じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



09月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る



 ウォーキングコース沿いで、クスノキの幼木にアオスジアゲハのイモムシがついているのを見つけた。黄緑色の横線が入っているのが特徴。

2021年9月10日(金)



【小さな話題】『プロジェクトX4Kリストア版』7月〜8月放送分 その9「デジタルカメラ」(1)

 9月9日に続いて、表記の話題。本日は、

●【8月31日放送】#90『男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける』(初回放送は2002年7月02日)

について。

 番組では、カシオ計算機の技術スタッフによるデジカメ開発の苦労話が紹介されていたが、「カシオ=デジカメ」という位置づけについては若干違和感があった。理由としては、
  1. 番組の冒頭でも紹介されたように、カシオと言えば、電卓や腕時計の開発が有名だが、このプロジェクトXではそれらの苦労話は収録されず、なぜかデジカメ開発のみが取り上げられていた。
  2. デジカメ市場においてカシオが果たした役割はそれほど大きくないのではないか?

 上記2.の点については、ウィキペディアでも以下のように指摘されていた。
1994年(平成6年)発表・1995年(平成7年)3月発売のカシオ計算機のデジタルカメラ「QV-10」は、デジタルカメラの存在と利便性を広く一般に認知させた製品である。外部記録装置なしで96枚撮影ができ、本体定価6万5,000円を実現して好評だった。一番のメリットは、液晶パネルを搭載し、撮影画像をその場で確認できることである。また当時はWindows95ブームで一般家庭にパソコンが普及し始めた時期であったため、パソコンに画像を取り込むことが広く認知された。この機種はNHKの番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」090回「男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」において、あたかも世界初のデジタルカメラのように紹介された(ただし、撮影画像をその場で確認できる液晶パネルを搭載したデジタルカメラとしては世界初である)。

 番組で紹介されたのは、上記引用の通りで、「QV-10」の開発・販売に至る内容となっていた。
  1. 1985年5月 デジカメのプロジェクト結成。
  2. 1987年11月に電子カメラ完成。画像ファイルはフロッピーディスクに保存。テレビに繋いで画像を見られる。8つのメーカーが一斉に発売するなか、カシオは一番安い12万8000円で大量に売り出したが、全く売れなかった。原因の1つは、ソニーから業務用ビデオを小型化した8ミリビデオが発売されたこと。8ミリビデオの大きさはカシオの電子カメラと同じで、どうせTVSで見るなら絵が動くほうがいいという声が出た。カシオは在庫の山で重い負債を背負った。
  3. 1988年10月、プロジェクトメンバー5人は開発現場から研究室に異動させられた。
  4. 25社のデジカメ開発の技術者たちが集まり、勉強会を始めた。これをきっかけに、社内で闇研を始めた。(闇研の成功例はごくわずか、VHSとオートフォーカスだけであると言及された)
  5. 闇研で新規に必要となった部品は、「画像処理の研究」という名目で購入された。
  6. 1991年春に試作品DC-90が完成したが、重くなりすぎて(3kg)非実用的。しかも消費電力が莫大ですぐに高温となった。試作品には「重子(おもこ)」「熱子(あつこ)」というあだ名がつけられた。
  7. バブル崩壊による未曾有の不況が始まり、製造業は大打撃を受ける。
  8. 1992年、目玉商品として売り出していたポケットテレビにカメラ機能をつけるという形で商品開発を提案しLSIの開発に必要な予算を取り付ける。これにより小型化に成功。
  9. 秋葉原で売り出し中のパソコンにヒントを得て、パソコンに繋ぐ端子を取り付ける。いっぽう、ポケットテレビとの合体は取りやめ、デジカメのみの製品として開発。
  10. 国内ではパソコンがまだ1割と普及しておらず、わずか500台で販売。そこで、1995年1月に開催されたアメリカ・ラスベガスの電気製品見本市で、入場した電器店仕入れ担当者の顔写真を撮り、その場で内蔵液晶画面、あるいはパソコンにすぐにつないで映像が見られることを宣伝。
  11. 1995年3月、国内で販売開始。すぐに品切れになる。この年はWindows95が発売され、デジカメは20万台を超える空前のヒットとなる。
  12. 大ヒットから7年、デジカメはフィルムカメラの出荷額を超え、年間1600万台を日本企業が生産し、世界シェアは8割。
  13. その後、デジカメは、スポーツ新聞の決定的写真を直ちに本社編集部に送りトップを飾るなど多方面で活用。
  14. 番組の終わりのところでは、かつて研究会に集まっていた25社のメンバーが年に一度の懇親会を開きデジカメで記念写真を撮っているシーンが流れた。番組タイトルの「男たち」はカシオに限定せず、各社の開発メンバー全員を示していることが示唆された。
 この1985年から1995年までの間というのは、私自身にとってはちょうど子育て真っ最中の期間にあたっており、当然、生い立ちから幼稚園、小学校の行事などで撮影する機会が最も多い時期であった。当時私自身は、子どもの生い立ちを記録するためにソニーの8ミリビデオを購入していたが、写真のほうは1998年頃まではプリント写真が主体であった。デジカメもソニーのデジタルマビカを購入していたため、カシオなどの他社製品については殆ど記憶に残っていない。

 次回に続く。