じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 6月18日(金)は、大学で用務があり、久しぶりに建物の中を訪れた。写真は2階トイレの窓から眺める文学部中庭。

2021年6月19日(土)



【連載】#チコちゃんに叱られる!「大人になると注射の痛みが小さくなる理由」、「12個にまとめたがる理由」「裁判のびろーん」

 6月18日(金)に初回放送された、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。

 今回は、
  1. なぜ子どものころは嫌だった注射が大人になると平気になる?
  2. なぜ人は12個で物をまとめたがる?
  3. 裁判で勝訴や無罪の紙を持って走っている人って誰?
という3つの話題が取り上げられた。

 まず1.の注射の疑問については番組では「痛みが10分の1になるから」と説明された。私たちが痛みを感じるのは痛点が刺激され、脊髄を通じて脳に伝わるためだが、子どもでは途中の脊髄の入り口の神経が充分に分かれていないため、同じ痛みに対してより多くの神経が刺激されてしまい、数倍以上の痛みを脳に伝えてしまう。男女とも7歳〜9歳頃になると神経が分類整理され、痛みの強さは7歳のピーク時と比較して10分の1程度まで減少するという(ドイツのBlankenburg,M.ほかの研究による)。
 番組では、このほか、心理的な要因も大きく影響していると説明された。また、「注意をそらす」、「皮膚をさする(オキシトシンが分泌される)」、「甘い物を食べる(オピオイドが分泌される)」といった対処が痛みを軽減できることが紹介された。

 ここからは私の感想になるが、大人になると子どもの時に比べて痛みが1/10になるということは知らなかった。確かに、今回の新型コロナワクチン接種の際も、痛みを感じることは殆ど無かった。もっとも、歯を削る時の痛みは子どもの頃と殆ど変わらないように思う。但し、最近の歯医者さんは、ちょっとでも痛いというと麻酔をかけてしまうので滅多に強い痛みを感じることはないが。

 番組でも一部言及されたが、子どもが注射を嫌がるのは、心理的な影響が大きいように思われる。回りの子どもが泣きわめいている状況であれば痛みも強く感じるだろう。
 「皮膚をさするとオキシトシンが分泌される」、「甘い物を食べるとオピオイドが分泌される」については、痛みを和らげるほとの量のオキシトシンやオピオイドが分泌されるのかどうかは疑わしいように思う。

 2.の12個で物をまとめる利点については、先週の日記にも記した通りであったが、正解は「争いが起きにくいから」ということで、2、3、4、6に分けやすいからということと同義であり意外性は無かった。もっとも、放送の中でも言及されていたが、12個というのは3×4に並べることができるという点で10個にまとめるよりも遙かに便利であることは間違い無い。お菓子やペットボトル飲料などを箱に詰める際、10個単位であると2×5というように【上から見て】細長い長方形の箱に入れることになり不便。3×4の配列であれば詰めやすいし、安定もよいし運びやすくなる。

 最後の3.については「足の速い若手弁護士」が正解であった。この紙は「はた」とか「ぴろーん」と呼ばれており、かつては判決直後に裁判所の窓から出されていたが、1968年に裁判所の秩序維持のため禁止された。それに代わって、集団訴訟の原告の弁護士などが裁判所の外で待っている支援者や報道陣に結果を伝えるために「ぴろーん」を出すようになったという。
 「びろーん」が出されている光景はニュースなどで度々見ているが、私が生まれる以前からの慣行だと思っており、始まりが1968年ということは知らなかった。集団訴訟の場合は「勝訴」、「不当判決」などが出されるのはよく見かけるが、賛成派と反対派が争っている場合は「勝訴」だけではどっちが勝ったのかは分からない。
 いっぽう刑事裁判の場合はどうだっただろうか。無罪の時は「勝訴」ではなく「無罪」だが、「死刑」とか「実刑」といった「びろーん」が出されることは無かったように思う。「控訴棄却」とか「差し戻し」はあったような...。
 ネットで検索したところ産経新聞の記事(2017.8.16.)に詳しい解説があり、「判決等即(速)報用手持幡(てもちばた)」というのが正式?な呼称であるようだ。