じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ウォーキング中、ムラサキシジミを見つけた。さっそく写真を撮ろうとしたが動きが速すぎでうまく撮れず。と思ったら今度は路上に止まったまま、頑なに羽根を閉じてしまった【写真上】。写真下はかろうじて表側の一部が写っているところ。

2020年8月23日(日)



【連載】#チコちゃんに叱られる!「アフォーダンス」「フロー体験」の続き

 昨日に続いて、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。

 今回は、昨日取り上げた「なんで子供は縁石の上を歩きたがる?」について補足させていただく。縁石の上を歩く行動は、
赤ちゃんはアフォーダンス(動作の手がかりを与えてくれる環境や特徴)を発見することによって新たな動作を学習する。子どもにとっては縁石がアフォーダンスの対象になっている。普通の道には歩きのアフォーダンスがある。道にブロックがあればブロックの上を歩くという新しいアフォーダンスを発見。【子どもは】新しいアフォーダンスを発見して挑戦することで能力を高めようとする。
というように説明された。この記述にも見られるように、アフォーダンス理論では、どうやら行動をトポグラフィー(形態的特性)で定義しているようである。子どもの場合は、環境とのかかわりの中でより複雑で高度な動作を獲得していくと見なしているようである。

 いっぽう行動分析学では行動は機能的に定義される。もちろんスポーツ選手が特定の技能を高めるようなケースでは、トポグラフィーを精査して分化強化を行うこともあるが、日常生活一般の行動は、機能的に定義されなければうまく説明できない。さらには、個々の行動がバラバラ、独立的に強化されていくのではなく、あるまとまりをもって巨視的に強化されていくという、巨視的行動主義の視点も重要ではないかと思う。

 「子どもが縁石の上を歩く」という行動は、動作だけで見れば、単に路上を歩くという行動よりは難易度が高い。しかし、縁石の上を歩くことに慣れてしまうと、今度はもっと難易度の高い動作、例えば、平均台の上を歩くとか、大人になってからは、大山剣ヶ峰縦走(←登山禁止?)にチャレンジするという人も出てくるかもしれないがそれはあくまで発展型のバリエーションの1つに過ぎない。
 「縁石の上を歩く」こと自体は難易度は低いが、だからといってすぐに飽きられるというものでもない。岩山登山の訓練の一環として「縁石の上を歩く」行動は、巨視的に強化される。

 子ども用の自転車の補助輪を外して2輪だけで走るというのは、いっけん子どもが「限界に挑戦して己の能力を高めるため」にそうしているように見えるが、これまた、自転車に乗るという行動がどう機能しているのかによって変わってくる。大人用の自転車に補助輪がついていないのはそのほうが速く走れるからである。塾通いの子どもが補助輪を外した自転車に乗るのは、そのほうが速く往復できるからであって、別段、己の能力を高めるためとは言えない。

 自転車を運転するという動作自体が強化的である子どもは、それに習熟したあとは、もっと難易度の高い一輪車に挑戦、さらにはサーカスのように、縁石の上を一輪車で移動する動作の獲得を目ざすかもしれない。しかし、自転車を移動手段として利用している場合は、いずれはバイクや自家用車で移動するようになるかもしれない。要するに、動作の難易度だけがすべてはない。行動はさまざまな強化因によって強化されているし、種々の行動は、大枠として巨視的に強化される。

 運転と言えば、私が免許を取った頃はまだマニュアル車が主流であった。オートマチック車に比べると、ギアチェンジとか、坂道発進とか、半クラとか、けっこう難易度の高い技が要求されていた。しかし、オートマに乗っている人は必ずしも難易度の高いマニュアル車に乗り換えようとはしない。オートマのほうが動作がシンプルで楽に運転できるからである。

 子どもたちは日常生活場面でさまざまな行動を身につけていく。そのなかには、握る、摘まむ、押す、引くといった基本動作があり、その範囲ではアフォーダンスの考え方は大いに有用であるかもしれないが、より広範囲に行動の発達をとらえる場合には、行動を機能的に定義していかないとうまく対応できないように思う。

 次回に続く。