じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



09月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 岡大各所で彼岸花が見頃となっている。写真は、かつて彼岸花の名所の1つであった津島東キャンパス南東端の空き地。気象庁のアメダス施設の設置の際にかなりの球根が除去されてしまったが、少しずつ復活しつつあるようだ。写真右は2010年、工事前の同じ場所の様子(上のほうの写真。下は座主川沿い)。


2018年9月20日(木)



【連載】

 
日本語と英語の違いをめぐる議論(9)文脈に合わせて情報を伝える(1)

 昨日の続き。

 これまで述べてきたように、会話行動というのは、特定の文脈のもとで情報を伝達する行動であり、言葉はその手段の一部に過ぎない。言葉以外に併用される手段としては、身振り、表情、声の抑揚などがあるが、とにかく、当事者がどのような環境・文脈のもとで会話を交わしているのかが重要である。「空気を読む」というのは、そうした「場」を適確に捉えることを意味している。

 会話内容を録音し書き起こしてみると、大部分は構文として不完全であることに気づくだろう。しかしそれらは正しい構文の省略形の羅列ではない。発せられた言葉が妥当であったかどうかは、それが聞き手に正確に伝えられたかどうかによって決まる。その際、いくら正確に録音内容を書き起こしたとしても、環境・文脈が捉えられていなければ正確な記録にはなり得ない。

 例えば、「ウナギ」という一言は、何かの省略形ではない。水族館で、水槽の中のウナギを指さして「ウナギ」と発話している時には、「あそこにウナギがいるよ」という意味になる。子どもに言葉を教えている場面であれば、「あそこにいる魚はウナギだよ」という意味にもなる。いっぽう、丼物屋でメニューを見ながら「ウナギ」と言えば、「私はウナギ丼を注文します」という意味になる。よく例に挙げられる「ボクはウナギだ」も同様である。普通はウナギ丼を注文するという意味で発せられるが、「吾輩は猫である」をもじった「我が輩はウナギである」という小説の中では、この物語はウナギを主人公としていることが分かる。

 英語は主語が不可欠と言われるが、文脈が明確であるような会話場面であれば、主語が使われないこともある。一番はっきりしているのは、命令場面であろう。命令は普通、聞き手(命令を受ける人)がするべき行動が、動詞もしくは動詞熟語のみで発せられる。このほか、通信場面でも動詞のみが使われることが少なくない。最近、STAR TREK CONTINUESを少しずつ視聴していて、そういう印象を強く受けている。

 不定期ながら次回に続く。