じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



06月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 「新しい生活様式」のもとで、スーパーでのまとめ買いをすることが多くなった。その際、廃棄に苦労するのが、発泡トレイ、ポリステレン容器、プラスチックゴミである。こちらの案内に記されているように、岡山市では一部の発泡トレイを公民館などで回収しているのだが、
  • 回収対象は、白色・色付・柄付の発泡トレイと透明食品トレイのみ。
  • 以下は不可
    • 豆腐容器
    • 電子レンジ対応容器
    • カップ型即席麺容器
    • 発泡スチロールのクッション材
    • 厚いフィルム状の弁当容器
    • 上縁に糊のついたしめじ容器
    • シール貼り容器
    • 納豆容器
などとなっている。以前にもこのWeb日記に書いたことがあるが、ゴミの分別回収は、分かりやすさが大前提である。分別が守られていないとすぐに「ルールを守ってください」「説明をよく読んでください」というように、利用者の理解不足、自覚不足を原因に挙げがちであるが、どんなに道徳心を向上させても、守りにくいルールを100%定着させることは不可能に近い。
 考えられる対策としては、
  • 上記で不可とされている対象を含めてすべて回収し(但し、きれいに洗っていないものは厳禁)、回収後に何らかのセンサーで自動分別する。
  • 品名、バーコード、割引シールなどは回収後に自動的に剥離する(←利用者が剥がそうとしてもうまく剥がれない場合が多い)。
  • 容器そのものに、利用者が容易に分別できるようなマークをつける。
  • 業者側に、発泡トレイ以外の容器使用の自粛を要請する。
などが考えられる。もちろん、紙容器のように自然繊維由来の容器に代替できればさらに望ましい。


2020年6月8日(月)



【連載】#チコちゃんに叱られる! 「ゴムの伸び縮み」「カルビ」「人一倍」

 6月5日に放送された、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。なお、前週5月29日の放送も視聴したが、興味をいだくような話題が無かったため割愛させていただく【←「割愛」は本来の「惜しいと思うものを手放す」という意味ではなく、近年の多くの人が使う「不必要なものを切り捨てる」という意味】。

 さて、6月5日には、
  1. なんでゴムは伸び縮みするの?
  2. カルビってなに?
  3. 人一倍は、なんで人二倍って言わないの?
という3つの疑問が取り上げられた。

 まず1.は「まるで水のようだから」と説明された。しかしこの「水に似ている」説は、必ずしも的を射た説明とは言えないように思う。ウィキペディアにも記されているように、そもそもゴムの性質(ゴム弾性)とは、「一見柔らかく塑性変形を起こしやすそうに見えるが、元に戻る応力が大きく、変形しにくい」という性質のことを言うのだが、液体の水はこのような性質を全く持っていない。また、「似ているから」というのは例え話のようなものであって、本質の説明には至らない。

 番組では、輪ゴムを引っ張ると細くなる現象は、分子が自由に動き回れることと、同じ体積のまま太くなったり細くなったりするという点で、ビーカーの水を細いメスシリンダーに移し替えると細くなる現象と同様であるというような説明がなされた。しかし、もし同じようなものであるというなら、メスシリンダーに入れた水はビーカーに入れた時の形状に戻ろうとするはず。しかし実際の水は容器の形に応じてどのようにも形状を変えることができる(元に戻ろうとはしない)。

 2.のカルビについては、ウィキペディアに、
日本の焼肉店では、当初は骨付きばら肉が「カルビ」として提供されていたが、食べにくさから骨が外されたばら肉を指すようになり、2010年に焼肉店に対するクレームで、国(消費者庁)が細かくメニューを表示するよう要請した際に、「カルビ」はどこの部位の肉でも構わないと定義されたとの内容が、2020年6月5日放送の『チコちゃんに叱られる!』で取り上げられた。
という記述があった。おやおや、チコちゃんの番組もとうとう出典として引用されるほどまで権威の高い情報源になったようである。

 3.の「人一倍」は「昔は「一倍」が「二倍」だったから」と説明された。ウィキペディアにはさらに、詳しい経緯が説明されていた【一部改変・省略】
日本では、江戸時代以前においては東洋数学の定義が用いられてきた(例えば、「一倍」とは今日で言うところの2倍に該当する。また同じく「半倍」とは、今日で言うところの1.5倍に該当する)が、近代以後に西洋数字が用いられるようになるとその意味合いも変化して、今日のように乗法を指すようになった。
1875年(明治8年)12月2日に出された太政官布告第183号において、こうした倍表示が禁止されるに至った。

もっとも、こうした理解には異説がある。養老律令の雑令に記された出挙の利息制限について記された「一倍」は現在と同じ1倍(=100%)を指しており、『法曹至要抄』(中巻87条)や鎌倉幕府の追加法でもこれを踏襲している。一方、『今昔物語集』(巻14第38)には、利息としての「一倍」(すなわち100%)と元本と合わせた「一倍」(すなわち、100+100=200%)が併用して用いられている。そして、江戸時代の『日葡辞書』や井原西鶴『日本永代蔵』では、「一倍」は2倍(200%)の意味で記されている。こうした変遷から、本来は100%の利息を指して「一倍」の利息と称していたものが、中世になると元利合計の200%をもって「一倍」と称するようになり、中世後期から江戸時代にかけて「一倍」=200%とする考えが社会に定着したとするものである。

「人一倍」という言葉などに近代以前の用法の名残が見出せる。単独で「倍」と使われた場合、大抵は「二倍」を意味する(例:倍になる)。


 なお、各種国語辞典では「人一倍」の定義がマチマチであるが、おおむね「2倍」としているものが多いように見受けられた。
  • 【大辞泉】普通の人以上であること。
  • 【新明解】その人の熱心さや なまけぶりなどが普通の人の二倍であること。
  • 【三省堂国語辞典】ほかの人の倍ほどであるようす。
  • 【岩波国語辞典】普通の人より倍も。


 いっぽう「人一倍」をDeepLで翻訳してみると、

【元の文】彼は人一倍働いた。彼女は人一倍寒さに強い。

【中国語】他比大多数人更努力。 ■比任何人都要耐寒。(■:女へんに也)
【英語】He worked harder than most people. She is more resistant to the cold than anyone else.

というように、翻訳では「多くの人たちと比べて上回っている」というように置き換えられていた。「2倍」というような意味は取り除かれている点が興味深い。