じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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私の住んでいる所では12月5日から6日頃に、夕日と旧・京山タワーがピッタリ重なる「京山皆既日食現象」が見られるはずであったが、1日目はあいにく雲が多く、コロナのような輝きは出現しなかった。昨年12月は12月5日12月6日の両日とも、雲に邪魔されずに眺めることができた。


2021年12月06日(月)



【連載】チコちゃんに叱られる!「皮線」と手相占い、ハンコの必要性、「製造メーカー」

 昨日に続いて、12月4日に放送された表記の番組についての感想と考察。本日は、
  1. 白い卵と茶色い卵はなにが違う?
  2. なぜ手のひらには線が入っている?
  3. なぜハンコを押す?
  4. 間違えやすい日本語「製造メーカー」
という4つの話題のうち、残りの2.から4.について考察する。

 まず、2.の手のひらの線は、「お母さんのおなかの中で手を握ったから」と説明された。この線は「皮線(ひせん)」ともいい、皮線によって手の神経や血管の位置を推測し手術を行うこともある。皮線は、赤ちゃんがお腹の中にいる胎児の時に形成される。胎児は妊娠2か月ほどで骨・筋肉が形成され、初めて手を握ることができるが、その時、グーパーの動きを繰り返すことで刻まれるといわれている。
 手相に対応して形成のプロセスを分類すると、
  • 感情線・頭脳線:人差し指から小指を曲げることで形成
  • 生命線:親指を折りたたむことで形成
人それぞれ形が違うのは、手のひらを握りしめる強さや回数、骨の大きさが一人ひとり微妙に違うからであると説明された。
 これらの皮線は、誕生後も、手を握る力や使う頻度によって変化することがある。スマホで親指を使って操作する人は、生命線が濃くなる可能性があるという。

 ちなみに、ネットで検索したところ、指紋(指先の皮膚にある汗腺の開口部が隆起した線(隆線)により出来る紋様)のほうは妊娠5ヶ月くらいで形成され、終生変わらないという。

 番組では、このあと、岡村隆史、「チコちゃんの知り合い」のおじさんである木村祐一、塚原愛アナの手相占いが紹介されたが、娯楽番組とはいえ、占いを肯定するような取り上げ方には少々どうかなという気もする。
 占いではいっけん、いかにも本人の特徴が手相に現れているかのような解釈がなされていたが、それは、手相のさまざまな特徴のうち、本人の特徴に合致している部分だけを取り上げて強調するから当たっているように思われるだけである。もし、誰の手相か分からないような条件のもとで手相の写真を見せたら、占い師はそこから本人の特徴を言い当てることはできないだろう【←指先の特徴から、ピアニスト、タイピスト、大工、漁師といった職種を当てることはできるかもしれないが】。もっとも、占い師は、占いの結果が検証されないように、曖昧な表現で予測をするので、そう簡単にはインチキだと証明されてしまうようなヘマはしない。

 なお、占いがインチキだからといっても、その役割を全面否定しているわけではない。経験豊富な占い師は、人生相談においてポジティブな方向を見つけてくれるかもしれない。結果的に、駆け出しの心理セラピストよりも良い影響を与えてくれるかもしれない【←もちろん悪徳占い師もいれば、カルト宗教の勧誘にも利用されるので見極めが必要だが】。




 3.のハンコについては、番組では「いつ何回押しても印鑑が同じだから」と説明された。日本最古のハンコは西暦57年の国宝・金印であり、その後大宝律令という法律のもとに、政策を決定する書類などにはハンコが使用されるようになったが、平安時代には花押も登場した。しかし、花押は書くたびに字形が変わってしまうため本物か偽物かの見分けがつきにくい。そこで、何度押しても変わらないハンコが復活。江戸時代には一般の人も使い始め、明治時代になると印鑑登録制度が導入されて通帳などにハンコが使われるようになり、本人確認のアイテムとして一般に普及したという。もっとも、最近ではデジタル化推進の一環として押印を廃止する動きが強まっており、自治体によっては「98%廃止」、「市内完結なら全廃」といった方針を打ち出しているところもあるという。

 私自身もこの押印廃止の動きには大賛成である。少なくとも、三文判で足りるような押印は、第三者が100円ショップで買ってきた三文判でも代用できるため本人認証のために全く意味をなさない。また、現職時代には何度か経験したことがあるが、うっかりハンコを持ってくるのを忘れると、本人が目の前に居るにもかかわらず、後日もう一度出向いて三文判を押すというムダな時間を費やしたこともあった。

 印鑑証明を添付した実印の使用についてはある程度は本人認証に有用かもしれないが、いまの時代、陰影をコピーした上で3Dプリンターのようなもので実印を偽造することは簡単にできてしまう。そんなことよりは、手書きのサインの筆跡で認証したほうがはるかに偽造防止になる。他にも、ネット上でしばしば利用されているようなスマホ認証、メール認証、あるいは、無人店舗で利用されているような顔認証や指紋認証を文書の押印に代えることもできる。過去のハンコ屋さんの貢献は十分に理解できるものの、もうこのあたりで、押印文化からはキッパリおさらばするべきであろう。




 最後の間違えやすい日本語では、「製造メーカー」という冗長な表現が紹介された。「加工メーカー」、「素材メーカー」というように製造する内容を付け加えたもの、もしくな単に「メーカー」あるいは「製造業」という表現が妥当となる。
 「メーカー」に関して私が抵抗を感じる表現には「メーカー品」というのがある。造られたものなら何でも「メーカー品」と呼ぶべきであり、でなければ「一流メーカー品」とか「三流メーカー品」というように区別すればよいのにと思う。
 このほか、「製造メーカー」と同様の冗長表現に相当するものとして、イシククルとかソンクルといった湖の名前の表現がある。これらの場合、「クル」は湖という意味なので、「イシククル湖」や「ソンクル湖」ではなく「イシク湖」や「ソン湖」が正しいと思うのだが、これでは通じなくなる恐れがある。ま、日本の琵琶湖なども「Lake Biwa」で通じるのか、伯耆大山の大山は「Mt.Dai」、神奈川県の大山は「Mt.Oh」で通じるのかというように、冗長表現のネタはつきないところではあるが、