じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



05月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 びわ湖疏水の取水口(写真上。京阪・三井寺駅下車)と、哲学の道起点の浄土寺橋から眺める疏水分線。↓の記事参照。

2019年5月25日(土)



【小さな話題】

久しぶりの京都観光で初めて知ったこと(2)琵琶湖疏水はなぜ造られたのか?

 今回の1泊2日旅行の主目的は「びわ湖疏水船」乗船であった。ウィキペディアによると、大津・蹴上間の観光船運航の経緯は以下の通りとなっている【長谷川により要約・改変あり】
  • 平安神宮南側の一部区間では観光シーズンなどに小型の遊覧船が就航することがあったが、大津から京都までの全区間での運航はトンネル区間が多いことなどから実現されてこなかった。
  • 2010年の「疏水完成120周年」の目玉事業として、トンネル区間を含んだ遊覧船就航やインクライン復活が京都商工会議所を中心に検討されたが、記念事業での運航には至らなかった。
  • 2012年の大津市長選挙で越直美が疏水の観光船運航を公約に掲げて当選、京都市長の門川大作に観光船運航の検討を呼びかけ、2013年12月には両市長がボートに乗ってルートの視察を実施。
  • 2014年8月、京都市上下水道局の検査の結果、トンネルは安全のための応急対策を講じなくても船が日常的に運航できる状態であると報じられた。
  • 2015年1月、同年3月より試験運航を開始すると京都市や大津市が発表。2月に京都市が募集した試験運航の第1期の乗船者には定員の20倍以上の1万2千人の応募があり、3月27日に実際の運航が開始された(5月6日までの土日祝日に実施)
  • 本格的な観光船運航に対しては、幅員の関係で通行できる船のサイズや量が限られるため、乗船料だけでは採算を取ることが困難であるとする意見もあったが、明治維新150年記念の観光振興も兼ねて、2018年に観光船が大津-蹴上間で運航された。

 ということで、今回の乗船を機会に琵琶湖疏水について疑問に思っていたことを調べてみた。

 いちばんの根本疑問は、そもそも何のために琵琶湖疏水が造られたのか?であった。これまで私が考えていたのは「水道水の水源の確保」であり、じっさい、こちらのQ&Aに、
京都市における水道水の原水については,約99%を琵琶湖疏水を通じて琵琶湖から取水しています。残りの約1%は,桂川や地下水等から取水しております。
と記されていることから、疏水の目的の1つであったことは間違いあるまい。

 もっとも、京都と言えば、町の中心部には鴨川(上流は加茂川と高野川)、西部には桂川が流れており、琵琶湖の水に頼らなくてもこれらの清流だけでも水道水の原水として充分な水量があるように思えた。

 では疏水の本来の目的は何であったのか?ということであるが、ウィキペディアの記述や今回の乗船時に受けた説明によれば、明治維新と東京奠都により、京都の産業が衰退していたことをふまえ、第3代京都府知事の北垣国道が産業振興を目ざしたものであり、その当初の計画は、「灌漑、上水道、水運、水車」であったという。このうち「水車」というと、水車小屋での粉ひきか、用水路から田んぼへのくみ上げをイメージしてしまうが、当時の計画では、東山一帯で水車の動力を利用した工業を盛んにするというアイデアであったようだ。しかし、産業革命後の技術はめまぐるしく発展しており、工事着工後に、水車の代わりに水力発電に計画が変更され、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設。1891年に運転が開始された。この電力を用いて、1895年には京都・伏見間で日本初となる電気鉄道である京都電気鉄道(京電)の運転が始まった。なお、この京都電気鉄道というのは、京都市電の前身であり、京阪電気鉄道(京阪電車)とは直接関係がなさそうである。

 元の話に戻るが、ネットでさらに調べたところこちらに、疏水建設目的について詳しい記述があることが分かった。それによると【長谷川により要約・改変あり】、
  • 【1番目の目的は】機械を動かすための動力源の確保。このときすでに、桂川の水車を動力源とした製紙会社がつくられていたが、水量などの関係で大きな動力は得られなかった。琵琶湖から京都まで水路を通せば年間を通して理想的な動力を得られると考えた。
     この時代、西欧では機械の動力として蒸気機械が使われていたが、京都は疏水による水車にこだわった。理由として蒸気機械は石炭を燃やすためにその費用が莫大になることや機械が複雑になること、さらに石炭を燃やすことによって煙突から排出される煙の問題があった。起工趣意書では「英国ロンドンの煙霧の害をみるまでもなく衛生の上から大きな害があることはいうでもない」と記されており、いまから100年以上も前にクリーンエネルギーの考えがあった。
  • 【2番目の目的は】琵琶湖と京都を結ぶ舟運。
  • 【3番目の目的は】田畑の灌漑。京都市には桂川や鴨川が流れているが、鴨川は水量が少ない上、夏の間の3カ月は田畑への灌漑のため、水量が極端に減った。桂川にはかなりの水量があったが、市街地から離れている上、夏の間はやはり水量が減少した。灌漑用の水路を引くことによって干ばつの害が減り、収穫量は2倍以上になると予測していた。
  • 【水車の意義】水車を使った精米。当時は京都で消費する米の半分は他所で精米をしたものを輸入していたが、それを疏水の水車を使えば、京都の経済効果は高くなるとされた。
  • 【消火】京都は過去にしばしば大火に見舞われてきたた。消火に使える河川が少ないことも大火になった理由であり、疏水をつくれば市街に防火用水の整備ができると考えられた。【なお、蹴上のびわ湖疎水船乗降所には、旧御所水道ポンプ室があり、御所で火災が発生した時には高圧放水ができる仕組になっていたという。】
  • 【飲料水】京都では昔から地下水に飲料水を頼ってきたが、数十日も晴天が続くとすぐに地下水に影響が出て井戸が涸れてしまうことがあった。疏水によってそうした水不足を解消することも考えられた。
  • 【衛生】京都は河川が少ない。排水溝の水を流し去ることができず、腐敗した水が溜り、悪臭を発することもあった。そのまま放置をすると伝染病が発生する恐れもあった。疏水を使い、排水溝にいつもきれいな水を流すようにすることによって衛生面で街の整備ができると考えられた。

 ということで、私の疑問であった「京都と言えば、町の中心部には鴨川(上流は加茂川と高野川)、西部には桂川が流れており、琵琶湖の水に頼らなくてもこれらの清流だけでも水道水の原水として充分な水量があるように思えた。」という点については、鴨川は見た目ほど水量が豊富ではなく、かつ渇水期と洪水期の変動が大きく安定していない、という理由でほぼ納得できた。確かに、岡山の三大河川に比べると鴨川水系は水源までの距離が短く、冬場に積雪があるとしても渇水を補うほどではないのかもしれない。

 では、現在、琵琶湖疏水はどのような経済効果をもたらしていると言えるのか。すでに水車構想や、水力発電、舟運、潅漑としての役目は終えているように思われるが、水資源の確保という点では昔と変わらない役割を果たしており、やはり疏水の水なくして京都は成り立たないと言えるようには思う。このほかネットで検索したところこちらなど、専門的な観点から経済波及効果を分析した論文もあることが分かった。