じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 各種報道によれば、1月22日の午前01時08分頃、日向灘を震源とするマグニチュード6.4の地震が発生し、大分市などで震度5強を観測した。
 この地震で、岡山でも岡山市南区や倉敷市で震度3、岡山市北区で震度2を観測したという。私自身もこの地震で目が覚めたが、揺れたこと自体ではなく、緊急地震速報がテレビやスマホなどで伝えられ、なんとなく騒がしくなったことで起こされたようだ。岡山では滅多に地震が起こらないため、震度2でも大きな揺れであるように感じた。


2022年1月22日(土)



【連載】瞑想でたどる仏教(28)マインドフルネス瞑想(2)

 昨日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、

●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する

のメモと考察。

 昨日の日記で記したように、放送では、マインドフルネス瞑想に関連して、
  • 最近あった嫌な体験、これからあることで不安に思っている体験を思い浮かべる。
  • ディスプレイに「ン」と「ソ」が表示される。「ソ」が出てきた時だけ手を叩く。
というデモ実験が紹介された。この実験では、私たちの気分が注意によって影響されるという点が示されるものであり、本来のマインドフルネス瞑想のメインの方法では無さそうであった。いずれにせよ、このやり方では、不快な記憶や将来の不安を取り除くことはできず、一時的に気を紛らわせているだけにすぎないように思われる。
 ブッダは念処を「止」と「観」に分けた。11月21日記したように、ブッダ自身が発明した瞑想法は「観」であったはずだ。
ブッダ自身はまた念処を「止(し)」と「観(かん)」という2つの方法に分けており、前者の「止(=サマタ)」はブッダが悟りをひらく前に2人の仙人から教わった方法であり、一点に集中し、心の働きが止まっていくという意味で名付けられた。いっぽうの「観(=ヴィパサナー)」は観察対象を広げその周囲にも注意を向ける。ブッダ以前の瞑想は「止」であり、確かに瞑想の最中は心の働きが起きないので悩みも苦しみも生じない。しかし「止」から日常に戻ると悩みや苦しみが復活してしまう。ブッダは「止」は真実の悟りに至る道ではないのではないかと考え、ブッダのオリジナルの方法である「観」を重視した。この「止」と「観」の区別は、ブッダのお弟子さんたちによって定式化されたようである。

 この「止」を実践するには、例えば、ボウリング場で椅子に座って瞑想し、最近あった嫌な体験、あるいはこの先の不安などを思い浮かべるたびに、それらをボールに見立てた上でボールを投げる。ピンがいくつ倒れたのかどうかや、フレームの回数は考慮せず、とにかくそういう思いが生じるたびに投げ続けるのである。そうすれば、いずれ、嫌悪の感情や不安は分離され、「受け流す」ことができるようになるはずだ。ここではボウリングを例に挙げたが、バッティングマシーンでも、ゴルフ練習場の打ちっぱなしでもよい。

 放送ではまた、マインドフルネス瞑想中に生じる副反応についての研究が紹介されていた。調査参加者の人たちに8週間、毎日家に帰ってから20分程度の短い瞑想を行っていただき、瞑想を妨げる具体的な状況を報告してもらった。越川房子先生は、
望まない効果というものはどういうタイプの人にあらわれやすいのか、そういう効果を抑制するにはどういう方法があるのかが明らかになって初めてその技法をより適切に安全に効果的に使えるようになると考えているので、副作用・副反応についての研究は効果研究と同様に重要であると考えている。...瞑想というと、オウム真理教の事件などもあって、危ないものであるとか、何か分からない、気のせいの眉唾物ではないかと考える人も多いと思われるので、その効果を科学的に実証し、同時にどういうリスクがあるのかが分かっていくと、日常のストレスとうまく付き合うための技法の選択肢の1つとしてなっていけるのではないかと思っている。
と語っておられた【長谷川の聞き取りによる】。

 ここからは私の感想・考察になるが、越川先生が「望まない効果というものはどういうタイプの人にあらわれやすいのか」と語っておられた部分は、何だか『摩訶止観』で分類されていた、「貪欲、瞋恚、愚痴、等分」という分類」と似通っているように思われた。もっとも、マイナスの反応がいつどのように生じどのように作用するのかということは、文脈にも大きく依存しているように思われる。といっても、実験・調査の参加者たちは、みずからが瞑想を行う際の文脈を正確に報告できないであろう。むしろ、研究者の側から文脈を操作するような「自分が○○という状況に置かれたと仮定して瞑想してください」という教示をするとか、瞑想の直前もしくは瞑想の最中に映像や音声を提示するような操作をするとか、いろいろ条件を変えた上で、副反応の起こり方を分析する必要があるように思われた。なおACT(アクセプタンス・アンド・コミットメント・セラピー)では、文脈は「関係的文脈」と「機能的文脈」に分けられており、「機能的文脈」のほうに注意を向けることを推奨しているようだが、瞑想を活用する際にも、ただ漠然と瞑想を実施するのではなく、「機能的文脈」に注意が向くように誘導する形の瞑想を行うことがより効果的ではないかと推察される【←あくまで、隠居人としての立場からの推察にすぎない。念のため】。

 次回に続く。