じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 8月9日の20時頃、すぐ近くで打ち上げ花火が行われた。岡山市内の花火というと、岡山城南側の旭川で行われるのが一般的であるが、今回は、もう少し上流の、旭川・百間川の分岐地点かその付近の中州から打ち上げられたように見えた。
 ちょうど「チコちゃんに叱られる」で花火の話題が取り上げられていた直後であり、「ヒュ〜」という音や、昇朴付の仕掛けの意味を納得することができた。
 なおこの打ち上げ花火は短時間であり、Cheer up!花火の一環ではないかと思われた。7月24日に予定されていたという話も聞いていたが当日は雨模様であったためこの日に延期されたのかもしれない【未確認】。

2020年8月9日(日)



【連載】#チコちゃんに叱られる!「ティッシュのまとめ売りが5箱である理由」「花火のヒュ〜の音源」「かき氷の旗が同じデザインである理由」」

 昨日に続いて、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。今回は、8月7日に放送された3つの疑問について考察する。
  1. なんでティッシュのまとめ売りは5箱なの?
  2. 花火が打ち上がる時、なんでヒュ〜って音が鳴るの?
  3. なんでかき氷の旗は同じデザインなの?

 1.のボックス・ティッシュのまとめ売りが5個となっていることについては、「女性が持てる限界だから」と説明された。番組によれば、ティッシュペーパーは1924年にアメリカで(KLEENEX)、日本では1964年のオリンピックの年に発売された。しかし当時の日本にはちり紙(鼻紙)が普及しており、ちり紙が200枚あたり約40〜45円であったのに対して、ティッシュは約80円〜100円という2倍の価格であったため当初はあまり普及しなかった。しかし、テレビCMで汗の拭き取りやメイク落としなどティッシュの用途を宣伝したことなどをきっかけに徐々に広まっていったという。

 1980年代になるとスーパーの新規出店の目玉商品としてティッシュのまとめ売りが行われるようになり、1983年にはエリエール、1984年にはネピアなど5箱パックが売られるようになった。その際5箱パックとなったのは、当時にボックスティッシュの高さが83ミリ(現在は62ミリ)であり、当時の女性の平均身長155cmからみて5箱が限界であった。箱がコンパクト化したのは、紙が薄くなったほか、原料の配合比率の改良により紙の表面のデコボコを減らすことなどによる。今では日本国民1人あたりにすると1年で約20箱の消費になっているという。

 ちなみに私は普段はティッシュペーパーを殆ど使わないし、ガソリンスタンドなどで貰ったボックスティッシュだけで用が足りているが、例外的に、海外旅行に出かける時は除菌のポケットティッシュを大量に買い込んでいる。このタイプのウェットティッシュは1年も経つと中が乾燥してしまうことがあるが、封を開けてアルコール除菌スプレーを吹きかけておけば1週間程度の旅行には再利用できる。但し原料が化学繊維であるため、キャンプ先泊で使用すると環境汚染に繋がるおそれがある。新型コロナウイルスの飛沫防止のためのマスクが話題になっているが、これらを含めて、廃棄後にどのように処理されているのか、注意を払う必要がありそうだ。

 なおポケットティッシュが普及した理由については、チコちゃんではなく、「この社会の片隅で」という別番組で取り上げられるそうである(最短で11月頃放送予定)。




 2.の花火の「ヒュ〜」は、花火玉が猛スピードで打ち上げられる際の摩擦音かと思っていたが、番組によれば「ちゃんと花火を見てもらうため」、笛のついた花火が同時に打ち上げられるためであると説明された。この「笛」は1733年、徳川吉宗の時代に隅田川で花火が打ち上げられた時に、屋台で並んでいる観客などが花火を見逃さないような合図として使用されたとのことであった。笛といっても人間が鳴らす笛とは異なり、筒の中で火薬が爆発して急速に気体が吹き出すことで鳴る仕掛けになっているようだ。日本の花火では、「ヒュ〜」という音による「間」の演出(「じらし」)のほか、昇朴付(のぼりぼくつき)という打ち上げのまっすぐな光の線が伸びる仕掛けもあるという。上掲の8月9日夜の花火でも、ちょうど番組の説明を聞いた直後であったこともあり、それらの演出を理解することができた。

 最後の3.の「かき氷の旗のデザインがなぜ同じか?」については、番組では(氷を含む)営業許可証であったからと説明された。ウィキペディアでは、
1878年 (明治11年)、粗悪な氷が販売される事を取り締まるために内務省から「氷製造人並販売人取締規則」が公布された。これにより営業者は、衛生検査に合格した氷の生産地・販売者名を示したのぼりや看板を掲げる事が義務付けられた。
と説明されている。元の許可証では、旗の上部に「官許」と書かれ、その下に赤い文字で大きく「氷」、その下には業者名、そして一番下には波の模様が描かれていたという。番組でも説明されていたように、波の模様は、かつて函館氷が蒸気船を使って運ばれたことにちなむ。また番組では、一部の旗で使用されている丈夫の鳥は、日本の伝統模様の波千鳥であり清涼感を取り入れるためにデザインされたと説明された。この最後の説明の部分だが、「波千鳥」というのはチドリの一種ではない。こちらでは、
昔から万葉集などで詠まれ、親しまれている和柄です。
千鳥は、鳥の種類ではなく、水辺に棲んでいて群れで飛ぶ小鳥の総称です。
その千鳥と波を組み合わせた「波千鳥」は、波間を世間に喩えて、「共に荒波を乗り越えていく」という意味があり、夫婦円満や家内安全などの縁起の良い柄と言われています。
また、千鳥には、「千取り」にかけて、勝運祈願や目標達成の意味もあり、どちらも縁起の良い柄と親しまれています。
と説明されており、もともと、波と鳥がセットになった和柄であったようだ。番組の説明を聞いただけでは、波の部分は「船で氷を運ぶこと」、鳥は清涼感を出すための「波千鳥」というように納得してしまいそうだが、もしかすると、蒸気船とは関係無く、単に清涼感を出すデザインとして、波と鳥がセットになった「波千鳥」が採用された可能性がある【鳥の代わりに「特製」「つめたーい」と書かれた旗もよく見かけるが、これらは後になって波千鳥の図柄から鳥を消してしまったデザインであるとも考えられる】。

 なお、今回の番組では全く取り上げられていなかったが、ウィキペディアのリンク先によれば、かき氷を作るためのかき氷機は
1887年(明治20年)には村上半三郎が氷削機(ひょうさくき)を発明し特許を取る。しかし、氷削機が一般化するのは昭和期に入ってからであり、それまでは台鉋を用いて削る方法が一般的であった。
と説明されていた。村上半三郎で検索したところ、こちらにより詳しい説明があった。このほか、一般社団法人日本かき氷協会という団体があることも分かった。