じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 半田山植物園のソメイヨシノの根元にサクランボのような実が散らばっていた。ネット上の関連サイトにも記されているように、ソメイヨシノでも稀に実がなることがあるようだ。但し、ソメイヨシノ自体はクローンなので、仮に実生苗を育ててもソメイヨシノとは別の雑種(新種?)にしかならない。

2020年5月28日(木)



【小さな話題】『東京幻想作品集』

 数日前の民放番組で『東京幻想作品集』というのを紹介していた。途中から視たので、紹介の経緯は分からなかったが、画像検索すると、廃墟となった東京の様々な光景を閲覧することができる。

 そもそもこの絵は誰が描いたのかと検索してみたが、著者は「東京幻想」というペンネームのイラストレーターの方で、ツイッターブログは開設しておられるが、詳しいことは分からない。この方が、大阪が廃墟化した風景を描いた作品集を出版される時には『東京幻想著・大阪幻想作品集』というタイトルになるのか、ペンネームを改名されるのかもよく分からない。

 あくまでネット上で公開されている縮小画像を拝見した限りでの感想だが、核戦争、あるいは新型コロナより遙かに致死性の高い感染症が蔓延して人類が滅亡したような場合は、確かに、こういう光景が幻想ではなく現実になることはアリかなあと思う。

 作品の中で特に目をひいたのは、2020年2月に発表されたという「世田谷線幻想」という作品であった。描かれているのは世田谷線の松陰神社駅であり、世田谷区・若林で生まれ育った私にとっては特に懐かしい風景、しかも、子どもの頃に何度も乗った旧型の車両が描かれていた。(但し、1つだけツッコミを入れさせていただくと、あの旧車両が運行していた時期には、まだ点字ブロックは付けられていなかったと思う。)
追記]ウィキペディアによると、新型の300系が導入されたのは1999年7月ということなので、点字ブロックが敷設されていたかもしれない。但し、あの旧型車両は、もともとは渋谷〜三軒茶屋が路面電車区間であったため、ステップつきとなっていた。いまの世田谷線のホームは、低床車両用に嵩上げされているため、旧型車両を走らせると、ステップの凹みに足をとられる恐れがあるように思う。なお、当該の作品では踏切端の電柱がカットされている。現在の様子はGoogleストリートビューで確認可能。

 このほか、廃墟化した国会議事堂やレインボーブリッジ、倒壊したスカイツリー、など衝撃的な画像が印象に残った。

 こういう作品が強いインパクを与えるためには、描かれている対象が馴染みの風景であることが必要かと思う。仮に、日本の風景を知らない外国人に「廃墟化した国会議事堂」の作品を見せても、これはアンコールワットあたりにある何かの遺跡だろうとしか思わない。なので、これらの作品の価値は、作品そのものの普遍性(描写力、色彩、構図など)だけで決まるものではない。鑑賞者が、(廃墟化していない)現実の光景をよく知っており、かついま現在、その場で生活していればいるほど、作品と対比することによる衝撃の度合いも増してくる。上掲の松陰神社前駅の作品なども、私自身が実際にこの駅を利用したことがあればこそ、強い衝撃を受けるのである。逆に、2020年東京オリンピック用の陸上競技場などは、そもそも完成した施設を見たことが無いので、廃墟化した作品を見てもそれほど強いインパクは受けない。

 ところで、ネットで検索すると、これらの作品の一部についてはパクリではないかという指摘があるという。知恵袋によると、どうやら、プロのカメラマンが撮影した著作権で保護された写真を無断で使用して作品を描いていたことが批判の理由であるようだ。加工前の風景写真を御自身で撮影していれば何の問題も無かったのに残念なことだ。このあたりの議論はいろいろあり、一般論として、例えば「モナリザ」の表情を加工することで新たな印象を与える作品が創られ、かつオリジナリティがあった場合は、芸術作品としては十分に評価されるであろう。

 今回の東京幻想の場合は、まず、御自身で現場に出かけて写真を撮っていれば、わざわざ批判を受けることは無かったと思う。その上で、芸術作品としての価値は、「廃墟化」の加工にどれだけのリアリティやオリジナリティがあるのかにかかわってくる。知恵袋では「写真をデジタル加工して、アニメ背景の人なら誰でも描けるレベルの廃墟風レタッチを施しただけの底が浅い作品」というようにネガティブな評価が与えられているが、私自身は、強いインパクトを受けたという点でもう少し高く評価して良いように思う。パクリとか贋作といった問題を除けば、けっきょくのところ芸術作品というのは、観たいと思う人がどれだけいるのかにかかっている(もちろん、ゴッホの作品のように、後の世で評価されることもあるが、いかなる時代、いかなる世代、いかなる文化によっても支持されない作品は、結果的に地球上からは姿を消すことになる。) なので、とりあえず、現実の光景と廃墟化した光景との対比が強いインパクトを与えているという点で、東京幻想のいくつかの作品は十分に鑑賞価値がある。さっそく、デスクトップの背景として、松陰神社前駅の作品を使わせていただくことにした。