じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 毎週日曜日放送のNHK杯将棋トーナメントは録画・再生で視ることが多いのだが、8月11日は藤井聡太七段が登場するということで、妙手を期待しつつ、昼食をとりながらその場で観戦した。
 画像は、先手・阪口悟六段が、7四に桂馬を打って龍と角の両取りを狙ったところ。ここで後手・藤井聡太七段は6四龍として、両取りを回避した。この場面で先手が桂を使って角を撮れば、後手は龍を使って馬を取る。先手が馬で龍を取れば後手は2二の角で馬を取る。どっちにしても、龍と馬の交換であり駒の損得は無いが、先手は桂馬を使ってしまったぶん損をする。また、8二の角のラインは先手の王にあたる攻め筋であり、桂馬による両取りが想定されても8二に角を配置する意義があった。
 プロではこのあたりの作戦は当たり前なのかもしれないが、私のような素人には全く思いつかないスゴい妙手であるように思われた。

2019年8月11日(日)



【連載】

又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」(2)「主観的な1分」への疑問

 昨日に続いて、8月7日放送の又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」の感想・コメント。

 番組では、物理学的な時間論に続いて、「ストップウォッチで1分と思う時間を測る(目隠しをして、1分経ったと思ったところでストップウォッチを押す。頭の中で数えてはいけない。)」という実験が行われた。その結果、F先生は1分49秒、又吉さんは51秒であった。これは時計の1分間に比べて主観的時間が長いか短いかを調べるテストであり、
  • 又吉さんのように短めに反応する人(主観的な時間感覚が時計の時間に比べてはやい人)は、時計の時間に無理に合わせなくても、余裕を感じられる。
  • F先生のように遅めに反応する人(主観的な時間感覚が時計の時間に比べて遅い人)は、時計の時間に合わせて生活すると、慌ただしく感じられる。
という可能性があることが解説された。

 もっとも、この種の実験には、以下の2点において疑問が残る。
  1. 時間を測る行動の誤差と、時間の長さの感じ方は別問題ではないか?
  2. 一般人は、もともと「1分間」という物差しを持っていない。
 このうち1.は、手で持っただけで正確に重さを当てられる人を考えてみるとよいだろう。実際、量り売りをしている人や、宅配のプロであればかなりの精度で重さを当てられるはずだ。しかし、そういう人であっても、同じ1kgの物体を重く感じる場合と軽く感じる場合があるだろう。要するに、身体感覚を手がかりにして「正確に測る」という行動と、重いか軽いかと感じる感覚は必ずしも同一ではないということだ。

 次の2.の問題はより重大である。「1分間」という時間は、持ち時間を使い切ると秒読みになる囲碁・将棋の棋士、あるいは、電車の運転士、アナウンサーなどにとっては極めて重要であるが、一般人が日常生活場面で「1分」という時間制限に振り回されることはまずない。となると、「1分」とは何かが分からないままにテストを受けている可能性がある。これは、1フィートをよく知らない人にロープを渡して「1フィートと思われる長さで切り取ってください」と実験するのと同じことであろう。この実験でも、物理的な1フィートより長めに切る人と短めに切る人が出てくるが、長めに切った人のほうが、だからといって物の長さを長めに捉えているという証拠には必ずしもなるまい。

 同じく、色々な色を見せて、「どのくらいエメラルド色に似ているか?」を5段階で評価してもらうという実験を考えてみてもよい。「エメラルド色」自体は十六進の色コードで定まっているとしても、実験参加者がもともと思っている「エメラルド色」の色合いには個体差がある。それぞれの人の物差し自体に個体差があれば、評定値は、物差し自体の違いなのか、色の知覚(もしくはカテゴリー化)のちがいなのかは分からなくなってしまう。

 では、どういうテストをしたら、時間感覚の個体差を調べることができるのだろうか。

 1つは、「1分間」というような単位に頼らず、相対比較を求めることである。例えば、まずランプを1分間(←10秒でも、3分間でもよい)点灯させ、そのあとで、いま提示された点灯時間が同じ時間が経ったと思うときにボタンを押してもらうというやり方である。もっとも、この種の相対比較は、同時提示が可能な、図形の大きさや明暗比較などには有用であるが、時間感覚の場合は、順番をずらして比較を求めることしかできないため、前後関係などの効果が出る恐れがある。

 「1分間」の代わりに、誰もが確実に知覚している「1日の長さ」であれば、時間感覚の個体差を調べることができそうである。少なくとも現代人であれば、1日という時間に縛られて規則的な生活をしているからである。例えば、鍾乳洞の奥深くでテント生活を初めて、1日が過ぎたと思った時に外に出てきてもらう。それが物理的な24時間より早すぎるか遅すぎるかを調べれば、個体差が把握できるはずである。

 ま、これに限らず、「1分間」、「3分間」、「1時間」といった時間は、その人の仕事内容によって重要であったり、どうでもよかったりするものだ。ちなみに、私自身は、長年にわたって90分授業を担当していたため、講義時間が終わりに近づくとその日のまとめに入ることが自然にできるようになった。ところが定年退職の数年前に、授業時間が60分×2(60分授業、10分休憩、60分授業)に制度変更されたため、60分で話を終わらせるのに大いに苦労した。

次回に続く。