じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 半田山植物園の通用口付近にある3色の桃。花の色【写真右】は左から赤、白、ピンクとなっているが(2019年4月撮影)、紅葉したときの葉っぱの色も、花の色に対応して微妙に違っている。花の色を構成する色素が葉っぱにも残っているためだろうか。

 なお、花の色と茎の色との対応については楽天版(2021年8月23日)に関連記事あり。

2021年11月06日(土)



【連載】#チコちゃんに叱られる!「もみじ狩りはなぜ狩り」、「化石ができるしくみ」

 11月5日に初回放送された、チコちゃんの番組の考察と感想。この回は、

  1. もみじ狩りはなんで狩りっていうの?
  2. なんで化石って石になるの?
  3. なんで切手は左上に貼るの?
  4. 「間違い」と「間違え」
という4つの話題が取り上げられた。本日はそのうちの1.と2.について考察する。

 まず1.のもみじ狩りについては、番組では「狩りじゃないとお下品だったから」と説明された。もみじ狩りが始まった平安時代、貴族たちは自由に平安京の外に出ることができず、特別に外出する目的としては、
  • 物詣で:神社やお寺を
  • 物見:お祭りや行列を見に行く
  • 狩り;鷹狩りなど
に限られていた。また移動する際には牛車や馬に乗ることになっており、歩き回ることは下品だと考えられていたという。「狩り」という名目にすれば歩いても下品ではなくなり、貴族の対面を保ちながら山一面のモミジを鑑賞することができたと説明された。ちなみに、現在残っている文献の中で「もみじ狩り」が初めて登場したのは平安末期の歌人、源俊頼(1055〜1129)の「しぐれゆく かたのの原の もみちかり たのむかけなく 吹く嵐哉」という和歌【夫木和歌抄】であったという。なおネットで検索したところ、この歌を藤原家隆(1158〜1237)の作として紹介したサイトもあったが、どちらが正しいのかは未確認。

 番組でも説明されていたように、貴族たちは普通は自分の家の庭に植えた樹木でモミジ鑑賞をしていた。私自身は、2008年2019年11月に京都の庭園のもみじを観に行ったことがあったが、庭園でのもみじ鑑賞は「もみじ狩り」とは言わない。山一面のモミジとしては、デナリ国立公園アビスコ国立公園の紅葉・黄葉が印象に残っている。

 2.の化石が石になる理由は、番組では「「骨と地球が反応するから」」と説明された。じっさい、地面に埋まった死骸や骨がすべて化石になるわけではない。特殊な条件が揃った時にのみ石化するようであった。番組で紹介された石化のプロセスとしては、地下水に含まれるカルシウム(水酸化カルシウム、硫酸カルシウムなど)と骨の隙間にある油や血液が反応して炭酸カルシウムなどの鉱物が生成され硬い石になるという。このほか、地下水にシリカが含まれていると骨の一部がオパールとなったり、マンガンが含まれているとブラックビューティと呼ばれる黒い化石になる。また、アンモナイトの化石の中には、貝殻の中身の成分が外に出てきて地下水を反応し貝殻を包むような石化が起こることもあるという。
 ということであれば、大昔の生物のすべてが化石になるわけでは無いとも言えそうだ。例えばブヨブヨのクラゲは化石にはなりそうにもないと思ったが、本体が消失しても、押し型が残る。これは「印象化石」と呼ばれるらしい。
 番組ではこのほか、非鳥類型の恐竜の卵の化石として世界最小(4.5cm)の化石というのが紹介された。鳥類の先祖が恐竜であるという話は他の番組でも聞いたことがあるが、もともと恐竜の卵はお尻の形の特性で細長い卵を産んでいたが、鳥に進化した段階で骨の形が変化し、球形の卵を産むようになったという。なお、「なんでニワトリのたまごはその形なの? 」については、以前にも取り上げられたことがあった【2019年6月4日の日記参照】。

 次回に続く。