じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 1月13日夕刻の気象情報のコーナーで、日本海側の大雪に関連して「JPCZ」という言葉が使われていた。私は、中学時代に「地学・天文・気象」の部活動に参加して以来55年にわたる気象マニアであるが、「JPCZ」という言葉を耳にしたのはこの日が初めてであった。
 さっそく、ウィキペディアで検索したところ、
日本海寒帯気団収束帯(にほんかいかんたいきだんしゅうそくたい、Japan sea Polar air mass Convergence Zone:JPCZ)とは、冬季に日本海で形成される、長さ1,000km程度の収束帯のことである。
という説明があった。また1月13日20時40分夜配信のNHKオンラインニュースに解説があり、さらに「日本海寒帯気団収束帯 NHK」で検索したところ2021年12月24日21時28分配信記事でもこの言葉が使われていることが分かった。2020年以前では、2018年1月15日発信のウェザーニュースに紹介記事があり、その中で、

【参考・参照元】「そのとき山陰地方には日本海寒帯気団収束帯(JPCZ)が発生していた」,『季刊SORA』2011冬号vol.13,p32-p33,IDP出版

が引用されているようであった。

 ウィキペディアやNHKの記事によると、JPCZは、日本海に発生する単なる筋雲ではなく、朝鮮半島北部にそびえる白頭山やその周囲の長白山脈の影響で、寒気の気流が強制的に二分され、再び合流するときに一定のラインで衝突することがある。これが日本海寒帯気団収束帯(JPCZ)であるとのことだ。

 中国語版では、JPCZは「日本海極地氣團輻合帶」と表記されており、「此現象由日本氣象學家淺井冨雄所提出」とあった。注釈によれば、出典は、

浅井冨雄. 気候変動 - 異常気象・長期変動の謎を探る. 日本東京都: 東京堂出版. 1988年6月. ISBN 4-490-20138-9 (

となっていた。浅井先生の情報はこちら

 この用語はアルファベット4文字だが、JがJapan seaの略である以外は馴染みの薄い言葉のイニシアルであり、おそらく一般には定着しないだろう。「ペクトゥ収束」とか「ペクトゥ効果」とすれば覚えやすいが、地政学な議論が起こるかもしれない。

2022年1月14日(金)



【連載】瞑想でたどる仏教(22)貪欲、瞋恚、愚痴への治法

 昨日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、

●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する

のメモと考察。

 昨日のところで、『摩訶止観』によれば瞑想中に生じる代表的なマイナスの反応には以下の4つがあるという話題を取り上げた。
  • 煩悩:心身を煩わせ悩ませる精神作用
  • 思覚(しかく):あれこれと考えてしまうこと
  • 業相境(ごうそうきょう):過去の体験が報いとして現れること
  • 魔事境(まじきょう):幻覚的なもの

 このうち、煩悩が生じた時の対処法は「治法」と呼ばれるが、治法の内容は瞑想者の気質によって決まってくる。
  • 貪欲(とんよく):食欲や色欲など、むさぼりの気持ちが強いタイプ。
  • 瞋恚(しんに):怒りの気持ちの強い人。他人の横柄な態度などの腹立たしいことが浮かび、イライラするタイプ。
  • 愚痴:愚かさが強く、見聞きしたことや物事の道理を理解できないタイプ。瞑想中も頭の中で右往左往する。
  • 等分:上記3つのタイプがどれも等しく存在しているタイプ。
 まず、貪欲が強いタイプの人に対しては「不浄観」が良いとされている。インドの文献の中では「不浄観」は死体が腐敗していくさまが観察の対象とされることがあったが【2021年12月2日の日記参照】、このほか、爪、髪の毛、皮膚などが不浄であることを確認していくことも含まれる。異性に対する欲求が強い人に対してはとくに有効であるという。
 貪欲に対する治法としては、番組では不浄だけしか紹介されていなかったが、この方法が本当に有効かどうかは疑問が残った。「不浄」というのは「執着の対象になっているものが本質的に見たらどういうもであるのか」を確認することであるというが、もともと性欲というのは、子孫を増やすために遺伝子に組み込まれたもので、人間の本質と考えるべきである(←遺伝子のバリエーションによって性的マイノリティが存在することは確かだが)。チベットのお寺で歓喜仏(合体仏)の像や壁画がよく見かけるが、このことから見ても、「色欲」は煩悩として全否定されているわけではないように思われる。
 なお、高齢になって「生」への執着が強い人に対しては不浄観は有効であるように思われる。

 次に、瞋恚に対する治法として、「慈悲観」が有効であると説明された。慈悲観は、一切の生きとし生けるもの、さらには未来の者に対しても注意を向けるような瞑想であるという。

 3番目の愚痴に対する治法としては、十二因縁が紹介された。リンク先にもあるように、十二因縁とは「無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死」であり、コトバンクからの孫引きになるが、日本大百科全書(ニッポニカ)では
仏教のきわめて重要な、いわゆる縁起思想は、いっさいのものに独立の実体を認めず、それらが他のものに縁(よ)って成立していることを意味するが、われわれの存在のあり方について考察した諸縁起説のうち、初期の段階でもっとも完備したものが、十二因縁(十二縁起ともいう)であり、次の十二支をたてる。
【中略】
人生の苦は何か、何によって苦が生ずるか、ということから出発して、前記の系列を(12)からさかのぼり、最後に無明に到(いた)る。そしてそれを正しく自覚することによって明(みょう)が生じ、無明が滅ぶ。それがふたたび先の順序に下りつつ、それぞれが滅び、ついに苦を滅ぼす悟り、すなわち解脱(げだつ)に達する、と説く。部派仏教では、この十二因縁を時間的に解釈し、(1)(2)は過去世の因、(3)〜(7)は現在世の果、(8)〜(10)は現在世の因、(11)(12)は未来世の果と、三世にわたって二重の因果が重なっていると解し、そのうえにさらに詳しい説明を加える。大乗仏教では、いっさいの相依関係に深化して縁起を説くが、この十二支因縁説はやはり存続した。
と説明されていた。私自身は、右往左往するタイプなので、煩悩に対処するにはこの十二因縁からしっかり学ぶことが必要のようである。

 次回に続く。