じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡大・工学部前のフェニックス(カナリーヤシ)の剪定作業が行われていた。冬は氷点下の寒さが続き葉っぱがだいぶ傷んでいたが、夏の猛暑と長雨の影響で勢いを取り戻していた。

2021年8月25日(水)



【連載】こころの時代〜宗教・人生〜「“ノアの箱舟”をつくる人」その3

 昨日に続いて、8月22日(日)の朝5時から放送された表記の番組についての感想と考察。今回は、番組後半の内容【昨日引用部分より少し前の箇所を含む】。
  1. ユクスキュルの引用「私たち人間はいかなる幻想にも身を委ねてはなりません。私たちもまた生きた自然に直接に向かい合っているのではなく、個人的な環世界の中に生きているのです。
  2. ベーレンパイソン飼っていく中で、決して乾燥に強いヘビではないけれど、常時多湿にしないといけないヘビでもない(と分かった)。(生息地では)おそらく夜だけは高湿度に包まれてて(気温が下がるから)、日中はかなり乾いていると思う。そういった所まで思いを向けると、もうちょっと違った観点があったんじゃないかと思ってて、みんなそれぞれ主観で別の世界を生きるってことが分かれば相手を理解できる、いや本質は理解できないですよ環世界だから、ひとの主観、動物の主観は理解できないけれど許容はできる。
  3. 本田さんは自宅の庭でたくさんのシダ植物を育てている。「シダ類っていうのは本当に適応性が低くて、いろんな環境に対して弱い。だから森の中歩いててシダがあると、そこの空間ってしっとりしてて人間にとっても心地よい。
  4. 本田さんの自宅の庭には500種類の野草が茂るが、枯れるものも根付くものもそのままにしている。「様々な動物たちがこの花畑で暮らしている。...トカゲが生きてるっていうことはトカゲだけが生きてるわけじゃない、生態系が回ってるってことだから、その一部に身を置けるって幸せなこと。
  5. 母がカトリック信者だったことで、10歳の頃、聖体拝領の資格をもらうために1年ぐらい神父さんの話を聞く機会があった。その中で神父さんから「川で人とか犬とか動物が溺れていたら誰を助けるか」と質問された時、本田さんはカワイイから犬と答えたらひどく怒られた。旧約聖書の自然観によれば、「神さまはまず人を作った、動物っていうのは人が管理するものなんだ」と教えられたがその時は理解できなかった。「僕らは、自分たちもその一部。上に立っていないから。生態系の一部になってるから、ノアの箱舟に一緒に動物たちと乗っているイメージ。
  6. 昆虫を主食とする動物たちの殆どは生きた個体しか食べない。「種を保存するってことはきれいごとじゃないから。自然界自体、非道で残虐性の世界。...昆虫は、動物園では餌として使っているが、動物園から一歩出ると足もとに気をつけるし、踏み潰したりはしない。
  7. 僕がやってること自体はがっちり自然を管理して、自然を人工的につくるという概念はすごく西洋的だし、飼育動物に対しては非常に支配的ですよ。ただ、いま、生態系、生物多様性がいろいろ破壊されていく中で、人間が突出して生態系の一員としての役割を超えてしまったなかで、人が自然を管理するって概念は必要だなって今は思ってて、昔は破壊の歴史だったかもしれないけど、今は破壊ではなくて守るってこともできる。破壊してきちゃった、破壊してきた人しか直せない。
  8. トカゲが近くに住んでる。みんな気持ちよさそうに暮らしている。いなくなったら悲しいよね。これがあるから私は大丈夫って存在は、やっぱり生き物だった。子どものころからそうだから。これが無くなったら何になるんだろう。それこそもぬけの殻じゃないですか。それくらいデカイ存在。
  9. 本田さんは、爬虫類・両生類なら人に育てられても野生復帰できると考えている。生息環境さえ揃っていれば、本能によって生きるから。「環境への適応幅が狭いってことは、それだけ自然の流れに対して忠実。経験と学習よりも本能的な部分が生活史の中で大部分を占めてるのも1つ。その分、人とのコミュニケーションやコンタクトが希薄だが、社会性というものもない。人為的に育てられたことによる影響は少ない。
  10. 人の存在が大きくなるとダメなんで、動物園においても、自然界においても人の存在はいかに小さいものであるかということ、それは日々とうあるべきだと感じています。
  11. 宇宙時間みたいなもので見ると、我々のやっていることなんて意味があるのか無いのか全然わからない。ものすごい超鳥の視点でものを見ると。だけど結局おれらは虫の視点でものを見てるんで。生き物って自分ですよね。自分自身だし、自分が回ってる世界の中の同じ一要素でもあるし、地球の世界の一部であり、我々とそんなに変わらないもの。


 「環世界」の概念については十分理解できないが、ヒトと他の動物の違いばかりでなく、人それぞれもまた固有の環世界に生きていることは確かだと思う。時には共同体の中で、あるいは専制主義国家の中で、特定の価値観や慣習を強いられる場合もあるが、本来、それぞれの人の生きている世界は他者とは異なっており、その世界は、当事者が死ぬことによって消滅する。

 生態系の破壊と再生について私自身も、主として植物を中心に考えるところがある。本田さんのご自宅の庭は枯れるものも根付くものもそのままにしているということだったが、オオハンゴンソウなどの外来植物が侵入してきた場合はどうするのだろう。岡大の敷地では、放っておくと、オオキンケイギクやハルシャギク、さらにはタチの悪いワルナスビが繁殖し、また木々や金網にはヘクソカズラやヤブガラシが絡みついて、手に負えなくなってしまう。もちろん10年、20年と放置すれば木々が育ち、それなりの森林の生態系ができあがるのかもしれないが、それを待つわけにもいかない。