じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 1月7日の岡山は季節風が吹き荒れ、昼前には最大瞬間風速26.1メートルを記録した。写真では写りにくいが、いっとき激しく雪が舞った。
 生協食堂前の駐輪場は閑散としており、開店時の利用者は数人以下の日が続いている。

2021年1月8日(金)




【小さな話題】『八十日間世界一周』の映画と原作

 昨日の日記で言及したように、1月8日の午後、1956年版の映画『八十日間世界一周がNHK-BSPで放送された【NHK-BSのタイトルは「八十日間世界一周」ではなく「80日間世界一周」となっていた】』。80デイズを観た直後であり、同じ原作の古典版とリメイク版を比較することができた。

 1956年版は、以前にも観たことがあったが、今回はデジタル修正技術のおかげで、私が4歳の時に公開された古い映画であるとは思えないほどに画質が向上していた。

 映画のストーリーはほぼ記憶通りであったが、冒頭で、タバコをくわえた男性がジュール・ベルヌの作品や科学技術の進歩について解説しているシーンは初めて観たような気がする。もしかすると民放で観た時にはカットされていたかもしれない。禁煙推進者の私としては、喫煙しながらの解説などはもってのほかという印象を受けるが、1956年当時はそういう悪習慣がまかり通っていたことは確かであろう。

 ストーリーの中で興味深いのは、日本を描いたシーンである。

 パスパルトゥーが鎌倉大仏の前を通る。そこにいた日本人男性はみなチョンマゲ、女性は髪を結って着物を着ていた。大仏の右隣には、なんと京都の平安神宮があった。神社境内の露店ではいろいろな食べ物が売られていたが、看板の文字は「鮮菜種々」、「江夢渡土」などと、訳の分からない漢字になっており、時代錯誤【1872年当時】や、中国文化との混同が顕著であった。
 もっとも、この映画で描かれているスペイン、インド、香港、アメリカのいずれにおいても、ステレオタイプ、あるいは描写の誇張があり、日本のシーンだけが間違って描かれていたわけではなさそうだ。

 昨日の日記で、「死ぬまでには、一度、原作、といっても日本語または英語翻訳版でもともとのルートや出来事を確認したいとは思っている。 」と書いたところであったが、その後、プロジェクト杉田玄白ライセンスで、日本語訳全文が無料公開されていることが分かった。ざっと目を通したところ、
  1. パリからスエズ運河までの途中の行程はあまり詳しく記されていないようである。映画では積雪で陸路が遮断ため気球でアルプス越えをしたことになっており、八十日間世界一周というと気球に乗ったシーンが思い浮かぶが、原作で本当に気球に乗っていたのかどうかは未確認。
    ロンドン発 十月二日水曜日 午後八時四十五分
    パリ到着 十月三日木曜日 午前七時二十分
    パリ発 木曜日 午前八時四十分
    モン・スニ峠を経てトリノ着 十月四日金曜日 午前六時三十五分
    トリノ発 金曜日 午前七時二十分
    ブリンシジ着 十月五日土曜日 午後四時0分
    モンゴリア号乗船 土曜日 午後五時0分
    スエズ到着 十月九日水曜日 午前十一時0分
  2. 日本については映画のシーンよりもっと詳しく描かれているようであるが、えっ?と思われる部分もある。こちらの記述から いくつか抜粋させていただくと、
    • 仏教の僧や儒者たちがひっそりと暮らす家を見た。...子どもたちは、短い足のプードルや黄色がかった猫と楽しそうに遊んでいた。
    • 僧侶たちが一列に並び、単調な太鼓を鳴らしながら進んでいった。
    • かぐわしい飲み物を飲ませる茶店があった。ここではサキという名の、米を発酵して造る酒も出される。快適な喫煙所もあった。そこで人々がぷかぷか煙を出していた。アヘンを吸っているのではない。
    • やがて、パスパルトゥーは自分が田んぼの広がる中にいることに気がついた。そこには真っ赤なツバキが咲いていて、あたりに最後の色と香りを振りまいていた。
    • 竹垣の中にはサクラ、ウメ、リンゴなどが植えられていた。ニッポン人は実を採るためではなく、花を見るために、そういった木を植えるのである。これらの木々は、奇妙な形をした、歯を見せて笑っているかかしによって、スズメやハトやカラスやなんかのどん欲な鳥どもから守られていた。杉の木の枝に大きなワシがとまっていた。...それから、たくさんのツルがいた。ニッポン人はツルを、長寿と幸福の象徴としてあがめているのである。

     ベルヌがどういう出典に基づいてこのような描写に至ったのかは大いに興味が持たれるところである。