じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 「なぜ未熟な指導者は体罰に頼るのか?」の一因を説明する図版。↓の記事ご参照。

2019年10月14日(月)



【小さな話題】
なぜ未熟な指導者は体罰に頼るのか?

 ツイッターでこのことが話題になっていた。元のリンクは心理学ミュージアムのコンテンツであるが、私自身もかつて担当していた心理学概説科目の中で「平均への回帰」を取り上げたことがあった。但し、これは行動分析学ではなくて、クリティカルシンキングの一例であった。

 心理学ミュージアムのコンテンツと異なり、私の授業では、「選手を褒めると慢心して成長しない。厳しく叱りつけていくような指導をしないと選手は成長しない」というような指導法がなぜ確信されやすいのかということを説明した。

 そのこともあって、「褒める」ことや「叱る」こと自体が中長期的にどういう効果をもたらすのかについては触れていない。というより、選手は練習の積み重ねによって、褒められたり叱られたりすることと無関係に上達していく、ということを前提としている。

 上掲のグラフの右上がりの赤線は選手の上達度を移動平均的に示したものである。しかし、殆どのスポーツがそうであると思うが、選手の実際の成績は、選手自身の体調の変動、あるいは競技自体の偶然的要因(相手選手の強さ、天候など)によって、グラフの曲線が示すように上下に変動する。上振れしている時は「絶好調」、下振れしている時は「スランプ」などと言われる。これらの変動はあくまで一時的な現象であり、練習を続けていけばいずれ平均的な上昇レベルに戻る可能性が高い。

 でもって、未熟な指導者が、選手の競技結果だけに基づいて、良い成績を上げた時に褒め、成績が悪かった時に叱ったらどうなるか? 上掲のグラフが示すように、褒めた後では成績は低下し、叱った後では成績が上がる確率が高い。つまり、本当のところは褒めても叱っても殆ど影響はないにもかかわらず、指導者の行動としての「褒める」は成績低下という結果によって弱化され、「叱る」は成績上昇という結果によって強化されやすい、このことがスパルタ式の指導法が支持されやすい一因になっていると考えられる。

 もっとも、すでに述べているように、上記はあくまで指導者側のどのような行動が強化されやすいかを論じたものであって、「褒める」「叱る」自体の効果を議論したものではない。表題の「体罰に頼る」については、こちらの声明に記されている通りであるが、だからといって、体罰を伴わない「叱る」こと自体が100%無意味であるかどうか、また何でもかんでも褒めるだけで良いのかという点については、もう少し精査が必要ではないかと思う。

 スキナーの罰についての否定的見解については行動分析学者の中でも異論が出ているようであるが、これも、「罰的統制」の範囲を、「弱化子(嫌子)出現の随伴性による弱化【狭義の罰】」と「弱化子(嫌子)消失の随伴性による強化【逃避】」に限定するのか、それとも「弱化子(嫌子)出現阻止の随伴性のよる強化【回避】」や「強化子(好子)消失阻止の随伴性による強化【義務的労働】」などまで含めるのかによっても変わってくる。「罰的統制」を広義にとらえると、防災対策、交通安全対策、予防接種などの回避行動も罰的にコントロールされていると言える。地球環境のもとでこれらをゼロにして「強化子(好子)出現の随伴性」だけの世界を実現させることはあり得ない。また、個人レベルにおいても、ハリス先生が言っておられるように、こういう嫌悪的事象から派生される苦悩を無くしたりコントロールしたりすることは、地球上で進化した人間には不可能とも言える。

 また、スキルの上達が巨視的なレベルで大きな成果をもたらすと期待される状況において、その部品の役割を果たす個々の行動の精緻化を図るために、望ましい遂行を「褒め」、直すべき点を具体的に指摘した上で「叱る」ことは、大いに有効と考えられる。もっとも、この場合の「褒める」「叱る」は分化強化や弁別刺激であって、行動変容をもたらす強化子(好子)や弱化子(嫌子)とは必ずしも言えない可能性がある。【例えば、山岳道路を運転している人にとって、曲がり角の断崖は必ずしも弱化子(嫌子)ではなく、赤信号のような弁別刺激として機能している。】

 このほか、動機づけ操作(確立操作)としての「褒める」、「叱る」の役割や、個体差についても考慮する必要がある。ちなみに私自身は子どもの頃から褒められるのが嫌いで、大人から褒められると「どうせこの大人はボクを操ろうとしておだてているだけだ」とヘソを曲げて当該行動を中止してしまう傾向があった。そう言えば、定年退職時に「将来、大学のほうから叙位叙勲の推薦候補に挙げてよいかどうか」と尋ねられたことがあったが、恐れながら「推挙を希望しない」と回答させていただいた【←もともとそういう資格はないが、資格があったとしても、そういうものをいただいたからといって、私には何の喜びにもならないし、自分の人生にプラスになるとも思っていない。】