じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 毎年、冬至の2週間前と2週間後のそれぞれ数日間に見られる「京山金環日食現象」。旧・京山タワーと夕日がピッタリ重なり、金環日食のように見える現象。但し見られる時期は、観察場所によって異なる。


2018年12月9日(日)



【小さな話題】

チコちゃんに叱られる!「血液型の違いと病気の予防」

 昨日に続いて、12月7日放送の「チコちゃんに叱られる!」第30回の話題。

 この回で興味をいだいたもう1つの話題は、

●血液型(ABO血液型)の違いって何?

という疑問であった。

 同じ質問に対する街角インタビューの解答は、「ヘモグロビンの数」とか「性格の違い」、中には「性格しか思いつかない」など、かつてこちらの資料集などを作って、血液型性格判断がもたらす差別や偏見に対抗してきた私としてはまことに情けない解答ばかりであった。【←ヤラセ、あるいは、番組でウケるような的外れな解答をピックアップした可能性が高いとは思うが。】

 番組ではまず、ABO血液型の違いは、赤血球にくっついている糖の違いであると説明された。具体的には、
  • A型:N-アセチルガラクトサミン
  • B型:ガラクトース
  • AB型:両方
  • O型:何もない
 番組ではさらに、血液型によってかかりやすい/かかりにくい病気があり、このことが人類絶滅を防いできたといった説明があった。具体的には、
  • 14世紀 ヨーロッパでペストが大流行したが、亡くなった人の多くは「O型」であった。
  • 1770年 インドで天然痘が大流行したが、亡くなった多くの人は「A型」「AB型」であった。
  • 1991年1月末 中南米でコレラが大流行した。中南米は「O型」が多くコレラも「O型」がかりやすいことから大流行となった。
などが報告されているという。
 なお、現在の血液型は、1900年にラントシュタイナー博士が発見し分類したとも説明されていた。私がよく分からないのは、上記の14世紀や1770年にはまだ血液型が発見されておらず、どうして、亡くなった人たちの血液型が分かったのだろうか?という点であるが、番組ではこのことについては説明が無かったように思われる。

 このほか最近では、
  • O型は心筋梗塞の発症リスクが低い。【2012年、米・ハーバード大学】
  • B型はノロウイルスに感染しにくい。【2003年、米・国立アレルギー感染症研究所】
  • O型は認知症になりにくい。【2014年、米バーモント大学】
という研究もあるという話であった。

 私自身も以前から主張しているところであるが、もし、ある感染症のかかりやすさがABO血液型によって異なるのであれば、その病気が流行しそうになった時には、かかりやすい血液型の人たちから優先的に予防接種をするといった有効な対策がとれる。そういう場面では大いに血液型の知見を生かすべきであろう。

 もっとも、上掲のペスト、天然痘、コレラなどの例については、死者の血液型分布に偏りがあったとしても、かなり慎重に原因を探る必要があると思う。なぜなら感染症にかかる確率というのは、個人個人の独立事象[]にはならないからである。例えばO型が圧倒的に多い民族では、両親は共にO型であり、生まれる子どももすべてO型になる。ということは、一人が感染症にかかると、真っ先にその家族も感染症にかかりやすくなる。その分、O型のかかりやすさは、個々人を独立事象と見なしてランダムにかかる確率を計算した時よりも大きめに出る可能性がある。
]独立事象というのは、個人ごとにサイコロを振って感染するかしないかを決めるようなこと。完全に独立していれば、配偶者や親や子どもが感染していても感染していなくても当人が感染する確率は変わらない。

 心筋梗塞のような場合も、家族がみな心筋梗塞になりやすいような食事をしていれば、家族全員が病気にかかる確率が上がる。個々人は独立事象とは見なせなくなる。

 ということで、ある地域で、病気の発症率が血液型によって有意に異なっていたとしても、それだけでダイレクトに「かかりやすさ、かかりにくさ」を示しているとは言い難い。

 さらに、こうした確率計算上の歪みを補正した上でなお有意な差違が見出されたとしても、それがごく僅かであるならば、実用上、病気の予防には役に立たない。例えば、ある感染症へのかかりやすさが、血液型A型で50%、B型で5%であったとするならば、A型者に優先的に予防接種をする意味があるが、A型が32%、B型が30%であるなら、優先順位をつけても効果的な予防にはならない。

 ま、いずれにせよ、血液型と病気になりやすい確率に関する研究は、あくまで生理的、病理学的な裏付けに基づいて結論すべきかと思う。




 ここで念のため、私自身の態度を述べさせていただくが、私は、血液型(ABO血液型)がいかなる行動傾向とも全く無関係であると主張しているわけではない。私の主張してきたことは、
  • 科学的な研究としては、まずは「血液型と性格は関係が無い」という作業仮説から出発し、十分な証拠が安定して得られた時に初めて、「○○という行動傾向は血液型によって異なる」と結論するべき。これは、「宇宙人は存在するか」、「超能力は存在するか」に対するアプローチと全く同様。【関連記事はこちら
  • 仮に、何らかの行動傾向に血液型による違いがあったとしても、その差異がわずかであるならば実用上は役に立たないし、むしろ差別や偏見を助長するだけにある。
  • 仮にわずかな差違があったとしても、別の要因が影響した可能性がある。例えば、日本列島の北のほうに住む人と南のほうに住む人では、気候や文化の違いによって個人の行動傾向もいくぶん異なる。いっぽう、血液型の分布も北と南では若干異なるので、全国レベルで集計すると、行動傾向の地域差が見かけ上、血液型の違いのように見えてしまうことがある。こちらの論文の全体的考察ご参照】
 このほか、こちらの論文で私の考えはほぼ言い尽くしてあり、その後は資料追加はしていない。とはいえ、就職、結婚、スポーツ(←血液型性格判断の思いこみをしている監督・コーチはけっこう多いと聞いている)などでブラッドタイプ・ハラスメントが起きることのないよう注視していく必要があるとは思っている。

 なお、現在の日本では、血液型性格判断の俗説があまりにも深く浸透してしまったことにより、大規模調査を行って統計的に有意な差違が確認されたとしても、血液型の違いが真の原因であるのか、それとも、血液型ステレオタイプ化や自己成就型の態度変容[]など、俗説に汚染されたことによる差違などかは見分けがつかないところまで至ってしまった。
]例えば、「B型はマイペースだ」という俗説に汚染されたB型者は、その思いこみによって、「あなたはマイペースですか」といった質問項目にYESと答える傾向が強まってしまう。さらには、「自分はB型なんだからマイペースに生きるのがもっとも性に合っている」という自己成就型の思いこみが生じれば、結果的にマイペースなB型者が増える。ということで、もし血液型と性格の相関について大規模調査を行うのであれば、そのような俗説が一切広まっていないようなどこか別の国の人たちを対象とすべきであろう。