じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



12月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

「ナゼそこ?」で紹介された「月見山焚き火セントラル」のマップ。すぐ近くには「ドイツの森」があり、それほど山奥ではない。 なお、入り口の道は「美作やまなみ街道」からのループになっているが、このループがなぜ造られたのかは大きな謎である。↓の記事参照。


2021年12月04日(土)



【小さな話題】『ナゼそこ? 岡山編』のウソホント:「月見山焚き火セントラル」「赤迫農園」/老後の移住は幻想

 11月25日の夜に放送されたテレ東系、

ナゼそこ? 「4500坪の森を開墾する元東大生&半裸男」2時間ちょいSP【本日の時点では、放送全体を無料で視聴可能】

を録画再生で視た。このシリーズは、以前にも何度か視たことがあったが不定期放送となってからは御無沙汰。今回、岡山の山奥が取り上げられるということで久しぶりに拝見した。

 番組では3人の「秘境人」が登場されたが、2番目の87歳の男性は家の中の取材を拒否されたので、実質的には残りの2人を取り上げた番組であった。それぞれの「秘境人」の生活ぶりには感銘を受けたが、そのいっぽう、民放にありがちな過剰な演出もあり、また「衝撃の理由」とか「意外な結末」などと勿体ぶりながらCMや別のエピソードを執拗に挿入する構成は私の好みでは無かった。

 最初に登場されたのは、タイトルにも含まれていた「4500坪の森を開墾する元東大生&半裸男」であった。東大理一に入学したものの、高校までとレベルが違い、2年生で自主退学。その後、沖縄の塾講師の求人を見つけて27歳の時に沖縄に移住し、31歳の時に激安のゲストハウスをオープンした。この事業は大成功で、他県にも宿をかまえるほどになったが、ルーティンワークは性が合わず、岡山の山奥に村(キャンプ場?)を作り始めることになったという。取材現場には、赤く塗られた木造建造物があるがこれは東大の赤門をモチーフにしたもの。他にテントの倉庫、バンガローのような小さな建物、トイレ、風呂、未完成のプールなどがあった。独り暮らしと紹介されているが、もうお一人、沖縄から「てっちゃん」とお呼ばれる男性が不定期で長期滞在し、建築の手伝いや農作業などをやっているという話であった。

 ここからは私のコメントになるが、まず、「月見山焚き火セントラル」という場所は、番組で演出されたほどの山奥にあるわけではない。↑のマップにもあるように、この近くには「ドイツの森」があり、ルート検索によれば、車での所要時間は8分となっていた。実は私自身も、この近くの国道484号を通ったことがある。Googleのストリートビューでも確認できるが、そんなに危ない道ではない。またその国道から北に向かう道は「美作やまなみ街道」という広域農道になっていて、これまた快適なドライブコースになっている。

 このルートで1つだけ謎であるのは、「美作やまなみ街道」を北上して「月見山焚き火セントラル」に向かう際に、すぐに右折するのではなく、いったん左折して、この広域農道の上をループするように舗装道路が続いていることである【Googleのストリートビューでも確認できる】。「月見山焚き火セントラル」のためにこうしたループや舗装道路が造られたとは到底思えないので、道路の先には何か別の施設を造る計画があったものと推測されるが、大きな謎である。

 このほか老婆心ながら、建築基準法とか固定資産税とかが気になったが、専門的なことは分からない。それなりにうまく対応しているものを思われる。

 なお、「月見山焚き火セントラル」は、こちらにInstagram、こちらにTwitterが開設されており、来春には本気でキャンプ場を開設するらしい。




 3番目は、布賀集落(高梁市備中町布賀(ふか))で単身、ブドウ作りに励む赤迫さん(46歳)が登場された。こちらのほうも、狭い山道、カーブ、急な上り道などが演出されていたが、岡山中部や四国の祖谷渓付近の山道などと比べて特に難路というわけではなかった。また集落自体はかなりの規模であり、ブドウ作りの村おこしで活躍している人の生活ぶりを紹介したものであった。ブドウ作りの熱意は十分に伝えられたが「秘境人」と呼ぶのは大げさであるように感じた。

 なお赤迫さんの生活ぶりはこちらでも紹介されており、ご自身のInstagramがこちらにリンクされていた。




 3番目の取材現場になった高梁市では空き家情報移住相談を受け付けているようである。私自身も若い頃には、山奥で自然と一体化した生活をしてみたいと思ったことがあったが、さすがにこの歳になるともはや不可能。広い敷地があっても耕す体力はないし、古民家のメンテも骨が折れそう。それよりも、近隣に食品スーパーや病院があることのほうが生活上の必須条件となっている。このことで思ったが、「老後の生活」は何でもできるというほどの自由度は無い。山奥での生活を望むならば、もっと若い40歳代、遅くても50歳に移住を始めるべきではないかと思う。【海外旅行も同様。辺境旅行やトレッキングに出かけることを望むなら、若いうちから可能な限り旅行資金と時間を確保して参加すべきであり、「老後の夢」などと思っていると、けっきょくどこにも行かれずに人生を終えてしまうことになるだろう】。