じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 8月16日の岡山は、最高気温30.0℃、最低気温25.0℃となり、かろうじて真夏日と熱帯夜を継続した。しかし、秋雨前線の南下に伴い8月17日の最低気温は22.0℃まで下がり、秋の訪れを感じる朝となった。


2018年8月16日(木)



【連載】宇宙大作戦(スタートレック)を振り返る(5)カーク船長の幸福観

 昨日に続いて宇宙大作戦(1966年〜1969年、「TOS」、Star Trek: The Original Series)の話題。

 このドラマの中で、カーク船長(あるいは制作者)の幸福観が最もよく表現されていると思われるのは、

第1シーズン 本国放送順第24話(制作順では第25話) 「死の楽園(This Side of Paradise)」

ではないかと思う。あらすじは以下の通り。
 オミクロン・ケティ3番星にはかつて150人の開拓者が入植したが、その後、この惑星には生きている動物細胞を破壊する「バーソルド光線」が照射されていることが分かった。開拓者は当然、全員死亡したとみられていたが、カーク船長らが訪れると、なんと住民たちは生存しており、家畜は一頭も見当たらなかったものの、菜食主義のもとで健康な生活をしていた。
 じつは、この星には不思議な花が棲息しており、この花の「胞子」を浴びると(←「胞子」を出すならばキノコもしくはシダとすべきだが、映像では花の形をしていた)、この植物が体内に共生し、「バーソルド光線」の影響を受けないようになる。同時に、この植物が共生した人たちは、みな温和になり、争いを好まなくなる。そのこと自体はまことに結構なのだが、その結果、自分たちの使命や任務にも無頓着になり、私的な楽しみを優先したシンプルな生活に浸るようになる。
 最後まで感染しなかったカーク船長もついには、船を捨てて楽園行きを決意するが、トランクに服を詰めている時に自分の受けた勲章に目が止まり、正気を取り戻す。これにより、激しい感情が体内から植物を追い出すのに有効であることが判明。まずは船にスポックを呼び寄せ、感情を表さないはずのスポックに「腐れ切った裏切り者のバケモノだ。耳のとがった怪獣だ。」などと散々悪口を浴びせてついに怒らせ、正気に戻すことに成功。そのあと、乗員たちの通信機に催眠音波を流すことで問題を解決した。
 この回の邦題は「死の楽園」となっているが、植物と共生状態のもとで暮らしている人たちは別段、死に脅かされているわけではなく、逆に「バーソルド光線」から保護された状態にある。それなりに畑を耕し、家を建てて、健康で平和に暮らしており、なぜそれが「死の」と形容されるのか考えさせられる。このことについてのカーク船長の考えは以下のやりとりに示されている。
  • マッコイ『人類が楽園から放り出されたのは、これで2度目だな!』
  • カーク『いやぁ、今度は自分の意思で抜け出したんだ。人間は楽園には向いてないのかも知れん。常に努力する宿命にあるんだろう。戦い、這いずり上がり、一歩一歩と前進する。妙なるバイオリンの音で優雅に踊るのは柄じゃなくて、ドラムで行進するのが相応しい。』
    KIRK: No, no, Bones. This time we walked out on our own. Maybe we weren't meant for paradise. Maybe we were meant to fight our way through. Struggle, claw our way up, scratch for every inch of the way. Maybe we can't stroll to the music of the lute. We must march to the sound of drums.
  • スポック『美しい詩だ、芸術家ですね。』
  • カーク『惑星に関する詳しい君の報告は、まだ聞いてなかったな?』
  • スポック『話すことは余りありません。...ただ一つ、生まれて初めて、私は...幸せでした。』
 ま、考え方はいろいろあるが、競争社会のもとで努力し、戦い、常に前進するだけが幸福であるかについては熟考する必要があるように思う。

 不定期ながら次回に続く。