じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 9月11日の夕刻、雲の底(地上側)が肋骨状に輝いているのが見えた。雲が垂れ下がっている部分に夕日が当たっているものと思われる。ネットで検索したが、「地震雲」のサイトばかりで、あまり参考になる情報は得られなかった。

2018年9月11日(火)



【小さな話題】

 
クロールと自由形と潜水

 9月9日、NHK「チコちゃんに叱られる!」第3回(初回放送4月27日)の再放送があり、録画・再生で視聴した。

 その中の興味深い疑問の1つに、

【水泳の大会で】全員クロールなのにどうして自由形?

というのがあった。私自身は、クロールは泳法の1つ、自由形というのは「どういう泳ぎ方でも自由」という意味であると理解しており、この理解は概ね妥当であったが、クロールより速く泳げる「ドルフィン・クロール」があるとは知らなかった。

 さらに興味深いのは、オリンピックの大会で、第一回当時は全員が平泳ぎであったが、その後、背泳ぎ、クロール、バタフライが登場し、クロール以外は独立した種目になっていったという歴史である。なおこのあたりの内容はウィキペディアの当該項目とほぼ同一内容であった。

 なお、番組では取り上げられていなかったが、どんな泳ぎ方でもよいという規定だけであればおそらく、抵抗の少ない潜水泳法のほうが速い可能性がある。特に、平泳ぎでは潜水が有利であり、ウィキペディアによれば
1954年にバタフライ泳法が平泳ぎから分離したあと、潜水の距離を伸ばすことによって記録更新が計られた。1954年の日本選手権水泳競技大会100m平泳ぎで日本新記録で木村基が優勝、その後大阪の国際水上100m平泳ぎでも世界新記録(長水路世界最高記録)で優勝、200mも優勝した。1955年には古川勝が世界新記録を樹立、1956年メルボルンオリンピックで金メダル獲得といった活躍をする。このメルボルンオリンピック200m平泳ぎでは吉村昌弘が銀メダルを獲得している。
と記されている。その後、「五輪競技では1956年のメルボルン五輪までは潜水は禁止されていなかったが、潜水で距離を伸ばす選手が出てきたことや危険性を理由に潜水距離が規制された。」とのことで、現行の競技では「スタート後及びターン後の潜水は壁から15メートルまでとされ、それ以外の競技中は体の一部が水面上に出ていなければならない」と規定されているようである。潜水禁止の理由には「危険性」も挙げられているが、日本選手を優勝させないため規定変更という嫌がらせの面もあったかもしれない。

 なお潜水の競技としてはフリーダイビングがあるが、水平距離ばかりでなく深さを競う競技もあるようで詳しいことは分からない。