じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 孫たちと一緒に到津の森公園に行った。この公園では竹棒を使って象に餌を与えることができるが、新型コロナ感染対策として、1回の餌やりは160人までに限られていた。象のほうも最優先で餌を欲しがることはなく、
  1. 屋外に登場(2頭の象がいるが仲が悪いので交代で出場)
  2. まずは背中に砂をかけて体のお手入れ
  3. 青草の束を平らげる
  4. そのあとでやっと、鼻を伸ばして竹棒の先の餌を取る
というように、なかなか餌を取ってもらえなかった。

2022年5月04日(水)



【小さな話題】立花隆さんの言葉その1

 4月30日、
  • 映像ファイル「あの人に会いたい」
  • NHKスペシャル「見えた 何が 永遠が 〜立花隆 最後の旅〜」
という立花隆さんの関連番組が2本放送された。2021年4月30日にお亡くなりになってから満1年になったのに合わせて放送されたようである。
 立花隆さんのことは、もちろんお名前は存じ上げているが、じつは御著書は1冊も読んでいないし、一般社会にどういう影響を与えたのか、あるいはどのように批判されているのかも殆ど知らないが、晩年の生き様や、死生観、遺したお言葉は、私自身の終活にとって大いに学ぶべきところがある。2007年12月、膀胱がんが見つかった立花さんは、その後、がんの正体や死について精力的に取材に取り組むが、最晩年には一切の検査や治療を拒否した。また、亡くなる前には「墓も戒名もいらない。遺体はゴミとして捨ててほしい。集めた膨大な書籍を一冊残らず古本屋で売り払ってほしい」という言葉を遺した。NHKスペシャルでは、立花さんがいかにしてそのような境地に達したのかについても、謎解きが試みられていた。

 以下、印象に残ったお言葉のメモ(長谷川による改変あり)。本日はそのうちの前半。
  1. 【あの人に会いたい】人間みんな死ぬまで生きられるんです。ジタバタしてもしなくても死ぬまでみんなちゃんと生きられます。その単純な事実を発見して、死ぬまでちゃんと生きることこそ、がんを克服するということではないでしょうか
  2. 【あの人に会いたい】自分が日々の生活の中で 何を読み 何を体験し 何か感じる機会ですね。どういう機会に対して 自分の持っている時間を振り向けるか 何にでも使える時間というのが出てきたときに その人がそれを何に使うか 
  3. 【NHKスペシャル】墓も戒名もいらない。遺体はゴミとして捨ててほしい。集めた膨大な書籍を一冊残らず古本屋で売り払ってほしい。
  4. 【NHKスペシャル】人間はどこから来てどこへ行こうとしているのか。そこのところをいろんな角度から光を当てて考えるということを続けてきたわけです。
  5. 【NHKスペシャル】(文藝春秋社・元社長・平尾隆弘さん談/ナレーション)見当識:自分が誰なのか、今どこにいるのか、今がいつなのか。これを人類全体にあてはめ、自分たちは何者か 宇宙や世界はいつどのように始まり、未来はどうなるのか?を探ろうとしていた。
  6. 【NHKスペシャル】真の人間性は 自然状態にある。自然人においてこそ花開いている。そのように高い文化をジャングルの中に住んでいた未開のインディオたちが作りあげたということは、確かに歴史における一つの驚異なのである。
  7. 【NHKスペシャル】立花隆さんは、様々な境界(生と死、地球と宇宙、人間とサル)がどうなっているのかを最晩年まで探求した。そもそも我々人間がやっている文化的営為 それは一体何なのかという問題があるわけです。それは人間の存在あるいは人間が作り出す文化をどういう視点から捉えるかという問題なわけです。それは一体 誰がどうやって 誰がどうやったところはどうやって判断するのかという、その哲学的的な根本的な分け目のところが人類史の中で誰もちゃんと回答していない 回答できない、そういう部分があって実はそこが一番面白い部分があるわけです。だいたい哲学って僕は実は哲学の卒業生でもあるんですが、哲学の最も面白いところはそこにあるわけです。学問の面白さの相当部分は、実はその辺りにあるわけでして、...
  8. 【NHKスペシャル】僕は昔から勉強が好きなんです。あなたの職業は何ですか?」って聞かれると、簡単に言えば「僕は勉強屋だ」って言えるんじゃないか。知の営みはやればやるほど分からないことがさらに広がっていく。何を知らないか、何をどれほど知らないか、ということがだんだん分かってきた。その知らなさの具合が分かってきた。
  9. 【NHKスペシャル】これほど貪欲に知を蒐集した立花さんが、なぜ最後に「無になる」という選択をしたのか? 晩年の講演の中に立花さんの死生観が表れている。人間というのはそう簡単にがんから逃れられない。生きることそれ自体ががんを育てている。そういうことが分かってくるわけです。やっぱり人間は基本的に死すべき動物というか、死なないってことはあり得ないです。だからどこかで病気がその辺に差し迫ってきたとしても、どこかでその来たるべき死を受け入れるスイッチを切り替える以外にない。
  10. 【NHKスペシャル】がんは生命の仕組みと分かちがたく結びついている。がんの能力というのは、生命というものが生き抜いてきた生命の歴史そのものががんの強さに反映している。...がんというのは、半分自分で半分エイリアン。がんをやっつけようと思っている時にエイリアンの部分だけをやっつけられればいいのだが、半分自分なんですよね。
  11. 【NHKスペシャル】立花さんは晩年になって人は死ぬ時にどうなるのかについて探求を深めていった。世界中の脳科学者に執拗に聞いて廻った結論は、
    ●死後の世界の存在を証明する科学的根拠はなく、死んだら物質的には無に帰る
    ということであった。
    死の向こうに死者の世界とか霊界といったものはない。死んだら全くのごみみたいなものとなる。意識なんてものも全く残らない。これがひとつの唯物論的な、即物的な考えで、これは微妙なところです。こういう考えに賛成する人もいるだろうし、そうでない人もいると思います。
 ここからは私の感想になるが、まず、癌がなぜ起こるのかについては、遺伝子のコピーのミスが根本原因の1つであると私は理解している。コピーのミスを無くせば癌も変異も起こらないが、そうすると種としては多様な環境変化に適応できなくなり全滅してしまうリスクが増える。いっぽう、個体レベルでは、コピーミスを防ぐために細胞分裂を停止するような仕組みが備わっている。これが老化ということになる。このあたりの話は、少し前の「ヒューマニエンス」でも取り上げられており、いずれこのWeb日記にも備忘録として記す予定。

 生と死については、私も立花さんとほぼ同じ死生観に達している。このWeb日記に何度か書いているように、私は子どもの頃から一貫して死後の世界のようなものは全く想定していない。死んだら無に帰るのもその通りだと思うが、ゴミとして処理されるくらいなら献体として医学教育に役立ててもらったほうがありがたい。もっとも、死者を弔うための宗教的な行為は、残された人たちの悲しみを減らし、気持ちを整理する上では有用であるとは思っている。

 立花さんは「知の巨人」というニックネームを持ち、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたる御著書があることで知られているが、ジャーナリストとしての立場からの謎解きには限界があるように思われる。現実社会の問題ならともかく、生命や進化の謎を解き明かすには基礎からの体系的知識が必要である。ある専門分野を深く掘り下げようとした時に求められることは、やはりその分野の基礎からしっかりと学ぶ必要がある。世界を飛び回って最先端の研究者に直接取材をしたからといって、そこで分かることは限られている。研究者の夢や将来の方向を探ることはある程度はできるだろうが、どうしても比喩的な納得にとどまってしまう。未開の地に暮らす人々への取材もまた限界がある。そこに暮らす人々から直接話を聞いたとしても、そこで本心が語られているかどうかは分からない。【そう言えば、だいぶ前のことになるが、私のゼミの卒論生が「僧侶の生きがい」を調べようとして、お寺のお坊さんにインタビューしたことがあった。しかしお坊さんはもっぱらその宗派の教義を語るばかりであり、生身の人間としての本音までは語ってくれなかった。】
 とはいえ、立花さんご自身が指摘しておられるように、「ありとあらゆる専門家が実は断片のことしか知らない。専門家が総合的に物を知らない。」という別の問題もある。ま、一個人としての能力には限界があり、分かろうとする姿勢を保ち続ければそれでよく、すべてを網羅する必要は無い、という面もある。

 次回に続く。