じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 文学部中庭花壇の白花曼珠沙華がすっかり萎れてしまったが、それなりの趣がある。写真右は、9月28日掲載の写真。



2021年10月2日(土)



【連載】ヒューマニエンス「“快楽” ドーパミンという天使と悪魔」その3 習得性好子、付加的な強化随伴性とドーパミン

 昨日に続いて、9月9日に初回放送された表記の話題についての感想と考察。

 番組では昨日記したロボットが、より複雑な移動方略を身につけたことに関連して、人間の行動においても、ポジティブな結果を伴うネットワークが大切であることが論じられた。これはまさしく、行動分析学の強化理論を肯定するものとも言える。
 もっとも、坂上先生が挙げた子どもの勉強行動の強化のところで、「良い成績→美味しい焼き肉」から「良い成績→お母さんが喜ぶ→焼き肉」、さらにお母さんが喜ぶという結果だけで一生懸命勉強するようになる、という推移が取り上げられていたが、こうした現象は、習得性の好子、特に般性習得性好子という形で説明したほうが適用が広がるように思う。
 さらに、「上司に褒められる」とか「励ます」というような結果も効果をもたらすこと、その裏付けに生得性の好子があることにも言及された。坂上先生は、今の世の中では、本物の報酬と(本来は報酬ではないがそれを)導き出す刺激をうまく結びつけるような仕組みがちりばめられていると指摘されていたが、これまた、付加的な強化随伴性による社会設計と言うことができる。織田さんが「ノーベル賞をやめたら進化のスピードが落ちる」というのも同様。もちろん研究行動は、研究の成果(発見、証明、完成など)それ自体で強化されているだろうが、ノーベル賞のような社会的な好子が付加されることでそれに取り組むスピードが一気に高められていることは確かである。
 但し、しつこいようだが、以上に述べた習得性好子、般性習得性好子、社会的好子、付加的な強化随伴性の仕掛け自体は、ドーパミンの放出を前提としなくても、刺激や反応の関係だけで十分に体系化できている点にも留意する必要がある。

 続いて論じられたのは、ロボットの実験で、報酬の設定の数値が小さいとどうなる?という話題が取り上げられた。実際の実験では、ロボットはあまり遠くまで充電器を探しにいかなくなり、動けなくなっていくという。ロボットの実験で「報酬が小さい」ように設定するというのは、おそらく、充電につながるような移動の選択肢の評価値を低く抑えるということと推測される。そうすると、速く移動するという選択肢が選ばれる確率は低くなり、結果的に動きが鈍くなっていく。人間の行動の場合、こうした現象は、無強化あるいは消去の状態を意味する。但しこのこともまた、ドーパミンの介在を前提とする必要はないように思われた。
 坂上先生はまた、ある種のうつ病の原因の1つは、報酬の価値が非常に小さくなっていることにあると指摘された。しかし、それだけでは、どうすれば報酬の価値を大きくできるのかという疑問が出てくる。ドーパミンを大量に与えればよいかというと、それだけではおそらくドーパミン依存になってしまう。行動して、その結果が生じた瞬間にドーパミンを与えれば良いかもしれないが、そんなにうまくタイミングがとれるとは思えない。それよりも、行動分析学の知見に基づいて、より巨視的な視点から価値を構成し、それが適切な大きさと確率で行動に随伴するような補完の仕組みを作ったほうが効果的であるように思えた。

 次回に続く。