じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 蜘蛛の巣越しに撮影した月齢9.1の月。コガネグモかジョロウグモかは判別できなかった。写真を見て初めて気づいたが、大型のメスの近くに、オスと思われる小型の蜘蛛が同居していた。ふつう、オスは「メスから離れたところで同居し、メスの機嫌をうかがい、それから網に入って交接を行う」と言われているが、こんなに近づいているのは珍しい。あるいは、すでにメスに食べられてしまった亡骸がひっかかっているのだろうか。

2019年11月6日(水)



【小さな話題】観るのが楽しい夢と終末期に観る夢

 ふだん、短い夢しか見ない(もしくは起きた時に思い出せない)私であるが、11月6日〜7日の夜、珍しく長編で、ワクワクするような夢を見た。あらすじは以下の通り。
  1. 知り合い3人ほどで街を歩いていると、右手に奇妙な姿の動物の像が並んでいた。
  2. しばらく見ていると、その像は動いていることが分かる。じつは、お面をつけた動物たちだった。いちばん大きいのは丸っこい形をしていたが、よく見るとお面の下から長い鼻が伸びていて、ゾウであることが分かった。
  3. その後しばらく歩いてホテルのような建物の2階に入る。隣の客室にはインド人の若者3人が入ってくるところであった。
  4. 2階の通路側から下を見下ろすと大きな広場があり、いろいろな動物が走り回っていた。隣接する動物園が特別企画として、動物を放し飼いにしているとのことだった。
  5. 建物右手では、ゾウたちが何と建物の壁を登って3階に達していた。
  6. いっぽう、広場のほうでは、ライオンの10倍もあるような大きなヤクがライオンを追い散らしていた。
  7. その後、この建物の周りを一人で散策していたところ、髪の長い女性がうしろからニコニコしながらついてきた。
  8. しばらく歩くと、幼稚園があり、中では、子どもたちがパソコンのような機器で遊んでいた。パソコンでは何かの映画を上映していたが、自分で文章を打ち込むと、打ち込んだ内容に応じてストーリーが変わるようになっていた。
 以上のような支離滅裂な内容であるが、夢のネタはすべて思い当たるところがある。
  • 動物が変身したり、髪の長い女性が出てくるシーンは、3日前に録画再生で観た映画「青天の霹靂」の影響が大きい。変身はマジックのシーン、髪の長い女性は柴咲コウさんだろう。
  • 動物がいろいろなお面をつけているのは、ニュースで香港の若者たちがお面をつけている映像があったため。
  • 動物がたくさん登場したのは、最近、到津の森公園のやカラパイアで動物たちの面白い映像を何度か見たため。
  • 11月6日の「シブ5時」で、愛知県犬山のモンキーセンターの話題を取り上げていた。
  • ホテルの客室からの眺めは、9月の西チベット旅行で泊まったホテルからの眺望。
  • 広場や幼稚園のシーンは、10月に孫の運動会を見に行ったため。
などが挙げられる。

 いっぽう、この日に限ってなぜ長編の夢を見たのかというのも大いに思い当たることがあった。というのは、この日の朝、2年ぶりに胃の内視鏡検査を受けたためである。かつて胃カメラというと、管が喉を通る時の吐き気や、胃を膨らませるために空気を入れることでお腹がパンクするのではないかと思うような苦痛を感じたものであったが、前回から受検している病院では、検査時に鎮静剤を注射するようになっていて、苦痛は大幅に軽減されている。
 この鎮静剤には軽い催眠作用があり、翌朝まで自動車、自転車、バイクの運転は禁じられていた。この日の夕刻にはいつものように半田山植物園に散歩に出かけたがその時には特段の眠気は感じられなかった。しかし夜7時を過ぎた頃から急に睡魔が襲い、夜中に起きる回数が少なかった。おそらく、この薬の残存効果によって、いつもと異なる睡眠レベルが続いたのではないかと思われる。

 今回の内視鏡検査は定期的な診断によるものであるが、私もすでに67歳を過ぎてしまい、そろそろ異常が発見されてもおかしくない年齢には達している。そうなると、いずれは緩和ケアを受けることになるだろう。このことでふと思ったが、緩和ケアの際に投与される鎮静剤などをうまく処方すれば、病気は改善しなくても、毎日楽しい夢を観ながら死ぬことができる可能性がありそう。以前、このWeb日記で、寝たきりの高齢者が楽しめるようなバーチャルリアリティの技術に期待をかけたことがあったが、夢を観るだけだったら特別な装置は要らない。起きている時の何らかの体験と、睡眠レベルのコントロールだけで実現できそう。

 ちなみに、癌の治療法の1つとして抗がん剤投与があるが、実際に投与を受けた人たちの闘病日記を拝見していると、かなりの副作用があり苦しみに耐えなければならないようである。その時になってみないと何とも言えないが、私がそうなった時には、治る確率が相当高い場合は別として、治る見込みが殆どない時には抗がん剤投与でより長く苦しむよりは、緩和ケアを選択し、楽しい夢を観ながら安らかに死ぬ方を選択したいとは思う。といっても、何の苦痛も伴わない死というのはあり得えないとは思うが。