じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ケヤキの新緑が美しい季節となっている。写真は岡大・生協食堂(マスカットユニオン)2階から眺める新緑。

2022年4月21日(木)



【連載】abc予想証明をめぐる数奇な物語(5)異なるものを同じと見なす技術

 4月20日に続いて、

NHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語【ブログ後編はこちら

についての感想と考察。59分バージョンをベースにして、4月15日の23時から放送された89分「完全版」を参照しながら感想を述べることにしたい。

 放送では、abc予想が提案された1985年、わずか16歳の望月新一青年がアメリカ・プリンストン大学に入学したというエピソードが紹介された。ウィキペディアによれば、望月博士の来歴は以下のようになっている。
  • 国際関係論の学者であり経済人であった父 Kiichi Mochizukiとユダヤ系アメリカ人 Anne Rauchの長男。
  • 父の仕事の関係で5歳で日本を離れ、中学生(筑波大学附属駒場中学校)時代に1年間日本へ戻った以外は、アメリカで育つ。妹に北欧美術史学者の Mia Mochizuki (Ph.D. 2001 Yale University)がいる。
  • フィリップス・エクセター・アカデミーに2年間在学し、16歳でプリンストン大学へ進学
  • 19歳で学士課程を卒業(次席)。
  • 23歳で博士課程を修了しPh.D.を取得。
  • 日本へ帰国後は京都大学に採用され、助手(23歳)、同助教授(27歳)を経て、同教授(32歳)に昇任。
 望月博士の大学院博士課程時代の指導教授は、ドイツが誇る数学の権威、ゲルト・ファルティングス博士(マックス・プランク数学研究所所長)であった。望月博士同様、ファルティングス博士も天才中の天才と言われており、23歳で博士号を取得、27歳で教授に昇任、32歳でフィールズ賞を受賞(モーデル予想(ファルティングスの定理)の証明)している。
 放送ではここで、望月博士のエピソードからいったん離れて「そんなファルティングス博士を初めとする数学者が大切にしている現代数学の原理・原則があります」として、

●数学とは異なるものを同じと見なす技術である(アンリ・ポアンカレ、1854-1912)

の話題に移行した。放送では、その例として、
  • 「リンゴが3つ」と「杭に3回巻かれたロープ」を同じものと見なす考えは有史以前からあった。
  • 18世紀から19世紀前半にかけては、図形と方程式という異なる概念を「同じ」と見なす考えが登場した(「α、β、γの置換に関する対称性が同じだ」)
  • 19世紀末には、コーヒーカップとドーナツが(変形すれば)同じ形になるという考えが登場した(=トポロジー)
 このことに関連して、マーカス・デュ・ソートイ博士(オックスフォード大学)は、
意外に聞こえるかもしれませんが、異なるものを同じだと考えるやり方が数々のブレークスルーを生みました。異なるものであってもそれを同じであると見なすことが数学者の物の見方であり、それが複雑なものを単純化し、問題を解くための強力な武器となってきたのです。
と語っておられた。また、ファルティングス博士らは数の集まりと曲線を同じものと見なす考え方を推し進め、これにより数々の難問を解決し、フィールズ賞の受賞に繋がった。

 しかし、望月博士は、いま述べた現代数学の原理・原則を打ち破る考えを提唱することになる。ある時、青年時代の望月は、ある日友人との「これまでの数学にとらわれないためにはどうすればよいか」という会話の中で、それは「どんな問題を証明すべきか」、「どんな問題に魅力を感じるべきか」という話であり、望月青年は、

●問題自身はシンプルでも、その解決には非常な深さと構造が必要であるような根源的な難問を証明したい。

と話していたという。この会話が交わされたちょうどその頃、abc予想が成り立てばドミノ倒しのように数々の難問が解決されるというニュースが伝わってきた。放送に登場したノーム・エルキース博士(ハーバード大学、「abc予想が成り立てばェルマーの最終定理が証明できる」の発見者)は、黒板に、
  • a、b、cが互いに素であるならば、abc予想により、
    rad(a)rad(b)rad(c)≧εc0.99
    が成り立つ。
  • フェルマーの最終定理:
    n+yn=zn
    で、n=3の時はそのようなx、y、zが存在しないことはオイラーによりすでに証明されている。
  • n≧4の時は、
    z3≧rad(a)rad(b)rad(c)≧ε(zn0.99≧εz3.96
    となるので、そのようなx、y、zが存在することは不可能。
というような式を書いて、わずか2行で証明できることを示した【エルキース博士は、rad()ではなくN()と表記しておられた。基本的な証明方法は、昨日取り上げた証明法と同様ではないかと思われる】。

 ここからは私の感想・考察になるが、「数学とは異なるものを同じと見なす技術である」というのは、数学が具体的事物の個性には目をつぶり、共通性を抽象化、関係性を体系化した学問として発展したことはその通りであろうと思う。その数学の特徴は、小学校で教わる算数の中に徐々に現れてくる。私自身も学生・大学院生時代に何人かの小・中学生の家庭教師を担当していたことがあったが、小学生が算数を学んでいてぶち当たる壁の1つは、

●ツルが5羽、カメが3匹います。足の数は合わせて何本?

というような問題であった。もしそれが、

●リンゴが5個あります。3個加えたら何個?

であるなら話は簡単だが、見た目にも全く似つかず、機能も大きく異なっているツルの足とカメの足をなぜ「合わせ」なければならないのかは誰も説明してくれない。そのことをあっさり理解できる子どももいれば、なぜツルの足とカメの足が同じなのかを真剣に考える子どももいる。

 次回に続く。