じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 昨日の日記で、11月1日から30日まで岡山市内で行われている、

【第4弾】がんばろう岡山市!スマホ決済最大20%が戻ってくるキャンペーン

について取り上げた。初日は店舗が不参加店であったため利用できなかったが、翌日、近隣の天満屋ハピーズで還元適用対象の最初のd払いを達成することができた。892円の購入金額(消費税込み)に対して還元額は20%ジャストの178ポイントとなっている。
 もっとも、私の買い物は週に2回程度であり、金額も1回あたり1000円前後に限られている。妻の買い物と合わせて11月中に8万円もの買い物が可能かどうかは何とも言えない。

2022年11月03日(木)



【小さな話題】岡山の基礎をつくったリーダー達(2)池田光政

 昨日に続いて、10月30日にテレビせとうちで放送された、

プライド【岡山城リニューアルオープン特集 岡山の基礎をつくったリーダー達】

の備忘録。

 宇喜多直家に続いて2番目に取り上げられたのは、5代目城主池田光政(1609-1682)であった。

 池田光政は1609年に岡山城で生まれ24歳で岡山藩主になったという。ちなみに、ウィキペディアによれば、池田光政はずっと岡山で暮らしていたわけではない。1616年(当時7歳)に父利隆が死去したあとは、跡をついで42万石の姫路藩主となった。しかし翌1617年、幼少を理由に因幡鳥取32万5000石に減転封、1623年に15歳で元服し、徳川家光の偏諱を拝受し光政と名乗った。1632年、叔父の岡山藩主池田忠雄が死去し、従弟で忠雄の嫡男光仲が3歳の幼少のため山陽道の要所である岡山を治め難いとし、5月に光政は江戸に召しだされて、6月に岡山31万5,000石へ移封となり、光仲が鳥取32万5,000石に国替えとなった。以後「西国将軍」と呼ばれた池田輝政の嫡孫である光政の家系が明治まで岡山藩を治めることとなった。放送によれば、光政は、全国に先駆け庶民のための学校「閑谷学校」を作るなど、教育・医療・福祉・治水対策など今の岡山につながるものを多く整え、江戸初期の三大名君【他は、保科正之(陸奥会津藩主)と徳川光圀(常陸水戸藩主)】の一人に数え上げられている。

 放送では、倉知克直先生(岡山大学名誉教授)が登場され、光政の偉大なところを語っておられた【以下、長谷川の聞き取りによる】。
  • 名君と言われる人たちはみんな政治の理念をきちんと持っていて、その理念に基づいて1つ1つの行いや政策を考える。光政もそういう理念を大事にする人だった。
  • 自分で言ったことは自分もやっぱり先頭に立って実践をしていく。そして家臣とともに進めていく。率先垂範、実行の人と言ってもいい。
  • 光政の政治は思いやりのある政治「仁政」。
  • 光政は、1637年、29歳の時から日記を書き始めたが、大名本人が日記を書くのは極めて稀。以後32年間にわたって書かれた21冊の日記が残されている。1654年8月11日の日記は、岡山平野一帯が大洪水で甚大な被害を受けた後に書かれたものであった。参勤交代中だった光政は急遽岡山に戻り、岡山藩の基本方針を家臣たちに伝えた。それは、民が大変になっている時にはまず第一に民がちゃんと生活ができるようにしなくてはならない。そのことを日記では「赤子を育てるような政治」と表現している。光政は人々の救済策として麦、塩、布を配ったが、中にはそんなに困っていないのに「困っているんだ」という人もいた。だけど人を疑ってばかりいては本当に困っている人が救えない。民を信じないというやり方では政治はできない。
  • 光政はまた、家臣や庶民から意見を求めるための目安箱kを設置した(現在の岡山市北区丸の内、目安橋付近)。その箱の名前を「諫箱(いさめばこ)」と称したが、そこに光政の政治の考え方が非常によく表れている。すなわち、自分が家臣や庶民に諫めてもらうんだ、それで自分の政治をやり変えるんだ、ということ。この諫箱には14年間で1542件の投書が寄せられたが、光政はそのすべてみ目を通し要点を書き付けた。そして郡奉行らに託し、問題の解決にまで目を配った。彼自身が、政治はどうあるべきか、民が基本であるということ、そのために思いやりのある政治をする、そういう理念を掲げ、それがずっと岡山藩に継承されていったので岡山藩の1つの流れができた。
  • 光政の出発点にした功績は非常に大きい。だから名君として称えられた。
 放送では以上の説明に基づき、池田光政から学ぶべきこととして「諫めてもらう」を挙げていた。

 昨日取り上げた宇喜多直家のほうは、しばしば悪者扱いされているが、戦国大名としては卓越した力を発揮し、岡山の礎を築いた。もし、池田光政が戦国時代に生まれていたら、おそらく名君にはなれない。逆に宇喜多直家が江戸時代に生まれていても民が基本であるという理念に基づく政治はできなかったであろう。やはり、リーダーになりうる人物というのはそれぞれの時代背景によって異なってくるようであろう。となると、今の日本、あるいは世界で求められているリーダーというのはどんな人物なのか、それとも成り行きに任せてその場その場で短期的目線で対処していくだけに終わってしまうのか、よく分からないところがある。

 次回に続く。