じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 台風14号が日本の南で発生した。10月5日早朝の段階(熱帯低気圧)では予想進路が定まらず、日本列島がスッポリ収まるほどの大きな予報円が描かれていたが、10月6日朝には、九州南部に接近したのち、偏西風に流されて南海上を東に進む可能性がいくぶん高まった模様である。とはいえ、昨年10月10日〜10月13日に上陸した令和元年東日本台風(台風第19号)による大雨、暴風の事例もあることから、まだまだ安心はできない。

2020年10月5日(月)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(20)セッティング事象とは何か?(6)カンターとスキナー

 昨日の日記で、「相互心理学」に言及した。

Kantor, J.R. (1959). Interbehavioral psychology. Granville, Ohio: Principia Press.

 本題から外れるが、とその提唱者Kantor(カンター)についてもう少し触れておくことにしたい。

 ウィキペディア英語版によればカンターは1888年生まれ、1984年に亡くなっている。いっぽうスキナーは1904年生まれで1990年没なので16歳ほどスキナーのほうが若い。

 スキナーとカンターの接点については、

園山(1992).相互行動的アプローチ:Jacob Robert Kantorの遺産.中国短期大学紀要,24,127−137.

の中【91〜92頁】で分かりやすく紹介されている。
カンターとスキナーは個人的にも少なからぬ親交があった.1945年に当時ミネソタ大学准教授であったスキナーをインディアナ大学心理学科の主任教授として招聰したのがカンターであった.その5年前の初対面の時,スキナーは「カンターの学識が並外れていることと知的な活力に満ちた」印象を受けた.インディアナ大学に着任する際には家を探す間カンター家に滞在し,カンター家の人々の温かいもてなしを回顧している....【中略】....インディアナ大学に在職した2年間にスキナーはカンターから少なからぬ影響を受けたようである.特に刺激と反応の機能は独自に規定されるものではなく相補的に規定されるというカンターの主張に影響され,また自分の思考の中から「幽霊」をまだ完全に追い払っていないことに気づかせたのもカンターであった.しかし,結局は両者の主張が近づくことはなく,スキナーはカンターを遺伝的な要因の関与を考慮しない「純粋な環境主義者」と決めつけている.実際,二人が共同で開いたセミナーはさながら両陣営の論争の舞台となった.
 なお、上記のエピソードは、

Skinner, B. F.(1979)The Shaping of a Behaviorist.

などを出典としている。

 園山(1992)によれば、
カンター自身実験的行動分析を批評し,心理学におけるアニミスティックな説明を払拭するのに実験的行動分析が果たした役割は大きいが,1)実験の対象を動物だけではなく人間の知覚や記憶,感情などにも広げる,2)分析においては変数を任意にコントロールされた状況のものに限らずもっと広い心理学的現象に拡大する,3)行動に関しては生活体の行為を極めて限定して分析の対象とするのではなく行動の場全体を説明するような分析をする,といった変更が必要であると提言している.
という点にカンターの視座の特徴があるというが、この3点の視座については、私も全面的に同感である。特に、3)については巨視的な視点にも通じるところがあり、大いに賛同できる。

 園山(1992)は続いて、行動を分析する枠組みが、スキナーとカンターでどのように異なっているのかについて論じ、パロット(Parrott,1983)の見解と、この連載でも何度か引用しているモリスの見解を対比している。その中で、パロットは、
両者は基本的に違い,カンターは刺激一反応機能をひとまとまりに分析単位とし機能的で記述的な分析を行いスキナーは反応からなる単位を取り出し先行及び後続の刺激を操作し因果的で説明的な分析を行うことを指摘し,この違いは基本的な違いであってこのことを越えて両者を調和させることは不可能であると主張している.
と論じているという。このパロットの論文(Parrott,1983)は「On the differences between Skinner’s radical behaviorism and Kantor' interbehaviorism.」でタイトル検索すると、無料で閲覧できるようであるが私はまだ読破していない。但し、「スキナーは反応からなる単位を取り出し先行及び後続の刺激を操作し因果的で説明的な分析を行う」という指摘については若干異議がある。初期のスキナーは確かにそういうアプローチをとっていたかもしれないが、徹底的行動主義の研究の流れの中では、反応(行動)は機能的に定義されている。機能的に定義するということ自体、反応は後続事象と独立には定義できないことを意味している。また、後述する予定であるが、文脈的要因を無視して反応だけの変化を追うことはできない。

 いっぽう、園山(1992)は、モリスの見解を以下のように要約している。
モリスは両者は基本的にコンテクスチュアルな世界観を共有しており,相互行動心理学のメタ理論的な強さと行動分析の実証的な強さを統合していくべきであると考えている.そして,相互行動の場を分析単位とした方がより科学的な前進が期待できると主張している.
私も、このモリスの見解に同感できる。

 行動分析学の発展におけるカンターの影響力はスキナーに比べて遙かに小さいように思われるが、最近の機能的文脈主義的な流れの中では、むしろ、カンターの視座が取り入れられつつあるようにも思う。

不定期ながら次回に続く。