じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 12月27日の夕方の散歩時、電線や車が夕日を浴びて輝いている光景を目にした。そういえば、この日の日の入り時刻は17時ジャストであり、12月2日〜9日の16時53分より7分も遅くなっている。電線が輝く条件としては、このほか、太陽の方位や、電線となる背景なども影響してくるかと思う。

2019年12月27日(金)




【小さな話題】「こんなに変わった!?歴史の教科書」

 年末ということで録画したTV番組のダビング(もしくは消去)作業をしていたところ、11月11日に録画したBS-TBSの、

にっぽん!歴史鑑定#218 「こんなに変わった!?歴史の教科書」

が残っていた。昔、中学や高校の日本史の教科書に書かれていたことが、その後の発見や考証によって書き換えられているという話。もっとも大部分は、以前にも別の雑学系番組で耳にしたことがある話題ばかりであった[]。以下、順不同で挙げてみると、
2015年2月8日の日記にも関連記事あり。
  1. 鎌倉幕府成立は1192年ではない。
    →この話は何度か聞いたことがあるが、そもそも全国に情報が伝わるのに何週間もかかったような時代、何かの出来事1つだけで時代が変わるということはありえない。またウィキペディアにも記されているように、「幕府」という言葉が、今日のように観念的な武家政権を指すものとして用いられるようになったのは、江戸時代中期以降であり、かつ鎌倉「幕府」が江戸「幕府」と同じような支配構造を持っていたわけではない。

  2. 室町幕府初代将軍・足利尊氏と言われてきた肖像は、実は別人!
    →これも以前聞いたことがあるが、ホンモノの尊氏らしいと言われる別の肖像画は今回初めて見た。

  3. 聖徳太子の肖像画もホンモノではなかった。
    →私の世代では「聖徳太子」と言えばお札が浮かぶほどであったが、別人説もあり、現在では「伝聖徳太子像」というように「伝」がつけられている。そもそも、聖徳太子が実在したかどうかについても異論があるというし、実在したとしても、伝えられている逸話や実際に行った政策のうちどれがホンモノで、どれが後世に付け加わった虚構なのか、はっきりしないところが多い。

  4. 日本初の鋳造貨幣は和同開珎ではなかった!
    富本銭(683年頃)のことは以前にも聞いたことがあった。和同開珎の708年より古いが、問題はどこまで流通していたのか、それとも単なる儀式の道具の1つであったのか、ということで、今後さらに発掘があれば見方は変わってくるかもしれない。なお、私が小学校の時は「和同開珎」は「わどうかいほう」と呼んでいた。

  5. 「士農工商」は身分制度ではなかった
    →身分制度ではなく、職業を分類したものにすぎず、漢書の「士農工商 四民有業」に由来し、明治維新後に「江戸時代より良い時代になった」ということをアピールするという明治政府の思惑があった。

  6. 江戸時代、「鎖国」政策はなかった
    ウィキペディアにも、
    2017年2月には2020年度から使用される中学校の次期学習指導要領改定案から「鎖国」という表現が削除され、小学校では「幕府の対外政策」、中学では「江戸幕府の対外政策」とされる予定であるとの発表があった。しかし、パブリックコメント(意見公募)での批判が多かったことから、幕末の「開国」との関係に配慮し「鎖国などの幕府の対外政策」といった表記がなされることとなった。
    という議論が紹介されている。ま、幕閣の中で「鎖国」という言葉が用いられた初出は1853年であると言われており、呼称にこだわることなく、何が禁止されていたか、何が許可あるいは黙認されていたのかを明確にするべきであろう。

  7. 縄文時代の始まりは、「1万2000年〜1万3000年前」ではなく「16500年前」であった。
    →今後の遺跡発掘によってさらに古い年代に置き換わる可能性もありそう。

  8. 教科書から「大和朝廷」が消え、「ヤマト政権(ヤマト王権)」になった。
    リンク先にも記されているように最近では、「大和」や「朝廷」が当時の漢字表記や支配構造の形態からみて適切ではないという見方が定着しつつあるようだ。なおヤマト政権の時代は「天皇」ではなく「大王(オオキミ)」という称号が用いられており、「天皇」という呼称は、推古天皇、あるいは朝廷が成立した時期とされる天智天皇や天武天皇の時代から登場しているという。また先日、光格天皇を取り上げた別の番組(「英雄たちの選択、5月8日初回放送)で解説されていたが、幕末に歴代天皇のお名前を記した『雲上明覧大全』によれば、第62代の村上天皇を最後に、63代の「冷泉院」から119代の「後桃園院」まではすべて「院」と称されており、第120代の光格天皇により「天皇」が復活されたとのこと。但し、ネット情報によれば、一部、天皇という呼称も記されている部分があり、完全に「『雲上明覧』を根拠に“五十七代約九百年のあいだ「天皇」号は中絶していた”」と結論づけられるかどうかはまだ議論がありそう。


 ということで、初耳の話題もあれば、使い古された雑学ネタもあったが、とにかく、日本史でも世界史でも地理でもそうだが、後の時代に変わるかもしれない概念や年代については、あまり細かいところまで暗記させることがないようにご配慮願いたいところだ。私自身は、大学入試の時は日本史で受験したが(←当時はセンター試験も共通一次もなく、大学ごとの個別試験のみ)、暗記ばかりの歴史の授業には全く興味が持てず、日本史の受験の当日、持参していた参考書類をビリビリに破いて宿泊していたホテルのゴミ箱に捨ててしまったほどであった。
 定年後に、歴史教養関係の番組を視るようになり[]、中学高校の授業でもテレビ番組のように取り上げてくれていたらもっと歴史科目が好きになっていたはずだと思ったりするが、もはや50年前の青春を取り戻すことはできない。

]最近よく録画・視聴している歴史系の番組