じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ニュージーランドのカワラウ渓谷吊橋のバンジージャンプ。一般向けの施設としてはここが世界最古だという。↓の記事参照。

2020年5月11日(月)



【連載】#チコちゃんに叱られる!「バンジージャンプの由来」「土産物屋の木刀」

 5月5日に放送された、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。この回は、「令和になってもう1年! "エール"といえば大洋ホエールズ。あ〜筒香はもういないのか・・・スペシャル〜!」。まことに失礼ながら、私は朝ドラは見ておらず、ゲストパネラーの俳優さんのお顔は全く存じ上げていない方ばかりであった(「大洋ホエールズ」とか「国鉄スワローズ」なら知っているが)。
 でもって、この回は以下の5つの疑問が取り上げられた。
  1. なんでバンジージャンプは飛ぶの?
  2. なんでお土産屋には木刀が売ってるの?
  3. なんで秋葉原はオタクの街になったの?
  4. なんで最後に走る人をアンカーって呼ぶの?
  5. 虫歯の虫ってなんの虫?
本日はこのうちの1.と2.について考察する。




 まず1.であるが、ウィキペディアでは、
  • バヌアツ共和国で昔からあったナゴールに由来。
  • 1979年4月1日、英国オックスフォード大学デンジャラス・スポーツ・クラブのメンバー3名が、バヌアツにおける儀式に影響を受け、英国ブリストルにある高さ76mのクリフトン吊橋からジャンプしたのが、現在に至る近代的バンジージャンプの初の例と言われている。
  • A. J. ハケットが、超伸縮素材のゴムひもを使ってニュージーランド各地や、パリのエッフェル塔からのジャンプを敢行。
  • 1988年、ハケットは自らの名を冠した会社、A.J.Hackett Bungyを立ち上げ、ニュージーランド南島のオタゴ地方、クイーンズタウン郊外にあるカワラウ渓谷吊橋で、一般向けのエクストリームスポーツとしてバンジージャンプを始めた。
というように説明されており【一部改変・省略あり】、番組の内容もほぼ同様であった。
 なお、バンジー (bungy) とは英語のニュージーランド方言でゴムひものことで、人名とは無関係であるようだ。

 ここからは個人的な話になるが、私自身はこれまで一度もバンジージャンプを体験したことがない。また、他の人が飛び込むシーンを見たのは、上掲のカワラウ渓谷吊橋のだた一度のみである。カワラウ渓谷で見物した時に聞いた話だが、この施設での「飛び込み料」は何万円だったか忘れたがかなり高め。途中でキャンセルしてもお金は戻らないとのこと。また、確か、高齢者の利用にはいくつか条件があったはずだ。
 私が若い頃にはこんな遊びは無かったと思っていたが、じっさい、上記の歴史を見ると、カワラウ渓谷吊橋での営業開始はちょうど子育てで忙しい時期以降となっており、チャレンジする機会を逸してしまったようである。




 2.の土産物屋の木刀の話だが、この話題に入る前に、番組のテロップで表示された、

日本中のお土産屋に木刀が売っているのはなぜ?

あるいは、説明の中で表示された、

日本中のお土産屋に木刀が売っているのは高橋さんが頑張ったから

という表現についてひとこと述べておきたい。私が古い人間であるからなのか、あるいは、本をあまり読まないせいなのかは分からないが、私自身にとっては、上記の日本語表現には少々違和感がある。私が思う「しっくりとする」表現は、
  • 日本中のお土産屋木刀売っているのはなぜ?
  • 日本中のお土産屋木刀が売られているのはなぜ?


である。「木刀が売っている」という時の「木刀」は「売っている」行為の主体(=いわゆる「主語」)であり、いわゆる目的語にはならない。実際、「木刀が売っている」は、「店長が売っている」と同じ構造であり、「○○が」の部分が「いわゆる主語」なのか「いわゆる目的語」なのかは、文脈や意味内容を知らないと判断できなくなってしまう。ま、日本語は文脈依存の言語と言われるくらいだからそれでも良いのかもしれないが。

 そう言えば少し前、ボラとも先生のブログ(4/17付け)で、

●「マスクがどこにも売っていない。」

という表現が取り上げられていたが、これも私としては、
  • マスクはどこにも売られていない。
  • マスクが売られている店はどこにもない。
というようにしないと、日本語的にしっくりこないところがある。




 さて元の話題に戻るが、観光みやげと言えば、少し前にペナントが取り上げられたことがあった。製造・販売を始めた人のプロジェクトXも興味深いが、なぜ、ある時期に流行したのか、またなぜ現在では廃れてしまったのか、といった社会的・文化的背景からも説明する必要があるように思う。

 番組によれば、土産物屋の木刀は、もともと会津若松で売られていた「白虎刀」にヒントを得た「高橋さん」が、木刀の文字を各地の観光地の名前につけかえて販売したものであり、自社製品に切り替えたのち、全盛期には16万本まで達したという。しかし、その後、少子化や子どもの遊びの内容が変わり、しだいに売れなくなっていったという。なお、こちらの(2018年10月25日)により詳しい取材記事があった。記事によれば、木刀がいちばん売れていたのは30年ほど前(1988年前後)で16万本(番組の記事と同様)、今は(2018年時点)では3万6千本くらいになっているという。但し、タカハシ産業の自家生産とは別に、中国製の木刀もあるらしい。新型コロナ前は、ひょっとして、中国人観光客が中国製の木刀を土産に買っていたのかもしれない。

 さて、番組では、小学生の子どものチャンバラ遊びと、上記の観光みやげの木刀が関連づけられて紹介されていたが、私自身の個人的な体験から言えば、子どもがチャンバラ遊びをしていたのはもっと古い時代、昭和30年代であったような気がする。当時は時代劇映画の流行を背景に、「赤胴鈴之助のラジオドラマのほか、NHKでも子ども向けのチャンバラ番組が放送されていたと記憶していたが、その後、時代劇映画の人気が衰え、またチャンバラ遊びで目を怪我する事故があったことから、次第に廃れていった。ウィキペディアでは「チャンバラ」は、「現在では時代劇の人気が衰え、乱暴な遊びがあまり好まれなくなったためにめったに見かけられないが、時代劇映画が流行した1960年代頃までは、男の子が最も熱狂する遊戯の1つであった。」と記されている。

 いっぽう、上掲によれば、土産物屋の木刀が最もよく売れたのは1988年前後であるという。番組でも紹介されていたが、この頃は確かにテレビで必殺仕事人が人気を呼んでいた頃であった(1987年頃であれば必殺仕事人V・風雲竜虎編の放送あり)。しかし、必殺仕事人が子どもたちのヒーローになったり、それを真似てチャンバラ遊びが流行ったことは無かったように記憶している。

 ということで、昭和30年代に流行ったチャンバラ遊びと、観光みやげとしての木刀販売最盛期は30年ほど時代がずれており、1988年以降に木刀の土産が廃れていった原因はもっと別の所にあるのではないかと思われる。代わりに考えられる原因としては、
  • お土産品の多様化
  • 嵩張るお土産を回避(木刀は持ち運びにくい)
  • 空港のセキュリティチェックでトラブルになる恐れ。
などが挙げられるかと思う。

次回に続く。