じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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12月3日の朝はよく晴れ、東の空に月齢28.0の細い月が見えていた。月の近くには火星があり、8時20分頃から火星食が始まる予報となっているが、肉眼では接近した火星を眺めることはできなかった。
 なお12月4日は新月で旧暦の11月1日となる。


2021年12月03日(金)



【連載】瞑想でたどる仏教(10)手動瞑想、根本分裂

 12月02日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、

●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する

の備忘録と感想・考察。

 昨日のところで、仏教の瞑想が時代や文化に合わせて形を変えていったという話題を取り上げた。念仏を唱えるのもその1つであるが、番組では、他に、20世紀にタイで発案された「手動瞑想(チャルーン・サティ)」が紹介されていた。ウィキペディアによれば、
手動瞑想での気づきの対象は意志的な腕の動きであるが、開いてあるがままに受け入れていく心と、能動的な意志とを両立させて気づきを開発していくと、自然に微細な身体感覚や感情、思考、心身の法則性への洞察に発展してゆく。
というもので、じーっと観察するのではなく要所要所を観察すればよいという。1つのモノを対象にして気づいていくと他の働きを受けにくくなるという点ではこれも瞑想の1つとして有効であるようだ。

 さてここからは、「多様化する瞑想 多様化する仏教」と題して、仏教の分派の経緯が説明された。もちろん、キリスト教でもイスラム教でもそれぞれいくつかの宗派が存在するが、仏教の宗派はきわめて多種多様になっている。但しその割に、少なくとも日本では、宗派間の対立はそれほど顕著ではない(他派に対して攻撃的な宗派も無いわけではないが)。
 こうした分派の原因は、戒律の多様化にあるらしい。蓑輪先生によれば、サンガの人たちは2週間に一度集まって、戒律について確認をしなければならないが、その中身について意見の相違があり、異なる戒律を持つ分派が生じたというようなお話であった。これによって、集団としては分かれているが、それぞれの集団の内部では戒律違反が起こりにくくなるというメリットがあった。
 有名な話としては、お布施としていただいた塩を蓄えていいのかどうかという議論があった。もともとの戒律では、いただいたモノはその日のうちに消費しなければならないと定められていたが、塩は保存がきくので蓄えてもいいのではないかという意見が出てくる。また僧は、3種類の衣(三衣)のみの着用を許されていたが、ヒマラヤでは寒さに耐えることができない。このような事情により、仏教では、異なる考えが出てきた時に、サンガを分けることで、戒律違反を避け、結果として分派が進んでいった。

 よく知られているように、仏教はブッダの入滅から100年後に、まず根本分裂が起こり、上座部(じょうざぶ)と大衆部(だいじゅぶ)に分裂した。それらはさらに細かく分派し、20の部派が生まれたという。なお、私が高校生の頃には、仏教には「大乗仏教」と「小乗仏教」があるというように教わったが、この呼び名は大乗からの蔑称であり,現在では使われていないようである。

 なお番組では、根本分裂の一因は塩を蓄えてよいかどうかにあった、とも解釈できそうなところがあったが、ネットで検索したところでは、「大乗仏教の自利と利他は一体、上座部仏教(小乗仏教)は、まず自分が幸せになってから、他人を幸せにしようとする」という点で根本的に異なると紹介しているものもあった。このあたりは勉強不足で何とも言えないが、心理療法の中にも自利利他と、我利我利があるような気がする。個人主義を重視した現代社会においては、多様性の名のもとに様々な価値観を尊重しかつ他者に危害を加えないのであれば我利我利でもエエじゃないかという風潮が強まっているようにも思える。

 不定期ながら次回に続く。