりに使命感を持って充実した毎日を送っていたはずだが、科学技術の進歩や流通事情の変化によって同じ仕事を続けることができず、転職や配置換えを余儀なくされていった。
 こうした歴史を見るならば、AIの進歩によって、一部の芸術家やモデルが失業する事態になったとしても不思議ではない。また、そういう人たちの生活を守るという理由で保護・規制をかけるのもどうかと思う。もちろん、趣味として芸術に取り組む自由はこれからも保障されるが、他の人たちからお金を受け取って生活をする(=仕事)ということになれば、お客さんの意向に従わざるを得ない。AIが創ったモデルさんが色々な服を着て、それを見た人が服を購入するという商売が低コストで成り立つならば、生身のモデルさんは不要となる。衣服、日用品、乗り物、建物などのデザインがAIで行われるようになれば、それらに携わっていたデザイナーは失業していくだろう。

 あくまで私の勝手な推測だが、今後数十年のうちには、
  • AIが描いた絵画のほうが好まれるようになれば多くの画家は失業する。
  • AIが作曲・作詞した歌のほうが好まれるようになれば多くの作曲家・作詞家は失業する。
  • ファッションモデルも失業。
  • 俳優は、舞台俳優として人気があり観客が集まる限りにおいては失業しない。しかし、SF映画などでは、生身の人間俳優のほかCGで合成された実在しないキャラクターがより多く出演するようになり、活躍できる場は限られてくる。そう言えば映画『A.I.』ではすでに登場者の一部はCGであった。今の時代であれば声優もAIに取って代わられる可能性がある。
といった変化が生じるであろう。

 しかし、そうした職種の人たちにも生き延びるチャンスはある。上にも指摘したようにそれは「失業しないためには、生身の人間ならでは発揮できるような文脈を見つけて、その中で頑張るほかはない」という方略である。
 例えば、
  • 書道で、作品を完成させるだけであればAIを達筆化することはできるが書道家の大筆のパフォーマンスはAIにはできない。
  • 俳優、歌手などは、舞台・公演で生身の迫力を見せたり、ファンと交流することができる。これらはAIにはできない。
  • 独自の画風を確立して人気を得た画家やイラストレーターは生き残れる。
などなど。
 そう言えば、何年か前に将棋のプロ棋士たちがAIに惨敗したことがあった。もはや将棋の実力は明らかにAIのほうが勝っており(←藤井聡太竜王だけはAI超えと言われているが)、これで棋士たちは失業するのではないかという声も聞かれた。しかしその後、NHK杯トーナメントなどもそうだが、プロ棋士たちの対局はAIの評価値や候補手とともに放送され、棋士たちのパフォーマンスを盛り上げるためのツールのような形で利用されるようになった。プロ棋士たちは決して100%最善手を指すわけではないが、時たま、見えにくい手で大逆転したり、長手数の詰めの手順を見つけたりすると喝采される。
 AIの話題からは脇道に逸れるが、大相撲なども、土俵上での取組だけでなく、それぞれの力士たちの人生、怪我を克服したり稽古に精進している姿などの文脈的価値があればこそ楽しめるスポーツである。単に強さを競い合うだけなれば、ロボット力士たちが対戦すればそれでよいが、ロボットたちには語るべき「人生」や苦難の克服や稽古といった文脈的価値が存在しないのでちっとも面白くない勝負になるだろう。

 前回も述べたように、芸術的価値というのは、普遍的価値と文脈的価値から成り立つ。病床に伏した画家が不自由な体を動かしてやっとのことで描き上げた作品は、技法的には不完全で稚拙なように見えるかもしれない。しかしその制作の文脈を知った上で鑑賞すれば、いろいろな思いが派生し、最高の名画のように見えるかもしれない。
 音楽の場合も同様で、メロティーとしてはシンプルであっても、特定の文脈で歌い継がれてきた曲は多くの人に感動をもたらす。

 ということで、AIがいくら進歩しても、文脈的価値に関わる部分は生身の人間が関与せざるを得ない。人間が営む芸術がすべて駆逐されてしまうということは人類が存続する限りはありえないと思っている。