じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 8月23日の日記に、
最近、スシローのほうでも、自動的にお皿をカウントするシステムが導入されている。スシローの場合、いくつかの価格帯があるが、お皿の色、もしくはお皿に取り付けられたICチップか何かで、お皿を手に取る時点でカウントされているようだ。
と記したところであるが、8月25日の来店時にお皿をひっくり返してみたところ、お皿の裏にICチップのようなものが取り付けられていることが分かった。
 ネットで検索したところ、こちらの情報(2020年12月5日)では、
...今まで「会計」ボタンを押してスタッフが皿などの数を数えて会計金額を計算していたが、これをAIのカメラ画像処理によって自動化する考え。
 このシステムは、スシローの利用者がレーンから取った皿をカメラでとらえ、AIが商品を画像認識して価格と数をカウント、ネットワーク経由で店舗システムと連携して自動で会計を行えるようにするもの。
と紹介されていたが、であるならばICチップは要らないはず。とするとICチップ自体は旧来の方式のカウント(=店員さんがハンディで読み取る)をしていた時の名残、もしくは、鮮度管理など別の目的に取り付けられている可能性がある。

2022年8月26日(金)



【連載】コズミックフロント「山本一清」「流星群の予測的中」

 少し前の放送になるが、7月〜8月に放送されたコズミックフロント2回分についての感想。
  • 【7月14日放送】アマチュア天文学の父 山本一清
     アマチュアは天文学の発展に欠かせない役割を果たしており、これまでに見つかった天体の半数はアマチュア天文家の発見によるという。こうしたアマチュア天文家の育成に大きく貢献したのが山本一清(やまもといっせい)であった。
     山本は京都大学の助手、助教授を務めるかたわら、1920年9月には天文同好会を結成した。その後、1925年には教授昇任、また1926年には山本の主張に啓発されての倉敷天文台竣工、1929年開台の花山天文台の初代台長に就任した。また、星や宇宙の魅力を伝える本を多数出版したり、同好会の機関誌「天界」を発行して天文学の普及につとめた。『天界』の第15巻第65号(1935年)の巻頭言では
     学者たる人々を相当以上に尊敬し、アマチュアを単なる「物好き」以外の何者でもないと認める人が多いが、之は、大なる誤りである。自分は、天文学上に於いて、所謂アマチュアと専門家との階級別を認めない。学の進歩は此の二方面からの協力あってこそ健全に実現するのである。
    と述べている。

     放送では、山本が育てた中村要、木辺茂麿、さらに山本によって元気づけられその後多くの彗星を発見した本田實や関勉のエピソードがいくつか紹介されていた。

     なお、放送では伝えられなかったが、ウィキペディアによれば、1935年頃より、山本を嫉視する者から山本を中傷する匿名文書が大学や文部省・関係者に郵送され、果ては当時京都帝国大学内で起きた汚職問題に山本が絡んでいるとのデマまで出回り、1937年には大学より辞職勧告を受けるに至った。山本としては理由が無い辞職はできず、汚職に関しては検事局が調査したが問題も出ず一年を越した所で、1938年5月31日に大学を依願退職した。
     戦後は戦後政治の世界にも自らの理想実現を求め衆議院選挙・滋賀県知事選挙に立候補するが落選、1948年8月村議会の要請により上田上村長に無投票当選したが、翌年村議会と対立し辞任した。晩年には地元ボーイスカウトの運営にも携わり、1959年1月16日滋賀県草津市の長男宅で没したという。

     このコズミックフロントでも各種紹介されているように、最近の天文学では観測機などを含めた観測技術の向上、撮影技術やAIによる解析技術が向上し、アマチュア天文家が活躍できる場はだいぶ狭められてしまったようには思う。それでも、宇宙に関心を向けるということは地球という天体の平和や環境を考える上でも大切な視点であり、アマチュアの育成の意義は今も変わらないように思う。

  • 【8月11日放送】流星群 星降る夜の謎

     番組の冒頭で「ある日本人研究者が、これまでに見たことの無いミステリアスな流星群が2022年5月31日14時06分(極大)に出現すると予言した」と紹介した。予言というのは科学的表現ではないが、この予測は、母彗星が分裂しそれによって発生した塵の軌道をシミュレーションし、地球の公転軌道との遭遇から計算されたものであった。この予測の方法は、かつて、しし座流星群の大出現を予測したデイビッド・アッシャー博士の手法をとり入れたものであった。そう言えば私自身もアッシャー博士のおかげで、2001年11月に、合計で800個にも及ぶ「流星雨」を眺めることができた。
     もっとも、この予測には否定的な見方をしている研究者もいた。ジェレミー・ボバイヨン博士(パリ天文台)は、この流星群が5月31日に現れるには、1995年の分裂の際にダストが十分な速さで噴出されていなければならないのだが、それが観測されていない。ジェレミーさんによれば、ダストは太陽風により方向が変えられ地球には届かないため、目で見られるような流星は観測できないと述べておられた。
     でもって、結末は、佐藤さんたちの研究グループの予測通りであり、しかも、珍しい赤色の流星が観測され、ダストにナトリウムに含まれている可能性が指摘された。
     放送の中では、佐藤さんが大学の研究室ではなく、ご自宅の床の間でノートパソコンを使って計算をしているシーンが紹介されていた。佐藤さんは学生時代は天文部に所属、製薬会社に技術者として就職したあとも天文愛好会で流星を追いかけてきた。上記の山本一清の繋がりであればアマチュア出身の天文家であるが、現在は国立天文台所属の研究者となった。山本一清の回に登場していたアマチュア天文家と異なって、本格的に研究チームに参加し、論文を発表しておられるという点がスゴイ。
     なおご自宅の床の間のシーンでは、3箇所ほど気になる映像が含まれていたが、個人情報に関わることかもしれないのでここでは記さない。いずれにせよ、今回の放送は実話ではあるが、十分に映画やドラマで演じられるのにふさわしいほどの感動的な物語性にあふれていた。

     ちなみに、今回の放送の主人公と言える佐藤さん、また国立天文台の渡部潤一・上席教授とは、それぞれ僅かながらご縁がある。
     佐藤さんは、私がWeb日記を始めた頃からご夫婦でそれぞれ星空日記を執筆しておられ、毎年、ご長寿日記として紹介させていただいている【当時、三行半日記グループというのがあり、日記猿人のほうにもデーテーペーな1日や、日記なんてねが登録されていた。】 但し、リトルさんの日記は2022年2月18日、怪鳥さん(佐藤さん)の日記は2021年10月10日以降、いずれも新たなエントリーがなく気になっていたところではあった(但し、佐藤さんはツイッターのほうでフォローさせていただいている)。
     渡部潤一先生のほうは、楽天版のほうで時々連載している2006年・エジプト皆既日食のツアーで、同じ旅行社の解説者として同行しておられた。個人的に会話させていただく機会は殆ど無かったが、一度、「かつてピラミッドの真上で皆既日食が見られたことはあったのでしょうか?」と質問させていただいたことがあった。お答えは、「分からない」。その理由は、(あくまで私が理解した限りであるが)、地球の自転速度がピラミッド建設の時代とは異なっている可能性があり、皆既日食が見られる時間帯にその影がピラミッド上空を覆っていたかどうかは確認できない、というようなことだったと思う。