じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日に続いてこの時期見頃となっている皇帝ダリア。皇帝ダリアは2メートル以上の高い枝に咲いているため、下から見上げるように撮影すると、空の明るさのせいでどうしても逆光になってしまう。下の写真は「さよなら逆光」で補正したところ。

2021年11月23日(火)



【連載】瞑想でたどる仏教(3)名色の分離智、戯論

 11月21日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、

●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する

の備忘録と感想・考察。

 第1回番組の後半では「“心のメカニズム”を発見する」という話題が取り上げられた。ここでいう「心」というのは、実際には脳の働きであり、fMRIなどの最先端機器による分析も進んでいると思われるが、ブッダは自らの体験を通じて、その大枠をすでにモデル化していたようである。

 ここで登場したのが、「名色の分離智」という難しい概念であった。蓑輪先生によれば、モノを見るというプロセスは、
  1. 目という視覚器官を通じて、脳の中につかまえられる対象としてのイメージが描かれる
  2. 描かれたイメージに対して判断が働く
というふうに分離される。仏典では、このうち1.のつかまえられる対象は「色(しき)」、2.のつかまえている心の動きは「名(みょう)」、また、このような気づきは「名色の分離智」と呼ばれている。例えばリンゴを見ている時には、
  1. 見ている対象【リンゴ】のイメージが浮かぶ。→色
  2. すると、そのイメージを見る自分の意識が分かる。→名
というように分離される。日常生活の中では、モノを1つのモノとして当たり前のように見ているが、じつは、見ている対象とそれを見ている自分という2つに分かれていることに気づく。そうして、身体や心の観察をしているうちに、感情などさまざまなものにも気づけるようになってくると論じられた。
 私たちが感じる苦しみというのは、対象そのものではなく、基本的には私たちの心が作り出している。ブッダは
およそ苦しみが生じるのは すべて識別作用に縁(よ)って起こるのである。
識別作用が消滅するならば もはや苦しみが生起するということは有りえない。 【スッタニパータ。中村元訳、改行等の改変あり】
と説いた。
 蓑輪先生はさらに、
私たちは感覚器官を通じて世界を受け止め、心のなかにつかまえられる対象を描く。それに対して瞬時に「これは何なにだ」という判断を起こしている。これが経典の中で言われる識別作用として位置づけることができる。その識別作用が生じると、私たちの心は次から次へと別の働きを起こしていく。例えばリンゴを見た時には、まずリンゴのイメージが心の中に描かれる。そうするとそのイメージに対して、あっこれはリンゴだという識別作用が働く。それが生じると次の瞬間に、あっ美味しそうだな、食べたいな、でも食べたら太っちゃうかな、といったように次から次へといろいろな働きが生じる。
と説明された。
 上記の2段階の働きは、仏典の中では「第一の矢」、「第二の矢」というように表現されているという。例えば道を歩いていた時に向こうから来た人と肩がぶつかったとする。その場合、
  • 第一の矢:接触感覚。時には「痛い」という感覚
  • 第二の矢:相手に対する怒りの気持ち
というように分離される。本来、感覚器官によって生じるのは「痛い」という感覚だけのはずなのでそれに気づけばそこで止まるはずなのだが、日常生活ではそこから怒りの気持ちや相手に対する非難の気持ちが生じる。こうした、次から次へと広がる心の拡張機能は「戯論(けろん)」と呼ばれる。

 ここからは私の考えになるが、まず、モノを見る時にまず第一段階で「心の中【実際は脳】にイメージが描かれる」というプロセスについては、それを実在する生理的なプロセスとしてとらえるのか、それともある程度独立し分離可能な諸反応の生起順序としてとらえるのかによって見方が変わってくるように思える。私自身は後者の捉え方で十分であろうと思っていたが、最近はAIの進歩により、動物が何かを見ている時、あるいは人間が夢を見ている時に脳の中に描かれているイメージを、ある程度把握できるようになってきたとも聞いている【例えばヒューマニエンスで紹介されていた、AIによる夢の可視化】。

 「分離智」、「識別作用」、「戯論」といった概念は、関係フレーム理論やACTの入門書の記述にそっくりなところがある。というか、関係フレーム理論が構築される過程で、仏教の着想が取り入れられていったと考えるべきかもしれない。識別作用というのは、まさしく言語行動の特性であり、「戯論」というのは関係フレームづけ、レスポンデント条件づけ、刺激機能の変容、などにそっくりのようにも思える。

 不定期ながら次回に続く。