じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 半田山植物園の赤(マンサク・ディアン)と黄(シナマンサク)とピンク(枝垂梅)。この配色が見られるのは地球上でココだけかもしれない。


2020年2月16日(日)



【連載】#チコちゃんに叱られる! 「大根おろしの辛さ」、「湯船の由来」

 2月14日放送のNHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。この回は、
  1. 大根おろしの辛さってなに?
  2. なんで浴槽のことを湯船っていうの?
  3. 大阪の人がエスカレーターで右側に乗るのはなんで?
という3つの疑問が取り上げられた。本日は1.と2.について考察する。

 まず1.の大根おろしの辛さについては、「大根なりの最後の抵抗」と説明された。要するに辛味(グルコシルートとミロシナーゼの融合によって生じるイソチオシアネート)を含むことで動物や虫たちに食べられることを防ぐ効果があるということ。

 もっとも、この説明には少々納得できないことがある。少なくとも人間の場合、辛味があるというだけで食べるのを止めたりはしない。また、私自身、かつて、味覚嫌悪条件づけの実験で、味覚刺激の1つとしてキニーネを使ったことがあるが、ラットは平気で飲んでおり、苦味自体をそれほど嫌っていないように見えた。雑食性の動物は、「味→結果」つまり、何かを食べたあとで有害な結果が生じればその味を避けるようになるが、大根を食べたあとで別段食中毒になるわけではないので、「大根なりの最後の抵抗」が有効に働いているとは思えない。

 なお、番組では、大根の下の部分のほうが辛い理由について「地中の虫や微生物に食べられるリスクが高いから」というように説明していたが、辛味そのものが防虫効果や殺菌効果をもたらしているのではなくて、あくまでイソチオシアネート自体にそのような効果があり、結果的に辛いと言うべきであろう(但し、地中の虫や微生物が大根を囓る時にどうやってグルコシルートとミロシナーゼが融合するのかはイマイチわからない。)

 2.の湯船については、昔の浴槽は木でできていたことから、木造船と同じ技術を必要としており船大工によって作られたことに由来すると思っていたが、番組での正解は「湯船という船があったから」であった。ウィキペディアで検索してみると確かに「江戸時代に存在した湯を張った浴槽を備えた船、および、それを使って行われた移動銭湯」と記されており、また番組で紹介された『和漢船用集 五』には、全長約10mの船の絵が描かれているという。

 M先生によれば、江戸時代、戸棚風呂(サウナ)から浴槽のある銭湯が作られるようになったが、郊外に暮らす人々はなかなか銭湯には行かれなかった。そこで、運河や水路を利用した湯船が人気となり、最盛期には約100軒(銭湯は約570軒)、料金は4文(現在の金額で約80円)となっていて普通の銭湯の半額程度で利用できたという。

 余談だが、岡山県北には「蒜山湯船」という地名や「湯船川」という川がある。湯船川沿いのおろがたわ林道を歩いたことがあった。

 次回に続く。