じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 新型コロナウイルス対策で閉店していた岡大生協の食堂が先週金曜日から営業を再開しているが、利用条件はかなり厳しい。食堂に入る際にはマスク着用、食事中は無言、食事が終わったら直ちに退室が推奨されている。食事以外でのホール利用も自粛。一例としてホール内でのゲーム、勉強・読書、「寝る」などの行為が要請されている。「寝る」が例示されているということは、これまで食堂ホールで昼寝をしている人が居たということか。


2020年5月26日(火)



【小さな話題】隠居生活と映画

 数日前に映画「今夜、ロマンス劇場で」の話題を取り上げたのを機会に、このWeb日記で言及したことのある映画のリストを「映画の部屋(暫定版)」にまとめてみた。もっとも、人生60+α年ともなれば、これまでに観た映画は膨大な数に上る。すべてを網羅することは殆ど不可能に近い。

 2008年12月27日の日記ほかで記したように、私自身は、高校時代には2週間に一度は渋谷の東急名画座館に通うほどの映画好きであったが、大学に入った頃からあまり興味が無くなり、その後は1年に1〜2回、もらった映画券を無駄にしないために観に行くという程度、さらに定年退職後は、映画といっても、もっぱらTVで放送された過去の映画の鑑賞に限られており、この先、映画館に行くことはまずあり得なくなった。

 映画館に通わなくなった理由は少なくとも2つある。

 1つは、映画館で一度観ただけでは内容が理解できないという理由。上掲の「今夜、ロマンス劇場で」の場合でも、録画した映像を何度か再生しないと気づかないようなセリフや、シーンがあった。

 もう1つは、まさに高齢化のせいと言えるのだが、映画館に2時間も座っていると、まず確実に尿意が増してくる。自宅であれば再生を一時停止にして続きを観ることができるが、映画館では上映中にトイレに行くと周囲の人たちに迷惑をかけるばかりか、重要シーンを見逃してしまう恐れがある。

 いっとき、映画館ならではの3D映画を観るたびに足を運んだこともあったが、何本か観ているうちに新鮮味を感じなくなった。




 最近では、テレビばかりでなく、ネット経由の動画配信で映画鑑賞ができるようになっているという。新型コロナ対策として「ステイホーム」が推奨されている時期には、1カ月無料で見放題といった広告も目にとまったが、けっきょく、申し込みは取りやめた。

 「見放題」のようなサービスの契約をすれば、たぶん、毎日数時間以上は映画にのめり込むことになりそうだ。しかし、これが、隠居人の残りの人生にとってプラスに働くのか、マイナスに働くのかは何とも言えない。

 プラス面として、いろいろな映画を観れば、日常とは違った世界を疑似体験できるし、登場人物を通じて、自分とは異なる生きざまにも触れるといった、人生を豊かにする可能性を挙げることができる。

 そのいっぽう、毎日数時間以上も映画を観るということは、それまで続けてきた何らかの行動が数時間削減される、要するに、数時間ぶん奪われるということを意味する。隠居人を標榜していると言っても、これまで私なりに結構忙しい生活を続けてきた。その部分を映画鑑賞に置き換えるというのは、時間の配分としてどうかなあという気もする。




 私はもともと共感性が乏しく、感情移入ができない人間であった。国語が苦手な科目、というか嫌いな科目であった1つの理由は、小説の登場人物とか作者の心情を尋ねるような質問をされたことにある。居直って言えば、「登場人物の気持ちなんて分かるもんか、自分には関係無い。勝手にすればエエじゃ無いか」というのが素直な感想。といってもそれでは0点にされてしまうので、単に得点を取るだけの目的で、お手本どおりの正解を出すように努めたものである。

 映画やドラマの場合も、冒頭のシーンはたいがい馴染めないところがある。そのまま観るのを止めてしまうことが少なくない。そのいっぽう、いったんハマってしまうと抜けられなくなることもある。こちらのリストにも挙げたように、過去のドラマでは、韓流の「冬ソナ」「私の心が聞こえる?」「屋根部屋のプリンス」などには相当ハマったほうだし、世間ではあまり評判がよくなかったNHK朝ドラの「純と愛」にも熱中した。映画のほうでも、時たまハマることがあるが、ドラマに比べるとトータルの時間が極めて短いため、日常生活に影響を与えるほどのことは無い。

 旅行記や旅行アルバムの編集は、あくまで自分自身の体験の回想であり、「いま、ここ」の生活に回想を重ね合わせることで、「いま、ここ」の価値を重層化することができる。それに比べると、映画やドラマの世界は、原理的には、自分と無関係な人たちの活動を覗き見するようなものであって、自分自身の「いま、ここ」に重ねることはできない。鑑賞力のある人ならば、映画やドラマで描かれている人間の本質的なものを汲み取って自分の生活に活かすことができるのだろうが、残念ながら私にはそこまでの技量がない。

 もっとも最近、地球上の生物というのは、人間を含めて、進化の中で結果としてそうなったという形で生きているだけで、いくら自然とのふれ合いを重視しても、無味乾燥な法則性が見出されるばかりで、「価値」の発見には繋がらない、とふと思うことがある。もしそうであるとすると、価値というのは、今回取り上げた映画であれ、音楽や美術であれ、あるいは小説であれ、人間が創造し共有することによって初めて見出されるものであり、そういう努力をしない限りは無価値の世界に取り残されてしまう恐れがあるようにも思われる。

 ちなみに私は子どもの頃から一貫して無宗教であるが、これはあくまで自然現象を説明・予測する際には宗教概念は冗長であり不要であると考えているからであった。しかし、宗教に、人の生きざまや死に方を意義づけする力があるという点は全く否定していない。といって今さら出家することはあり得ないが。

 もとの話題に戻るが、「映画の部屋(暫定版)」は気まぐれで少しずつ増補する予定。しかし現時点では、自分自身の体験である旅行記や、日々のウォーキングで見つけた花の写真などをアルバム化することを優先していきたいとは思う。いずれ寝たきり生活にでもなれば、今よりはもう少しマシな映画鑑賞記録が書けるようになるかもしれない(←認知症が進んで、意味不明な言葉の羅列になってしまうかもしれないが。)