じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 私が子どもの頃に愛読した『世界童話文学全集』(講談社)と『児童世界文学全集』(偕成社)【写真上】。写真下は、20年程前に古本屋で10冊ほど購入した『国際版 少年少女世界童話全集』(小学館)。↓の記事参照。

2020年11月26日(木)



【連載】60年前の童話全集は孫たちの役に立つか?(1)

 30年ほど前に息子や娘が愛読していた絵本が数十冊ほどあり、保存状態はかなり良い。これらの本は私の家で保管していたが、孫たちがそろそろ絵本を読む年齢に達したこともあり、必要に応じて再活用してもらうようにしている。
 私の書棚にはこのほか、私自身が60年ほど前に愛読していた『世界童話文学全集』(講談社)や『児童世界文学全集』(偕成社)童話全集、また20年ほど前に古本屋で購入した『国際版 少年少女世界童話全集』(小学館)などがあるが、果たしてこれらも孫たちの役に立つのか、何冊か取り出して、読み返してみた。

 まず、いくつかの童話には、現代では不適切とされている表現があった。
 リンク先にあるように、かつて、『ピノッキオの冒険』には「五体満足で利口な主人公を『期待される子供像』として描いている反面、他の障害を持つキャラクターを社会の落伍者として描いており、差別を拡大助長させる童話であり看過できない」というような抗議があったという。『アンクル・トムの小屋』については奴隷制を巡る議論、『ちびくろサンボ』には人種差別をめぐる議論があるという。だからといってこれらの作品を排除するべきだとは思わないが、孫たちには、わざわざ60年前の本ではなく、種々の議論を経た上で刊行されている現代版を最初に与え、もう少し大人になってから60年前の比較をしてもらったほうがよいのではないかと思う。

 いま述べた差別表現の問題は別として、そもそも、今の子どもにとって、古典的な名作童話を読むことにどういう意義があるのか、根本から考えてみる必要もありそうだ。

 仮に、子どもが100冊の童話を読むとする。60年も経てば、その間にすぐれた新作童話が出版される。子どもが読書に費やす時間は増やせないだろうから、もし20冊の新作童話を勧めるとなれば、そのぶん、つまり20冊前後の古典的な名作童話を減らすほかはない。どういう基準で取捨選択していくべきか、検討する必要がある。

 私が子ども時代に読んだ童話というのは、その多くが欧米の白人社会、むかしむかしの王制社会、あるいはキリスト教的な倫理観に基づいて創作、改変されたものであり、現代社会とはかけ離れていることは否めない。シンデレラなども、かつてのアニメでは女性の主体性の描写に欠けているという批判があり、最近では描き方が変わっている。子どもたちが、むかしむかしの物語の世界をそっくり現代社会と混同してしまうことはないとは思うが。

 子どもがどういう童話を読むのかということは、最終的には子ども自身の判断に任せればいいとは思うが、どういうジャンルに興味をいだくかということは、親や祖父母が用意した初期設定にかなり依存している。単純に、面白い内容ならそれでよいというという考え方もあるが、大きくなってから何かの決断を迫られた時などは、子どもの頃に読んだ童話の1シーンが浮かんでくることもあり、老婆心ながら(←老爺心か)理不尽な展開を良しとするような童話が子どもの成長に悪い影響を与えてしまうのではないかという気もする。

 不定期ながら次回に続く。