じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 2月25日の昼、久しぶりにドクターイエロー(上りのぞみ検測)を目撃した。手前は、世界三大黄金像の1つ、岡山の大黒天

2021年2月26日(金)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(59)杉山尚子先生の講演(24)杉山×武藤対談(9)1975年の佐藤論文

 昨日の続き。今回は、

佐藤方哉 (1975). オペラント行動と実験的行動分析――この双生児の来し方行く末――. 心理学評論, 18, 129-161.

の内容について取り上げる。

 昨日も述べたように、上掲の論文は、『心理学評論』の特集号「オペラント」に掲載された。『心理学評論』は日本心理学会の機関誌ではないが、リンク先にもあるように、65年近くの歴史をもち、日本で唯一の心理学のレビュー雑誌として知られている。この一流雑誌に「オペラント」の特集号が組まれたことは、日本の心理学界において行動分析学の存在を知らしめる契機となったと言っても過言では無いと思う。

 佐藤(1975)の冒頭では、
<オペラント行動>("operant behavior")という言葉を,行動に関する言語オペラントとして最初に自発したのは,Skinner, B. F (1904- )であり,それは1937年のことであった。爾来,この術語は,行動研究者たちの言語共同体により強化されて,今日,本誌においでその特集が企画されるまでに至っている。
というように、「オペラント」の概念が1937年の

Skinner, B. F. (1937). Two types of conditioned reflex : A reply to Konorski and Miller. Journal of General Psychology, 16, 272-279

が初めて登場したこと、またそれが、日本の心理学界においても、特集が企画されるまでに至った意義が指摘されていた。

 佐藤(1975)では、<オペラント行動>と<実験的行動分析>を双生児と見なし、6期に分けて外観されている。
  • 胎児期:1920年代末〜1930年【Skinnerが学位請求論文を提出するまで】
  • 幼年期:1930年〜1937年【上掲のSkinner(1937)でオペラントや随伴性が提唱されるまで】
  • 少年期:1937年〜1946年【1946年にインディアナ大学において,実験的行動分析学派が、その後、年毎に発展していく第1回の会合をもつようになるまで】
  • 青年期:1946年〜1958年【JEABが発刊される1958年まで】
  • 壮年期:1958年〜1968年【1968年に、autoshapingの発見やJABAが発刊されるまで】
  • 中年期:1968年〜【研究の発展がドック入りを必要とする事態をもたらす】
 ちなみに、佐藤先生が「ドック入り」と表現された時期は、「学習の生物的制約」が話題になっており、私もこちらや、こちらにあるような関連論文を書かせていただいたことがあった。
 いずれにせよ佐藤方哉先生の論文は1975年(実質は1976年)に刊行されたものであり、Skinnerは当時はまだ存命で1990年まで活躍しておられたため、上掲の「中年期」以降の総括はなされていない。論文の終わりのところでは、

 「随伴性のまにまに」ともいうべきこのような生き方は,むしろ,東洋的な理想の生き方ともいうべきもので,環境と人間との関わりにおいで,環境の役割を強調するのも,これに通じ,西洋社会たる米国で,大きなセンセーションをまきおこじたのもゆえなしとしない。
 しかし,Skinner は,環境と人間とを対立的にとらえ人間の主体性に中心的価値をおく西洋文化の中に育ったがために,やはり環境と人間を対立的にとらえることからはぬけだせずに,環境の重要性を力説している。
 だが,わたしたち日本人は,環境と人間とを一如のものとしてとらえ,このような世界観が生んだ生物学の哲学をもすでに有している(今西,1941)。
 われわれの双生児のうち,少くとも実験的行動分析に無限の命を与え,または,新しい世代を生ませることのできるのは,わたしたら日本人であってほしいものである。
というように、東洋的な理想の生き方を評価しておられる。1975年以降、日本人研究者がどこまで貢献したのかは不明だが、「環境vs人間」あるいは「コントロール重視」の視点から、「感情のコントロールなんて幻想だ」、「嫌な思考や感情を変えたり避けたり、追い払おうとせずに、それを受け入れることを目ざす(ハリス)」というように、東洋的な発想を取り入れたセラピーが定着しつつある時代になってきたことは、佐藤先生の予見どおりであったと言えるかもしれない。

不定期ながら次回に続く。