じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月9日午前6時5分ごろ、関東地方で最大震度4の揺れを観測する地震が発生した。NHKニュースではちょうど、大雨関連ニュースを伝えていた最中であり、地震とのダブル報道となった。画像では「人吉市で18人安否不明」というテロップが表示されているが、もし地震発生地域と大雨災害地域が重なると、どちらの災害なのかが分からなくなってしまう。
 今後はさらに、被災地での新型コロナ集団感染が心配される。大雨、地震、新型コロナのニュースをどう重みづけて報道していくのか、大変になりそうだ。

2020年7月8日(水)



【小さな話題】「翔んだカップル」

 7月7日午後にNHK-BSで放送された映画「翔んだカップル オリジナル版(公開は1980年7月、放送されたのは1983年3月のディレクターズ・カット版)」を録画再生で観た。

 この映画の原作は1978年3月19日から「週刊少年マガジン」で連載が開始された。当時私は大学院生であったが、大学構内各所にある資源ゴミ回収所には各種のマンガ誌が捨てられており、それらを院生室に持ち込んで無料で読むことができた。この「翔んだカップル」も当時人気の連載であったが、私が記憶していたのは、
  • 高校入学で上京した田代勇介は叔父が所有する空き家に住むことになったが、小遣い稼ぎで男性の同居人探しを不動産屋に依頼。ところが不動産屋が「山葉圭」を男性だと勘違いしたため、同級生の山葉圭と同じ家に住むことになった。
  • 同級生には杉村秋美という天才少女がいて、なぜか田代勇介を好きになる。杉村秋美は最初はメガネをかけていてガリ勉少女にしか見えなかったが、メガネを外すと知性的な美女に変身。
という程度であった。なお、この連載漫画の一部は、ebookの試し読みで閲覧することができる。上述のメガネをかけた杉村秋美は2頁目に登場しているが、どう見ても気の強そうなガリ勉少女であることが確認できた(その後、単行本第3巻までのあいだで、杉村秋美はメガネを外している。)

 ウィキペディアによれば、この「翔んだカップル」の連載は1981年3月まで続き、その後、1983年〜1985年には「新・翔んだカップル」、1983年〜1987年には「続・翔んだカップル」、さらに「翔んだカップル21」へと繋がるとのこと。登場人物の高校時代から50歳代にいたる半生を描いた壮大な漫画であったようだ。

 私自身がこの連載を読んでいたのは最初の1年程度であり、その後の展開や結末は、今回、ウィキペディアや関連記事を閲覧して初めて知った。主人公の田代勇介と山葉圭は、紆余曲折を経て結婚、メデタシメデタシになるものと素朴に予想していたが、実際には、この2人は別々の家庭をもうけ、田代勇介と杉村秋美は50歳になってから結婚、さらに3人の子供たちは親子2代にわたる三角関係に陥るというストーリーになっているというからスゴい。

 いっぽう、今回の映画は、「同棲」を始めてから、密告により「別居」に至るという、連載漫画のストーリーから言えばごく初期の段階。なので、視聴者の多くは、この先、田代勇介と山葉圭はハッピーエンドを迎えるであろうと期待できる内容になっているように見えた。

 映画の評価については、その道の専門家各位がブログ等で詳しく書いておられるので、私自身の出る幕ではない。ちなみに私は、薬師丸ひろ子主演の映画は、「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ以外には観たことがなかった。連載漫画の山葉圭は、率直に言って、どちらかというと脳天気で、たまたま「同棲」を始めたからといって、なぜ田代勇介と恋愛関係に繋がるのか、シックリこないところがあった。その点、薬師丸ひろ子は魅力たっぷりであった。

 連載漫画の話に戻るが、私は、少なくともいまの時代、高校生の男女が同棲をしながら同じ学校に通うこと自体は別段悪いことだとは思わない。但し、それぞれが自分の親の世話になって学校に通うことに比べれば、生活上多大な困難を伴うことは確か。これは大学生や大学院生の男女が同棲する場合も同様であろう。

 もう1つ、この漫画のストーリーから考えさせられた点として、「一緒に住むこと」と恋愛との関係がある。恋愛関係が発展して「一緒に住みたい」と思うのが普通だが、この漫画の田代勇介と山葉圭は、デフォルトとして「一緒に住む」があり、そこから恋愛関係が発展するという逆の展開になっている。いっぽう田代勇介と杉村秋美との関係は、恋愛が先でそこから「一緒に過ごしたい」という展開になっているようだ。そういう点では、田代勇介が山葉圭ではなく杉村秋美と結婚したというのは、至極当然であるようにも思える。

 しかし、何だかなあ、少なくとも私は、人間関係に振り回される人生はまっぴらごめんである。非常に保守的な考えになるが、結婚して、子育てをして、子どもが独立し、さらに孫の相手をしながら老後を過ごす、最期はどちらかが介護、というごく平凡な人生であればそれでよいと思っている(←と書いてみたが、こういう順風満帆の人生を過ごすには相当の努力が必要。また、何らかの障壁によりそれが実現できない人たちや、あえてそれを望まない人たちがいることは承知している)。それを超える複雑な人間関係は、面倒で煩わしいだけだ。