じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 私が読んだ「ピノッキオの冒険」。講談社の『少年少女世界文学全集39 南欧・東欧編第2巻』(講談社、昭和36年4月10日発行)。

 当時としては豪華な想定になっている。横文字は英語ではなく訓令式ローマ字。
  • A:冒頭の書き出しにおける視点の移り変わり。ウンベルト・エーコも絶賛した書き出しであるという。
  • B:ジェッペットやピノッキオが飲み込まれた「海のかいぶつ」は、クジラではなく大きなサメであった。
  • C:仙女さまの前で鼻が伸びるシーン。嘘をついたから鼻が伸びるのではないと解説された。
↓の記事参照。

2020年5月18日(月)



【小さな話題】100分de名著『ピノッキオの冒険』

 少し前の話になるが、4月のNHK「100分de名著」で、『ピノッキオの冒険』を取り上げていた。

 私がピノッキオの冒険を読んだのは上掲の『少年少女世界文学全集』のみであり、幸い、書棚にその時の本が保管されていた。本には私自身による「7.14 8.38 読み終わり」という私自身による書き込みがある。「38」という数字からみると、どうやら昭和38年、私が11歳の時に読了したものと推定されるが未確認。

 まず、ピノッキオという主人公の名前だが、私が長年「ピノキオ」であると思っていた。また、ジェッペットやピノッキオが飲み込まれた「海のかいぶつ」はクジラであると思っていた(原作では大きなサメ)。こうした思い込みの原因は、どうやら、ディズニーの映画(1940年)の影響を受けたためであるようだ。もっとも私は、このディズニーのアニメを見た記憶が無い。おそらく、友だちが皆「ピノキオ、ピノキオ、...」と呼んでいたり、何かの挿絵でクジラに飲み込まれたシーンを見たりしているうちに、そのような思い込みが固定されたものと思われる。

 番組によれば、カルロ・コッローディの原作は1881年、子ども新聞からの連載依頼を受けて開始された。コッロディは当時賭博にのめり込んで、借金返済のために連載を開始。返済が完了した時点で10数回の連載を終わらせてしまったが(追い剥ぎに縛り首にされて死んでしまうところで終了)、読者の強い要望を受け、仙女さまを登場させて再開、その後長編化したという。

 上掲の講談社の本でも並置されているように、ピノッキオの冒険は、クオーレと同じ時代に出版された。しかし、『クオーレ』が1886年に発売されたちまちベストセラー(40刷)になったのに対して、ピノッキオのほうは1883年に単行本化、1886年時点ではやっと第2刷が刊行された程度で、19世紀末にはあまり人気が無かった。そのピノッキオがミリオンセラーになったのは、1890年にコロッディが亡くなってから後の1920年代であった。イタリアでは1922年にファシスト内閣が成立しており、ピノッキオのような自由奔放で型破りなあり方のほうが、新しさを求めるファシズムに合致していると説明された。

 このほか、「ピノッキオの鼻が長くなるのはウソをついたからではない」という説明も意外であった。「嘘をつくと鼻が伸びる」という話はピノッキオ・パラドックスとしても知られているくらいであり、世界の常識であると思っていたが、仙女に嘘をついた時ばかりでなく、鼻が作られている時、匂いをかいだ時にも鼻が伸びており、実際は「感情が大きく揺れた時に伸びる(感情のリトマス試験紙)」と解釈するのが正しく、少なくとも、道徳的な教訓を押しつけるために伸びるのではないと説明された。ま、一般に嘘発見器などとも呼ばれるポリグラフの原理も似たようなところがあり【こちらの説明参照】、論理学的な意味でのピノキオ・パラドックスと実際のピノキオの鼻は無関係のようであった。

 ピノッキオの話は、時代を超えた冒険小説としても楽しめるが、番組で繰り返し指摘されていたように、当時の時代背景(不条理、児童労働など)やコッロディの子供観を理解した上で読むとまた面白さが変わってくる。小学生の頃に読んだ時は、「ピノッキオってダメなヤツだなあ。なんであんなに騙されたり、大事な人を裏切ったりするのだろう」と思ったりしたが、「子どものためのピカレスク・ロマン(悪漢小説)」という前提で読めば、主人公への印象も変わってくる。

 最後に、ピノッキオの冒険では、「仙女さま」が重要な存在になっている。私の場合、仙女さまのイメージは、上掲の挿絵を通じて形成されており、思春期前の理想の女性像というのは、こういう崇高優美で包容力の豊かな年上の女性であった。思春期になると同学年の女の子にも興味を持つようになるが、どこかで仙女さまに守ってもらいたいという気持ちは大人になるまで(←いつ?)持ち続けていた。こういうのは、マザーコンプレックスとも違うし、ピーターパン症候群でもない。何と呼ぶのかは分からないが、残念ながら、私の人生では、仙女さまには一度も巡り会うことなく、隠居老人と化してしまった。